かろうじてインターネット

「少年ジャンプ」と水木しげると映画とおもちゃと特撮を愛します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

『モンスターズ/地球外生命体』は基本チラリズムだよ。

モンスターズ

 時間がある時にさくさく更新していくよ。ブログ更新しながら『ドニー・ダーゴ』を数年ぶりに観ていますが、ながら見だとあんまり理解できませんね。これ当時すごい好きでした。『ドニー・ダーゴ2』は観てないや。「息子がサイコ野郎でごめんね」「最高だわ」のやりとりは本当に好きです。
 
 今回は、うわーい怪獣映画だよ!!『モンスターズ/地球外生命体』という映画の感想です。

 観に行った映画館はシアターN渋谷。前回に引き続きファーストデイに行ったので満席でした。客層は例によっていつものシアターN渋谷的な、『映画秘宝』的な。


概要:2010年のイギリス映画。監督・脚本・撮影はギャレス・エドワーズという人。
 2009年、NASAの探査機が地球外生命体の存在を示すサンプルの採取に成功するが、地球への帰還を目前に、メキシコ上空で大破してしまう。やがて、地球外生命体の増殖が始まり、メキシコの北半分が危険地帯として隔離される事態に。6年後、アメリカ軍とメキシコ軍によるモンスター封じ込め作戦が懸命に続けられる中、現地を取材中のカメラマン、コールダー(スクート・マクネイリー)に本社からある指令が出される。それは、メキシコに足止めされている社長の令嬢サマンサ(ホイットニー・エイブル)を無事にアメリカまで送り届けろというもの。当初は安全なフェリーを利用するはずが、思わぬトラブルに巻き込まれ、危険な陸路での縦断を余儀なくされる2人だったが…。
("allcinema online"より抜粋)


(1)『ムカデ人間』『SUPER 8/スーパーエイト』の時にも書いたけれどモンスターは人の心の現れである。
 核の恐怖なしに『ゴジラ』は生まれなかったし、少年の現実世界に対する夢や希望、失望や破壊願望なしに『ウルトラマン』に登場する諸々の宇宙怪獣は生まれなかったであろう。

 そして『モンスターズ/地球外生命体』に登場する地球外生命体は、国家が持つ欺瞞とその手の内で飼い慣らされている我々自身に対する不信感を象徴したものであると思う。


(2)本作で印象的なシーンは二人の主人公がメキシコを脱し、アメリカにたどり着いたとき、まるで今までの悪夢など全て空絵事だったかのように、アメリカ国内では平和な世界が演出されていたシーン。国境に立ちふさがる巨大な壁は地球外生命体たちをメキシコに隔離するものではなく、外界の真実を知らせないため、アメリカを隔離した壁であったのを知ったシーンだ。

 アメリカというと世界一の経済大国。日本人にとって戦後より外国といえばアメリカ、幼稚園児だって知っている最もメジャーな外国だ。
 だがその国の内情を我々もアメリカ人もあまり知らない。例えばアメリカが引き起こしたイラクの惨状(失業率が25~50%で、議会は機能不全、疫病がはびこり、精神障害がまん延、スラムが無秩序に広がっているのだとか)を、政府とメディアが手を結び、イラク侵攻で国民の生活が向上したと報道し、アメリカ国民もほとんどがそれを信じている。
 むしろ国民の方が知らされていないという点では、ちょうど先日の大震災で原発事故の危険性について日本国内のメディアだけが何故か安全と言い張って真実を伝えていなかったのと同様だ。どこの国も似たようなものだろう。

 本作で描かれるメキシコでもアメリカ国民が想像もしていなかった惨状が繰り広げられていた。アメリカは自分たちが持ち帰りメキシコに落としてしまった地球外生命体を駆除するため、毒ガスをばらまき、メキシコを壊滅状態へとおいやってしまっている。
 アメリカ側は自分たちが起こしてしまったそんな大事故を感じさせないように、巨大な壁でメキシコを覆い隠し、テレビでは楽しくハッピーな消費社会を演出するばかりだ。本作の主人公たちはアメリカに帰り、その落差に戦慄する。
 冒頭でアメリカ兵が『ワルキューレの行進』を歌うシーンがあるが、もちろんこれは『地獄の黙示録』のオマージュであり、この映画で描かれる事件は自分たちが撒いた火の粉によって起こった戦争を枯れ葉剤を撒いて終結させようとしたベトナム戦争を彷彿させる。


(3)本作の見どころは、地球外生命体登場シーンだけではなく、モンスターが暴れまわる地域に生活する人々の日常シーンでもある。
 ショッキングなのはガスマスクをかぶって遊びまわる子供たちのシーン。彼らはいつの間にやら大惨事なのを忘れ日常生活を営んでいる。
 震災のせいで普天間問題は保留になってしまったし、こともあろうか時間の経過と日々の生活の中で放射能流出にすら慣れて日常を営んでいる我々には考えるところのあるシーンである。
 人は常に警告をされていないとどうもその状態に必要以上に適応してしまうようだ。それは人の逞しさでもあり悲しさでもある。
 こちらにおいても政治やマスメディアは事態を深刻化させ国の動きをストップさせないよう、そういった人の習性を利用し、情報を規制もするし、隠したりもする。
 テレビをつければ可愛らしいポップな漫画の絵で地球外生命体が遊んでおり、ガスマスク着用を促している、その欺瞞にゾッとする。


(4)話題は深刻なものから急にロマンチックなものになるが、本作で政治的なものの他に、本質というか本当の感情を覆い隠しているものがもう一つある。主人公たちコールダーとサマンサの恋だ。
 彼らはそれぞれが身分も違うし、決まった相手もいるしで、社会的には結ばれてはならない2人であり、きちんと社会性を持って、気になりつつも距離を置いている。
 それぞれその感情に薄々感づいてはいるのだが、理性によって見て見ぬフリをしている。


(5)では冒頭に記した、本作に登場するモンスター"地球外生命体"が象徴するものについて考えたい。

 地球外生命体の容姿はあまりハッキリとは現れないがタコのようでクラゲのようでイカのようでもある。
 これらの生き物の共通項は、軟体生物であり、全身粘膜体。粘膜と言えば身体から突起した粘膜を「お宝」と称して武器にして戦った『戦闘少女 血の鉄仮面伝説』を思い出すが、あの作品もこの作品もその「粘膜」が表すものは性器のメタファーである。

 性器とはそのアニマル剥き出しの生々しさ故に隠されるもの。普段社会生活を営む際にその存在を主張してはならないものである。
 しかし性器は一方で大変重要な器官であり、これなくして人類は存続できない本質的なものでもある。

 本作でアメリカがメキシコの現状を欺瞞によって覆い隠し、メキシコ国内においてすらその危険性をカモフラージュしてごまかしたりしたように、その欺瞞によって隠されてしまう生々しく本質的な"性器"のようなものを象徴したのが本作に登場する"地球外生命体"なのではないだろうか。彼らが暴れまわる様はその欺瞞の強い圧迫の反動で爆発したかのようである。

 そして、惹かれあいながらもそれぞれの世間体という理由から、その感情を見て見ぬフリをしていたコールダーとサマンサは、二体の性器のような地球外生命体の本能剥き出しの交尾の姿に感化され、覆っていた全てを脱ぎ去りキスをしたのだろう。


 以上、『モンスターズ/地球外生命体』重要な真実や本質的な感情を欺瞞によって覆い隠す強い力の恐怖と、その強い圧迫の反動で生まれ出でてしまったモンスターを描いているのではないだろうかと感じた。


(6)各所で言われているように、派手な特撮はありませんのでその点いささかガッカリですが、低予算ならではのアイデアと、ディテールへのこだわり、現代性、ロマンチックな帰結など、なかなか見応えはある作品でした。この監督がオファーを承諾したという、本当にやるのかどうか不透明な、新生ハリウッド版『ゴジラ』にも期待しておきます。
 特撮ファンなら抑えておくべきかと。オススメ。

 山崎真実レベル。

 次回はお久しぶりです、ヴィンセント・ギャロさん!『エッセンシャル・キリング』の感想です。
スポンサーサイト

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/08/20(土) 01:55:53|
  2. 映画マ行
  3. | トラックバック:6
  4. | コメント:1

『マイティ・ソー』は実におおらかでいらっしゃるよ。

thor

 公開から少し経ってしまいましたが、今回は日本ではあまり人気ないマーヴルヒーローの映画『マイティ・ソー』の感想です。3Dで見て参りました。

 観に行った映画館はTOHOシネマズ六本木ヒルズ。夜遅くの回だったので僕の他に3人ほどしかいませんでした。20~40代の男性の一人客が3人。


概要:2011年のアメリカ映画。監督は『ヘンリー五世』『魔笛』のケネス・ブラナー。アメリカの人気コミック『雷神ソー』を映画化。音楽はパトリック・ドイル。
 神の世界“アスガルド”で最強の戦士ソー(クリス・ヘムズワース)。しかし、強すぎるあまり、その傲慢さゆえに無用な争いを引き起こし、ついには神々の王である父オーディン(アンソニー・ホプキンス)の怒りを買ってしまう。そして、王位継承権を剥奪されたうえ、最強の武器“ムジョルニア”も奪われ、地球に追放されてしまう。しかし、そこで出会った天文学者のジェーン(ナタリー・ポートマン)によって少しずつ分別と他者への思いやりを身につけていくソー。一方アスガルドでは、ソーの弟ロキ(トム・ヒドルストン)によって恐るべき陰謀が企てられ、父オーディンの身に危機が迫る。さらにロキは、力を失ったソーにも最強の刺客を送り込もうとしていた。
("allcinema online"より抜粋)


 以前『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』の感想で"アメリカには神話がない云々"といったどこぞで聞きかじったことを書いたけれど、神話がないわけではない。彼らの先祖がそもそもいたヨーロッパなりアフリカなりメキシコなりにはきちんと神話があったわけだし、ネイティヴアメリカンもきちんと神話はあった。そもそもアメリカは国民の三割が福音派というガチのキリスト教国家だ。
 ただ非科学的なものをとりあえず否定する近代化の中で誕生したアメリカという国に、国家の成立にまつわる神話が存在することは許されなかった。
 で、その代替としてヒーローの活躍する映画や漫画や小説がある、と。


 『雷神ソー』は北欧神話をベースにしたアメコミヒーローだ。ただしそこには実にアメリカらしい味付けが加わっている。
 この場合の「アメリカらしい味付け」とは、もちろんコカ・コーラであり、こんがり焼いた安っぽいステーキであり、噂に聞くパイ生地にスニッカーズを入れて揚げるという殺人的カロリーを持つお菓子であり――要は『アンストッパブル』同様の"キング・オブ・ハンバーガー"バーガーキング様の"大らか"(「雑」ともいう)な味なのだ。今回はそんな論旨。


(1)本作は実に"おおらか"であられる。
 何せソーはゼウス神の息子でありながら、その容姿といいワイルドな性格といい、バドワイザー片手にファイヤーエンブレムが印刷されたブルーメタリックのオープンカーを運転している"アメリカの雑なお兄さん"なのだ。
 そんな彼が持つ武器は巨大なハンマー。これで「バッコーン!!」と堅そうな敵を豪快にぶっ叩いて粉砕する。そんな大らかさ。

 物語にしたって実に"おおらか"だ。北欧神話の神々は実は最強の宇宙人であり、その中でも最強のゼウス神の息子がより最強のソー。敵は悪巧みがうまくいくとついつい口元がほころんでしまう憎たらしいインテリの弟ロキ、すなわちハンマーでぶっ叩かれるのを待っているような性格だ。
 暴れん坊がすぎて追放されたソーがたどり着いたのはもちろんニューメキシコ!道を歩けばナタを持ったダニー・トレホや、心に2つの金玉をドーンと構えたミシェル・ロドリゲス姐さんがいる町だ(そこで出会う美女が知的美女ナタリー・ポートマンなのはいただけない、そこは『トランスフォーマー』に出てくる無駄にエロいあの女の子みたいなギャルであって欲しかった)。


(2)以上のような"おおらかさ"で本作は北欧神話世界やキャラクターを"雑"に描いた作品であるとだけ語ってしまうのは簡単なのだが、よく考えてみたら、北欧神話はそのストーリー性だけ見ればもっと雑である。どこの宗教も同じように様々な民族や歴史が組み合わさった結果、整合性を合わせていったら実に難しくいい加減な物語になってしまっているのだ。
 『マイティ・ソー』はそんな複雑に絡み合って雑になってしまった神話をハンマーでぶっ叩いてシンプルに再構築している。(そう言えば彼らの先祖は大工だという。このモデルとなったトール神といいキリストといい聖徳太子といい、大工と神の関係ってなんか興味深い)
 すなわち「シンプル」という新しい形の雑さ"再構築"しているのだ。

  地球での人間との関わりを経て北欧の神トールには新しい感情が芽生えてくる。正しいと思ったことを貫き、間違ったものとは正面からぶつかり合う感情、それはヒーローに欠かせない"俺たちが自慢されたいアメリカ人の合い言葉「正義」"だ。
 正義を持つことで雷神トールの神話は一度打ち崩され、アメリカンヒーローの物語"マイティ・ソー"という新たな神話として再構築されていくのだ。


 以上、『マイティ・ソー』はでっかいハンマーでばっこんばっこん殴ることで「これが俺たちのパワフルでシンプルな新しい神話だぜ!」とでも言っているアメリカらしい神話の再構築の物語であると思う。


(3)不満点はそれでもやっぱり演出が雑なとこ。ナタリー・ポートマンとか『メタルヘッド』『ブラック・スワン』とは違う役者なんじゃないかと、むしろ『スターウォーズ』のお姫様役の人なんじゃないかと疑ってしまうほど大雑把な演出が施されている。
 あと終盤までソーたちの敵である巨人たちヨトゥンヘイムのフロスト・ジャイアント、ナタリー・ポートマンたちが一時的に対立することとなる"S.H.I.E.L.D."、それにロキと、ヒーロー映画で敵が定まりにくいため物語の推進力が弱いこと。
 あとキーアイテムであるはずの"箱"があまり活かされなかったなーとか。


 まあ正直『アベンジャーズ』撮らなきゃならないし、『マイティ・ソー』の映画化は欠かせないよなって具合で仕方なしに撮ったんじゃないかという疑いが拭えませんでした。『キャプテンアメリカ』は年内に公開するけど、他の『アントマン』とかの連中も映画化するのかな。
 あと『アイアンマン2』の時も思ったけれど『アベンジャーズ』関連はエンドクレジットが終わってからがキモなのに、なんでみんなエンドクレジットの途中で立っちゃうかな?


 まあそのアメリカらしい雑さ(褒め言葉)といい、日本人と北欧神話との関係の希薄さといいあまり流行らないだろうなあ…。

 篠崎愛レベル。

 次回は青山真治の新作です。また今更の映画なのですが『東京公園』の感想です。

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/07/31(日) 04:23:06|
  2. 映画マ行
  3. | トラックバック:9
  4. | コメント:0

『ムカデ人間』は孤独と葛藤する新たなホラーヒーローだよ。

ムカデ人間

 さて、今回は妙に流行ってレイトショー公開だったのが昼間の時間帯にも進出したという『ムカデ人間』の感想です。

 観に行った映画館は、久しぶりですシネクイント。観に行ったらなんと満席。一人だったので前方の席に滑り込めましたが、座れない人たちもちらほら。繋がってきたら1000円みたいな割引キャンペーンやっていて、複数で来ている人たちもいました。客層は20~30代の若者。


概要:2009年のオランダ作品。監督・製作・脚本はトム・シックスというひと。
 ヨーロッパを旅行中の若いアメリカ人女性、リンジー(アシュリー・C・ウィリアムズ)とジェニー(アシュリン・イェニー)。ドイツの郊外でレンタカーがパンクしてしまい、森の中の一軒家に助けを求める。ここに独りで暮らす外科医のヨーゼフ・ハイター博士(ディーター・ラーザー)に招き入れられ、リビングで一息つく2人だったが、気づかぬうちに睡眠薬を飲まされ意識を失う。目を覚ましたときには、2人とも地下室のベッドに拘束されていた。その後、博士は日本人男性カツロー(北村昭博)を拉致して同じようにベッドに拘束すると、それぞれの肛門と口をつなぎ合わせて“ムカデ人間”をつくる実験の開始を宣言するのだった。
("allcinema online"より抜粋)


 『赤ずきん』の時には狼男についてしつこく描きましたが、怪物が好きである。その人間の醜い部分を抽象化した見た目と哀しさがなんとも哀愁と恐怖を備えていて、『SUPER 8/スーパー・エイト』の主人公たちのごとく愛してやまない。
 本作に登場する"ムカデ人間"はその背徳的でショッキングな容姿と設定が新たなホラーヒーロー誕生としてなかなかいい線いってるんじゃあないかなとワクワクした作品でした。
 そこには人間の「孤独でいたくない」という最も根源的な願いが託されていると思う。


(1)『127時間』『ルイーサ』『新世紀エヴァンゲリオン』で描かれたように人は本来的に孤独な存在である。底の底まで分かり合える関係などはない。
 人は繋がることなどできないのだ。

 本作はまるで『ハート・ロッカー』『ミレニアム』シリーズ『息もできない』のように人と人とのディスコミュニケーションが描かれる。
 主人公たちはせっかくの親友同士のヨーロッパ旅行なのに、冒頭のシーンでホテルではそれぞれ電話で別の話をしているし、車がパンクして困って助けてくれるかに思えた中年男性はゲスなことばかり言ってるけどドイツ語なので理解出来ないし、日本人ヤクザ・カツローは日本人なら確実に縮み上がるような怒声を放つが相手はドイツ人のイカレた科学者、会話はこれっぽっちも通じやしない。
 本作で分かり合える人々は一組もいないのだ。


(2)では何故"ムカデ人間"が生み出されたのだろうか?
 ハイター博士が何故このような狂気の実験を行っていたのかは語られない。しかしながら人と人は繋がっていて欲しいという幼稚だが原始的な願いの狂気じみた発露のようなものに思えた。
 それは『新世紀エヴァンゲリオン』で碇ゲンドウが皆が皆分かり合えて孤独を感じないように全人類を一つにしようとした"人類補完計画"と同様の思想にも見え、そういやこの博士もゲンドウも神になることに憧れていた。

 だがカツローが言っていたように人は虫ではない。集団で一つの意志を共有しているとか言われる虫ならばあるいはくっついていても幸福かもしれない。しかし人はそれぞれが強い"個"を持つ生き物、それは悲しいが素晴らしいことでもあり、人間は他者と心の奥底まで分かり合ってはならない生き物――くっついてはならない生き物なのだ。

 以上『ムカデ人間』は、孤独であることで自己を保ちながら、一方で孤独であることを嫌う人間の矛盾した本能を秘めた新しいホラーヒーローを描いた作品だと思う。


(3)一見『エクソシズム』のような安っぽい薄っぺらな映像で、ガックリきますが、きちんとしたテーマ性と「これで勝負!」といった思い切ったワンアイデアがあれば低予算でもきちんとした作品ができるんだなと感心してしまいました。

 あともう明らかに"僕たちが自慢されたいドイツ(っていうかナチス)のマッドサイエンティスト"ってな容姿とキャラクターのヨーゼフ・ハイター博士の演技と容姿がとても良かったです。いきなりカメラ目線になって狂った医術を語るとことかも素晴らしい。

 不満点としては、もうちょいムカデ人間を繋げて欲しかったなとか、最後尾の人がゲロ吐いて先頭の口から戻すとかそういう展開を期待してました。

 八代みなせレベル

 次回はアメコミ映画は見ておかないとね。まさかのケネス・ブラナー作品『マイティ・ソー』の感想です。最近、いまさらな映画ばかりでごめんなさい。

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/07/31(日) 03:19:05|
  2. 映画マ行
  3. | トラックバック:7
  4. | コメント:2

『メタルヘッド』はハッピーな地獄だよ。

メタルヘッド

 そんなわけでまだ公開中にちゃんと記事をアップしていこうとおもいます。
 今回は『メタルヘッド』の感想。

 観に行った映画館は俺たちのシアターN渋谷。ファーストデイでもあり満席でした。客層はアイアンメイデンやメタリカやAC/DCのTシャツを着た人がたくさんいました。


概要:2010年のアメリカ映画。監督・脚本・編集はスペンサー・サッサーという人。製作に7人、製作総指揮に12人の名前があるんですが、一体何事ですか? 製作にはナタリー・ポートマンの名前も。
 自動車事故で母を失い、心に深い傷を負った少年TJ(デヴィン・ブロシュー)。一緒に暮らす父親ポール(レイン・ウィルソン)も、未だ悲しみから立ち直れずにいる。そんなある日、長髪に半裸の粗暴な男ヘッシャー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)がTJの家に住みついてしまう。ヘヴィメタを大音響で流し、目的もなく破壊行動を繰り返すヘッシャーに振り回されていくTJだったが…。
("allcinema online"より抜粋)


 ヘヴィメタルなんていうと『アンヴィル』なんて映画が最近流行ったけれど、かつてのメインストリームはどこ吹く風、いまやちょっと酔狂な人に好まれるジャンルとなってしまっている。

 ヘヴィメタルのなかでも特にデスメタルというジャンルは世界を地獄に変えるロックだ。なんとなく脳天気だったがその裏側では暗雲たちこめていた80年代アメリカや日本においてそういったカウンターカルチャーとしてのデストピア思想は新鮮だったかもしれないが、表面だけ見ていても決して明るいニュースが多くない現代においてはメタルはどう映るのだろうか。


(1)まずメタルについて考えてみたい。
 本作を「母を亡くした少年と、妻を亡くした夫と、人生を見失い貧困と孤独に苦しむ女性の理解と再生の物語」なんて書くといかにもシリアスでホロリとくる感動作品にも思えそうだが、そこにメタルの要素が絡んでくることで、物語の要素は一変する(本作を無理にジャンル分けすればコメディか日常SFになるだろうが、家族ドラマと捉えても悪くはないとは思う)。

 例えばデスメタルの代表的なバンド"デス"の歌詞でもいいし中世に描かれた「地獄絵図」でもいいが、それを垣間みれば地獄ほど恐ろしい場所はない。
 メタルの多くは地獄や悪魔を歌う。そこには基本的に夕飯を何にしようか悩み、仕事のミスをずるずると悩み引きずる日常生活よりも悪いことしか起きない。何故ならそこは地獄だから。
 もし地獄からの旅行者がやってきたならこの世は天国にしか見えないだろう。


(2)本作に登場するヘッシャーというキャラクターが何者だったかについて考えたい。

 本作に登場するヘッシャーはメタルを愛するということ以外まるで何者かは語られない。何故TJの家にやってきたのか、冒頭彼はダイナマイトで何をやっていたのか、そういう点は最後までほったらかし、最終的にTJの家から彼が去った後「ヘッシャーは消えた」なんて、まるで『エクソシズム』の「悪魔は消えた」みたいな言い方をされる。
 多分、メタル愛好家の彼は、地獄からの旅行者だったのだ。


(3)ではそんな「メタル愛好家」のヘッシャーは現代社会をどう見ただろうか。そしてヘッシャーの言動が物語にどのような変化をもたらすのか。

 本作のTJとポールの親子は上記のごとく決して幸福とは言えない。しかし地獄から見たらそんなの些細なことでしかない。
 ヘッシャーには彼らは単に不幸ぶってる独善的なナルシストに見えるだろう。

 ヘッシャーの哲学は2つある。
 「a.無いものは無い」「b.あるものはある」の2つだ。地獄で無い物ねだりしても始まらない。しかし地獄に何か――それはどうしようもない価値のものかもしれないが、それがあればそれは大変貴重な財産なのだ。
 ヘッシャーはどうしようもなく下手で下劣な例え話をして登場人物を困惑させるが、全てはこの哲学に従っている。
 例えば女の子4人とセックスしたけど、ヘッシャー一人じゃ女の子全員を満足させられなかった。でも女の子たちは女の子同士で愛撫をはじめたという話。無いものはないけどあるものはあるのだ。
 また片タマがつぶれて絶望したけどもう一個残っていて安心した話。無いものはないけどあるものはある
 飼っていた蛇がエサのネズミに殺され、ネズミは蛇の水槽を占領した話。自分の持っているものを駆使すればどこでだって人並みの生活ができるのだ。

 ヘッシャーの哲学を実践しているキャラクターもいる。お祖母さんのマデリン(パイパー・ローリー)だ(『キャリー』のキリスト教原理主義者のお母さん役やっていた人ですよ!)。
 彼女は「人生は雨の日の散歩、ぬれないように引きこもるのも、濡れて散歩を楽しむのも自由」と言っていた。とんでもない豪雨だって――もしかしたら止まない雨だってあるかもしれない。でも散歩はできる、散歩するチャンスはいつだってあるのだ。
 そしてまた「バアサンじゃなく、お祖母ちゃん」とも言っていた。たくさんの時間を失った「バアサン」ではなく、孫を持っている「お祖母ちゃん」なのだ。

 だからヘッシャーは、なくなったものをいつまでも後悔していたり、ないものねだりを続けていて、今ある物の大切さにはまるで気がついていないTJやポールたちに「お前らはサイテーだ」と言ったのだ。

 そしてヘッシャーに影響を受けたTJたちは少し成長する。あるものをあるがままに受け入れその有り難さを知る。憧れていた正義のヒーローのニコール(ナタリー・ポートマン)は「グズでマヌケでヤリマン」だという今ある現実を受け入れる。

 ラストにてお祖母さんは死ぬ。死んで、もっと優しくしなかったことを後悔するのではなく、そこにまだ彼女の遺体があるのだから遺体と一緒に散歩に行けばいいのだ。


 以上、『メタルヘッド』はメタルの歌う「基本的にこの世は地獄」の精神にのっとり、相対的にたくさんモノがあるこの世界をすばらしい世界に見立てていると思う。
 『シリアスマン』はとりあえず何でも時間が解決してくれるという実に受動的な不幸回避を提示していましたが、本作はもう少し能動的にどんな悲しいことだってなんとかなるものなのだと語る。だって世の中は基本的にデスメタルなのだから。


 メインの俳優がみな素晴らしかったです。ジョセフ・ゴードン=レヴィットのアメリカの田舎のいい歳こいて不良をやめられない兄ちゃんもいいですが、ナタリー・ポートマンのグズでマヌケでヤリマンの野暮ったいレジ打ちも『ブラックスワン』よりエロくて良かったです。

 メタルが聴きたくなることうけあいです。おススメ。

 長澤まさみレベル

 次回はもう公開してないよね…ギレルモ・デル・トロプロデュース作品『ロストアイズ』の感想です。

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/07/22(金) 23:30:50|
  2. 映画マ行
  3. | トラックバック:6
  4. | コメント:1

『マイ・バック・ページ』こそ「これでいいのだ!!」だよ。

マイ・バック・ページ

 今回は山下敦弘監督待望の最新作『マイ・バック・ページ』の感想です。
 観に行った映画館は吉祥寺バウスシアター。いちばん最後の回の鑑賞だったので公開2日目でしたがけっこう空いていました。日曜の夜に地元で見る映画はいいですね。
 客層は若い人が多め、中年カップルもいくらか。


概要:2011年の日本映画。川本三郎の原作を『ばかのハコ船』『リアリズムの宿』『天然コケッコー』『リンダリンダリンダ』などの山下敦弘が監督して映画化。脚本は他の山下作品にも名を連ねる向井康介、音楽はクラムボンのミトと『婚前特急』のきだしゅんすけ、主題歌は真心ブラザーズと奥田民生によるボブ・ディランのカバー。
 東大安田講堂事件が起きた1969年、理想を胸に大手新聞社に入社し週刊誌編集記者として働いていた沢田(妻夫木聡)は、やがて先輩記者の中平(古舘寛治)とともに活動家たちに接触、彼らの日々に密着していく。その中で沢田は“武器を奪取し、4月に行動を起こす”と語る若者、梅山(松山ケンイチ)と巡り会う。その決起宣言には疑念を持ちながらも、不思議と親近感を抱くようになり、取材を進めるうち次第に梅山との交流を深めていく沢田だったが…。
("allcinema online"より抜粋)


 人は生活上の必然性とは無縁の無意味なものに熱中するしそれにムキになるし、その一方でどこかそれに本腰を入れる勇気を持てないでグダグダもしてしまう。
 特に若い時代はそうだ。僕は十代~二十代前半のころ映画や漫画を作ることに熱中していた。それにまつわる嫌な思い出も多いし、いま思えばあまり真面目な態度ではないときもあって「もっと真剣にやってれば…」とか「他の実質的なことやってれば…」なんて後悔もないわけではない。でもやっぱりあの頃の自分を否定されるととても嫌な気持ちになる。

 今この時代に昭和40年代の学生運動を振り返ると、特にその時代を経験していない僕のような世代は、「大学や山荘に立てこもって本当に革命ができると思っていたの?」とか、「革命が成功してどうするつもりだったの?」とか思ってしまい、悪いけどどうしてもアホくさく見えてしまう。

 本作『マイ・バック・ページ』はそんな地に足がついていない熱狂をクールに眺め、それでいてそのフワフワした熱狂をなんとか意味づけようとする気持ちを肯定する物語だったと思う。


(1)現状の日本人監督の中で誰がいちばん好きかと聞かれて山下敦弘監督の名前を出す人は多いだろう。
 『どんてん生活』からこの最新作までを並べると、若者たちが熱狂しているもの(恋愛、自主制作映画、バンド活動)や気ままな生活などを地に足のつかないぶらぶらした虚構であるとクールに暴き、それでいてその虚構性の中にキラリと光る暖かさをちょっとだけロマンチックにさらりと語るという点で共通しており、その手腕は和製アキ・カウリスマキのようだと思う。
 で、この『マイ・バック・ページ』は同様のテーマをより明確化して語っている。(※)

(※)ぶらぶらした虚構の生活をおくる者は"ダメ人間"として描かれることが多いが、山下監督の描くダメ人間と言えば山本浩司と山本剛史。最近の山下作品にはあまり登場しなかったが、本作は久しぶりにあの二人が出演し、とっておきのダメ人間っぷりを披露している(あの山本浩司の「下手な演技」の演技の素晴らしさ!)。そういう点でも山下監督のこのテーマに対しての総決算なのではないかという気がしてくる。


(2)本作の二人の主人公はともにまるで地に足がついていない。
 例えば冒頭妻夫木聡演じる沢田がフーテンの生活を取材するべく、フーテンのフリをして彼らと仲良くするが、それは偽りの生活、地に足がついているはずなどなく、ただ彼らの生活を客観的に眺めているだけである。
 ベトナム戦争にも学生運動にも参加できない彼は出版社に就職するが、そこでもぼんやりと映画を眺めているような感覚しかない。先輩の中平からは「お前にはベトナムにでもなんでも行ってやろうっていう覚悟がないんだよ」とたしなめられる。

 松山ケンイチ演じる梅山はもっとひどい。なんとなくみんながやっている学生運動になんとなく感化されて参加するが、まあ中身のない薄っぺらな意志しか持っていないため周囲にはほとんど相手されていない。
 論争ではすぐ負けてしまうし、屁理屈ばかりこねて決して動かない。
 例えば形だけはそれっぽいことを言って議論(というか"理屈遊び")をして、中身が何も伴っていない上に、組織を結成して結局は何がしたいのかわからないことを指摘されると「…そうか、君は敵だな!?」と暴力的に投げ出したり、他人の組織の活動予定を自分の活動としてマスコミに語り、それをとがめられたら「プロバガンダだ、こういう行動をしているということをマスコミを通じて伝えたことにより地下に眠っている志士たちを決起させたのだ」と言ってみたり、中身の伴わないまま活動することになり不安に襲われる少女重子(石橋杏奈)をなだめる言葉も行動も解らず「大丈夫、大丈夫、うん、大丈夫、大丈夫」とだけ言ってそのままとりあえずセックスになだれ込む。
 最終的に、警察に殺人の指示を出したことについて問われても「けれども指示を出せと指示を出したのは僕ではありません」とものすごい責任転換をする。

 そして梅山は沢田の覚悟のなさを「優しさ」ととらえ、沢田は梅山の中身のなさを「若き情熱」ととらえ、二人の間にはささやかな友情が芽生える。

 本作のBGMは低音で鳴り響くウッドベースのジャズ。まるでフワフワした彼らとはかけ離れたところでしっかり地に足がついた現実があるのだよと言わんばかりの低音だ。
 そして彼らを映す客観性の強いクールな俯瞰映像。前半の学生運動の騒乱のシーンは遠くから長回しで撮影することでなんだか間抜けなお祭りの映像のようだ。


(3)しかしながら世界は憎たらしいくらいニヒル、フワフワと現実味のない生活をおくる彼らにも容赦なくシビアな現実は訪れる

 空絵事でしかなかった恐ろしい武器奪取計画を、まるで現実という見えない力によって流されるように実行せざるを得なくなった梅山は、部下に自衛隊駐屯地に潜りこませ(自分では実行しないというのがミソ)、その杜撰すぎる計画ゆえにまるで関係ない自衛隊員を殺害してしまう。その恐怖たるや暴力の恐ろしさや痛さを漫画や映画でしか知らずついうっかり無意味に殺してしまった『ヒーローショー』を彷彿とさせる恐ろしさ。
 しかし沢田は彼の犯罪を助長したにも関わらず、彼を信用しようとし、たんなる殺人犯ではなく"思想犯"だと言い張る。
 だが薄っぺらな梅山は単なる「革命の英雄もどき」として嘲笑されながら間抜けな殺人犯とされる。

 そして沢田は、この物語の中でいちばん悲劇的な目にあったはずの死んだ自衛隊員の名前すら知らず、またそれでも梅山を信じていたい自分を肯定しようとする。しかし可愛らしくてちょっと気に入っていた倉田眞子(忽那汐里)に「運動ってよくわからないけれど…賛成か反対かと言われたらなんとなく賛成したくなるんだけど、でもなんかこの事件は違う、無関係な人が死んですごく嫌な感じがする」と言われ、今まで自分が本物だと思っていたことが全て薄っぺらなものであることを知る。
 そして彼が、地に足がついた世界とがっぷりよつに向き合える仕事だと思っていたマスコミという仕事も、なんら意味などないあやふやなものに無理矢理に意味を持たせるだけの仕事だと知る。
 例えば大物左翼・前橋(山内圭哉)は「運動なんて男の道楽や」と言っていたし、梅山も「ニュースになれば俺は思想犯になれるのに」と言っていた。

 このように本作はその後半でニヒリスティックに世のナンセンスさを語る。

 事件の後、妻夫木聡は"映画ライター"の仕事をしていた。それは無意味な絵の連なりに意味を与える仕事だ。


(4)タイトル『マイ・バック・ページ』の意味を考えてみたい。

 沢田や梅山の思い出や青春はロクなものではなかった。沢田は過去を振り返って、すべてを無意味と否定してしまい、ただただニヒルにすごす生活をすごしていた。
 本作で描かれる一歩引いた映像も、うわっついた物語と落差のある低音で鳴り響く音楽も、山下敦弘らしいハズシを入れたギャグも、すべてがニヒルであった。そして沢田は、地にその足がついていないことを表すように、現実に感情移入できず、それゆえに涙を流せない男だった。

 彼が涙を流すのは最後。久々にあった友人(かつてフーテンの変装をして潜入取材をしていた際に一緒にいた男)の「でもさ~いろいろあったけど、なんか楽しかったよな~」というなんてことないセリフを聞いた時であった。
 彼はそれを聞いたとき思いがけずに涙が止まらなくなってしまう。

 思えば映画とは異なり、現実に生活していて意味のしっかりしたものなど皆無なのかもしれない。だから映画ではボロボロ泣けるくせに現実に涙を流すことは困難だったりするのだろう。しかしそれでもなんとかそれを意味づけようと苦心する。
 しかしながら時が経ち、細かいことを忘れて過去を振り返ったとき(マイ・バック・ページ)、無邪気に「あの頃は楽しかったなあ」と思えることができたならば、ただそれだけで過去は有意義なことなのかもしれない。

 沢田はそうして過去に意味を見いだし、ようやく泣けたのだ。

 僕もかつて映画だの漫画だのを作っていたころ、いい加減でもあったし、ノイローゼになるくらい嫌なこともあったし、その思い出自体に蓋をしてやりたいこともあった。でも細かいディテールを忘れて今あの頃を思い出すとき、無邪気に「楽しかったなあ」と言える。妻夫木聡のもやもやを晴らすような涙を見て、僕もつられてなんだか泣けてしまった。


 以上、『マイ・バック・ページ』は世の中の無意味さをさんざんニヒルに描きながら、それでもそれをそこまで無駄なものでもないと語っている、間抜けで冷笑的で不細工で貧乏くさいけれどそれでも一陣の爽やかな風が吹くような作品であったと思う。

 作る作品作る作品このクオリティを保っていられる山下敦弘監督、まだ34歳だそうでまったくどうなってしまうんだろうとブルッときます。前回の『ダンシング・チャップリン』と過去や今に対しての感覚が正反対で、二作品を見比べると面白いです。あと『これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫』の心底の天然ナンセンスさとかと合わせてみるのもいいかも。超絶オススメでございます。

 仲里依紗レベル。
 去年の1位アイドルが登場で、そろそろアイドルの弾数が減ってきましたが、はたしてどうなることやら。

 次回はみんなー!オシャレ映画だよー!!『ゲンスブールと女たち』の感想です。

ユリイカ2011年6月号 特集=山下敦弘 『マイ・バック・ページ』の〈青春〉ユリイカ2011年6月号 特集=山下敦弘 『マイ・バック・ページ』の〈青春〉
(2011/05/27)
山下 敦弘、岸田 繁 他

商品詳細を見る

不詳の人 [DVD]不詳の人 [DVD]
(2006/05/26)
海老原薫、野嵜好美 他

商品詳細を見る

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/06/06(月) 00:06:06|
  2. 映画マ行
  3. | トラックバック:7
  4. | コメント:0
次のページ

FC2カウンター

プロフィール

かろうじてアメリゴ・ベスプッチ

Author:かろうじてアメリゴ・ベスプッチ
 映画のこととか長々と書くブログです。
 たまに映画以外のことも書くよ。
 コメントくれたら嬉しいです。
 更新あんまりできないけれど。
 あと現代人なのでtwitterを始めました。
 chikiuso2800って名前。
 ご意見、ご感想、取り上げてほしい映画のリクエストなどございましたら、コメント欄か上記twitterIDにてお知らせください。

 なお映画の感想コーナーの最後で、実に分かりやすく画期的な映画の評価方法として、その映画のレベルに見合ったアイドルの名前を書いております。

Twitter on FC2

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

映画ア行 (36)
映画カ行 (51)
映画サ行 (35)
映画タ行 (28)
映画ナ行 (8)
映画ハ行 (40)
映画マ行 (17)
映画ヤ行 (4)
映画ラ行 (14)
映画ワ行 (1)
2010年度映画ランキング (3)
少年ジャンプ (47)
特集 (3)
謝罪 (2)
未分類 (0)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。