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「少年ジャンプ」と水木しげると映画とおもちゃと特撮を愛します。

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『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』は男の一本気がまっすぐ貫かれているよ。

yoyochu

 地味目なドキュメンタリー映画が続きますが、今回は『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』という未だに童貞臭が抜けないぼくにはいささか刺激的な作品でございます。

 観に行った映画館は当ブログでは初登場ですね、UPLINK X。東京の映画館で重要な映画館の一つだと思います。客層はまあ奇妙奇天烈な若者が男女ともに多め。水曜日の安い日で、少ない席数のこともあり、満席近くになっていました。


概要:監督はポルノでも活躍して、かつて代々木忠の助監督もつとめたことのある『TOKYO NOIR トウキョーノワール』の石岡正人。ナレーションは田口トモロヲ。
 80年代初頭のAV黎明期以来、数々のヒット作、問題作を作り続けてきたAV界の巨匠、“ヨヨチュウ”こと代々木忠の波瀾万丈の人生を振り返るドキュメンタリー。その知られざる実像と数々の伝説を、AV業界関係者のみならずAVの枠を越えてその作品を評価する著名人たちのインタビューとともに明らかにしていく。
"allcinema online"より抜粋)


 前々回の『冷たい熱帯魚』の感想を書いていたら、アダルトビデオのなんたるかを知りたくなり、ちょうどいいのがやっていたので見に行ってみました。

 この映画は、代々木忠というアダルトビデオ監督の半生や考え方もしくはその監督作品を通して、他者や現実に自分に「真摯に向き合う」というメッセージを描いていると思う。それが今回の論旨。


 本作は大きく二部構成になっていて、まず代々木忠の半生と、それが如何にアダルトビデオ業界の発足につながっていったかについての前半。続いてバブル期以降の代々木忠のアダルトビデオが如何に独自の路線を歩んで行ったかについてを語る後半。

 で、前半のテンポはとても良い。代々木忠の半生を追っていくうちに、いつの間にかアダルトビデオ業界が如何にして発足したかを理解しているという展開・編集はとても見事だと思います。
 後半、アダルトビデオを撮る意義を追求していく代々木忠の姿を描くパートは多少テンポが落ちてしまいそこは残念。


 代々木忠は常に何事にも真摯に向き合っている。終盤、笑福亭鶴瓶も語っているが、何事も曲げることがない。
 例えば若い頃、後の妻となるピンク女優・真湖道代に恋をしたため、当時世話をしてくれていた愛人三人と別れようとした時も正直にその旨を告げ、愛人たちを恋人に合わせたそうだし、彼の人生を翻弄した喧嘩早い性格もその頑にまっすぐな気性に起因しているのだろう。必ずしも望んで入った業界ではないポルノ業界の仕事も一生懸命に取り組み、あまりに真面目すぎて作品をエロくしすぎ裁判沙汰にまでなり6年も裁判を長引かせた挙句無罪を勝ち取るほど。

 そんな「何事にも真摯に向き合う態度」"エロの追求"に繋がり、劇映画からドキュメンタリーへの変遷、そしてアダルトビデオの発展を招いたのだ。(彼が監督したごく初期のセル用アダルトビデオ『ザ・オナニー』の人気が、VHSがβに勝った要因の一つになったというエピソードもとても興味深い)

 そしてその「真摯に向き合う」という態度は、アダルトビデオを撮る際の「セックスすること」への態度にももちろん反映される。

 代々木忠に言わせれば「世の中は欺瞞に満ち満ちている。人間が生き物の人間として成立するに最も重要であるはずのセックスについてすら、自分をごまかし、照れて、一歩引いて目をそらしている」『渇き』の吸血鬼してしまった牧師や『やぎの冒険』の那覇からきた少年のごとく、世の中の残酷で淫らな真実から目を背けているのだ。


 『冷たい熱帯魚』では主人公・社本が「生きるってのは痛いんだ」と言っていたが、真摯に向き合う行為に痛みはつきものである。

 代々木忠夫人・真湖道代は彼と一緒に生活することが如何に辛かったか、ストレスのあまり第ニ子を流産してしまったことを涙ながらに語る。
 終盤登場する多重人格の女性の面倒を、亡くなった先人に代わって見ていた代々木忠はあまりに彼女たちと真剣に向き合ってしまったため鬱病になってしまう。
 目をそらしたセックスをしていた恋人たちの女性の方の性欲を発展させて、結果別れさしてしまったという作品『恋人』は衝撃的。

 しかしどんな痛い目にあっても代々木忠は、人と仕事とセックスとに真摯に向き合う。照れて白けた人々に、口や手、道具やら催眠やら性感マッサージやら色々使用することで、女性も男性も人の本質的な「性」に目を向けさせる。
 代々木は「エクスタシーは社会からの解放である」とも言うが、彼が監督したセックスのあと女優たちも俳優たちも「羊水に浸っていたようだ」と、まるで憑き物が落ちたような生き生きとした顔をしている。

 代々木忠は最後に「目と目を合わせる」ことの大切さを語る。年頃の自分の娘に「セックスするとき目を見ないやつはダメだ」というくらいだから相当の信条のようだ。
 人が人と愛し合うとき、目と目をあわせて心を通わせなければ、それは『冷たい熱帯魚』で描かれた、下手な心ないアダルトビデオの世界だ。

 かつて水木しげるは『猫楠』という南方熊楠の伝記漫画で「動物には正常位というのはない、顔と顔を合わせてセックスできるのはカミサマが人間にくれた特権だと思う」と言った。


 「下手なアダルトビデオ」ではない「人間らしいセックス」あるいは「人間らしい人との向き合い方」とは単純に目と目を合わせることであり、本作はその「真摯に向き合う」という行為の重要性を代々木忠という人物の半生を描くことで語っているのだと思う。


 不満点としてはまず劇場に流す映画として、映像や音楽に感動があまりないこと。昔のポルノ映画や衝撃的なアダルトビデオを見れたのは良かったけど。もうすこし映画とは「映像を見せる行為」ということに留意して欲しかったかな。

 あと個人的にはもっと突っ込んで、なぜ人を真っ当に性と向き合わせるという行為をアダルトビデオとして撮影して他者に見せるこういうが絡んでくるのか。仕事ではなく個人的にやらない意味はなんなのか。コマーシャリズムと真の愛の追求という行為に乖離があるのではないかってところを描くべきだったと思う。

 あとこの手の映画にしてはちょっと長く感じたかな。

 前回の『平成ジレンマ』やちょっと前の『玄牝 -げんぴん-』など変テコ初老シリーズですね。いまだに童貞臭が消えないあなたにおススメ。

 香里奈レベル

 次回はあのゲッコーが未曾有の大不況のいまついに帰ってきた!
 25年ぶりくらいの続編です『ウォール・ストリート』の感想。

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水木 しげる

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  1. 2011/02/19(土) 01:22:05|
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『やぎの冒険』は中学生の撮る映画じゃないよ。

やぎの冒険

 リクエストを受けて行って参りましたシリーズ第6弾。
 今回は以前からリクエストを受けていた14歳が監督したことで話題の『やぎの冒険』の感想。

 観に行った映画館は池袋テアトルダイヤ
 客層は若い人が多め。女性が多かったです。客数は、映画の日だったのですが、公開されてしばらく経ったというのもあり、そこまでいませんでした。


概要:監督は14歳の仲村颯悟。これがデビュー作。スタッフは沖縄のちゃんと大人の映画制作者たちが固めている。主題歌はCCOCO。
 小学6年生の裕人(上原宗司)は那覇の街っ子。冬休みを母(城間やよい)の田舎の今帰仁村で過ごそうと、ひとりバスに乗り沖縄本島北部へやってきた。赤瓦のウチナー家に住むのは、やさしいオバア(吉田妙子)とオジイ(平良進)、粗野な裕志おじさん(仲座健太)、同い年のいとこ琉也(儀間盛真)、2匹の子やぎポチとシロ。ヤンバル育ちの少年たちと自然の中で楽しいときを過ごす裕人。ある日、2匹の子やぎのうちポチがいなくなっているのに気づく。しかし、裕人が目にしたのは地元の人たちに「つぶされる」ポチの姿だった。ショックを受けた裕人を尻目に、今度はシロを売ろうとする裕志おじさん。そのとき、シロが逃げた!
("goo映画"より抜粋)


 子供の頃はアリやらダンゴムシやら意味なく殺していたなあなんて思うけど、大人になって直接生き物を殺生することなどめったになくなった。蚊とかゴキブリとかハエは殺しているけど。
 しかしながら「生きる」という事は他の生き物を殺しているということで、まあよく言われることだけど、生き物の命を奪って生きているって事を意識させないで食を供給して、それでいて動物を過剰に愛でているこの世の中は狂っていると言えば狂っている。考えてみたら不気味な世界だ。この映画は命の形をしたものを食べるという行為を描くことで、欺瞞に満ちあふれた現代の食文化の不気味さを表現していると思う。

 『アバター』『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』では「食」が、今ここに生きている事を表現する際のキービジュアルだったし、また『ヱヴァンゲリヲン:破』では命を食べることで「生命」を感じることができたし、その事をストレートに題材として扱った『豚がいた教室』なんて映画もあったように、「命を食べて生きる」という欺瞞なしの「食」に対する態度を見直す動きは近年相当に多い。

 主人公は那覇からきた小学生裕人。彼は田舎の、大切に育てたヤギを食べるという感覚がまるで理解できない。「動物=可愛がるもの=食べるもの」の図式が彼の中にはないのである。
 彼は可愛い可愛い子ヤギのポチをはじめとする生き物たちの命を食べて生きていることを知ったとき、それまでの世界にゾッとする。何気なくおじさんが魚をおろすのを見学して、何気なくエビを捕まえて水槽の中に入れて、そういえば朝は、何気なくバスの中で加工されまくって命の面影もないようなコンビニのパンを食べていた。しかしそれは全て誰かの「命」だったのだ。
 その「残酷さ」にクラついた主人公は何も食べられなくなる。

 食鯨文化や食犬文化に吐き気を催す人がいたり、カエルの丸焼きやスズメの串焼きを食べるのを躊躇する人が多いように、生命まるだしの食べ物に現代人は慣れていない。形を変え色を変え臭いを変え、生き物であったことを抹消した上ではじめて我々の口に運ばれているのだ。

 終盤、仕方なく食べた川エビの不味さに「魂の重み」を感じ、野犬に囲まれることで自分も川エビなど他の生物と同様に食べられるレベルの存在なのだと気が付いたシーンが白眉。
 捕食者としての加害意識だけではない、我々だって食物連鎖に組み込まれた「生物」なのだ。

 以上、ゾンビ映画でなくても世界は喰って喰われての世界。本作は、我々はゾッとするようなバトルロイヤルの世界の中でこそ生きられるのだという本来的な暴力性に満ちあふれている現実に気づかさせてくれる。


 で、見ている間忘れていたが、この映画の監督は14歳なのだ。「14歳が考えたような映画」というと『完全なる報復』やら『シュアリー・サムデイ』やら『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』やら当ブログでもやたらと扱ったが、実際に14歳が監督した映画となるとはじめてである。

 以前取り扱った、102歳のマノエル・デ・オリヴェイラ監督が撮った『ブロンド少女は過激に美しく』はとても102歳らしい映画だったけれど、果たしてこの作品に14歳らしさはあるのだろうか。
 例えばビジュアルセンス、映画のスクリーンの大きさをきちんと意識したショットの上手さとか、もしくは例えばオフビートなギャグのタイミングの良さ(議員候補者のぎまさんや、太っちょの男の子の「バイバイ!」やら)など見るに、これは14歳のセンスなのだろうかと疑ってしまう。14歳は『BLEACH』読んで「オシャレでかっこよくて深い作品だ!」とか言ってるんじゃないのか?
 クールな高校生が「新世界の神になる!」とか「さあ宴の始まりだ!」とか「イッツァショーターイム!!」とか言って人を殺しまくるのがかっこいいと思う年齢なんじゃないのか?

 こんな37歳くらいのセンスを持った14歳って…。まあ大人の助けがたくさんあるとは思いますが、映画というものをかなり心得ている。今後どう成長するのか(主題歌を歌うCOCCOは「今後どうグレるのか楽しみです」と言っていました)楽しみです。


 不満点は、人は他の命を食べて生きてるんだぜ、残酷な世界に生きているんだぜ以上の事が描かれなかった点。そこまでだったら前述のように他の映画でも語られていたし、その点に関して別に目新しさは感じない点。その更に上を行く何かが欲しかった。そこら辺「14歳」の感性の腕の見せ所なんじゃないのって。

 基本的に14歳らしさがあまりないので14歳が撮った映画と言われてもその点においての面白さは、ある種の瑞々しさが感じられるくらいしかありません。
 が、単純に面白い映画ではありました。別に14歳であることを主張せずとも正当な評価を受けられる作品だと思います。

 篠原涼子レベル。

 次回は、またリクエストを受けて観に行ったシリーズです。第7弾かしら『リセット』の感想。消えなければ書きます。

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  1. 2011/02/11(金) 13:24:19|
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『闇の列車、光の旅』は『世界の車窓からハードコア』だよ。

闇の列車、光の旅

 以前、ここで扱った『かいじゅうたちのいるところ』をもう一度見ました。
 原作抜きに考えるとやっぱりいい映画だと思います。本当に楽しく美しい映画。編集と、音楽と。風と光の使い方が好き。なんとなく釈然としないのは、ぴょんぴょん飛び跳ねるかいじゅうたちに重量感が感じられないのが大きいと思う。
 ついでに日本語吹き替え版の子供店長バージョンも見たけれど、けっこうひどかったです。マックスの容姿に比べ異常に声が幼い。「子供から少年へ」ってテーマなのに子供のまんまといった雰囲気。


 てなわけで今回は『闇の列車、光の旅』の感想だい。また更新しないでごめんなさい。

 観に行った映画館はTOHOシネマズシャンテ。最近の不況でどこもおとなしめな映画は敬遠しがちな中、シャンテ枠はなかなか頑張っているかと。
 火曜日の会員1300円の日でしたが、たいして混雑もしていなく。例によってお年寄りが多め。


概要:監督・脚本はこれが長編デビューとなる日系アメリカ人のケイリー・ジョージ・フクナガ。
 ホンジュラスに暮らす少女サイラ(パウリナ・ガイタン)。父親は、彼女が幼いときにアメリカへと渡った不法移民。ある日、その父親が強制送還され戻ってきた。そして、今度はサイラも連れて再びアメリカを目指す。父親の新しい家族と一緒に暮らすという提案に気乗りはしないものの、父と叔父と共にメキシコへ向かい、そこからアメリカ行きの貨物列車の屋根に乗り込むサイラ。そんな無防備な移民たちを待ち構えていたのがリルマゴ(テノッチ・ウエルタ・メヒア)率いるメキシコのギャング団「MS(マラ・サルヴァトゥルチャ)」。疑問を感じながらも彼らと行動を共にしていた少年カスペル(エドガル・フローレス)だったが、リルマゴがサイラをレイプしようとするのを見て、ついにリルマゴを殺してしまう。裏切り者として組織から追われる身となってしまったカスペル。サイラは助けてくれた彼に恩義を感じ、その後を追ってしまうが…。
("allcinema online"より抜粋)


 描きようによっては『ジョニー・マッド・ドッグ』のように悲惨で残酷でとことん哀しい物語にもなりかねない作品なのだが、何故だかうっすら暖かい気持ちになる妙な映画である。
 その「暖かさ」とは何かについて考えたい。
 結論からいうと、本作は、凄惨な中南米の貧困層の現実を描きつつも、信頼の持つ心強さを描いた作品ではないかと考える。

 まず、これが非常にリアルでドキドキさせる中南米の現実の描写について書きたい。
 この社会にとって、少年が大人になる第一歩はその手で人を殺すことである。主人公が属するギャング組織「MS(マラ・サルヴァトゥルチャ)」から信頼を得るためには、ライバル団の捕虜を銃殺しなければならないし、まるで日本の小学生がポケモンを自慢するかのごとく、10歳程度の少年スマイリー(クリスティアン・フェレール)は銃を友人に自慢し、人殺しの方法についてけらけら笑いながら議論する。裕福な生活とは決して言えないのに、デジカメや携帯電話、マシンガンがやたら最新鋭なのが妙に生々しくて怖い。また人並みの生活をするには命がけの密入国を試みなければならず、その道中、「くそ野郎」と石を投げられ、あっさりと死んで行く不法移民たちの描写もゾッとする。そういった生々しい現実がスクリーンに展開される。その様は『シティ・オブ・ゴッド』か『ジョニー・マッド・ドッグ』か。

  『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』は閉塞感をうち壊そうとする青年たちの物語であったが、この作品もやはり似ている。少年達は「自分はこのままこの土地で埋もれて死んでいくのだろうか」という不安を抱え、そこから逃げ出そうとする。『フローズン・リバー』『ヒーローショー』『Dr.パルナサスの鏡』『プリンセスと魔法のキス』『アリス・イン・ワンダーランド』も皆悩んでいた問題。
 そういった閉塞感(この作品の場合、それは非常に暴力的で危険な生死に関わる圧迫なのであるが)から逃れるため、サイラとカスペルは、そんなうっくつとした闇の中よりのっそりと現れる貨物列車に乗って「光」のある元へ逃げようとする。旅の先には「光」があるはずだと信じて疑わない。だが邦題の『光の旅』に反して、サイラもカスペルも、ギャング団、移民差別、法などの生々しく残酷な現実に追われ、少しでももたついたらそれらにあっさりと絡まれてしまい、いつまでたっても光には到達できそうもない。


 ストーリーだけ語ると下手したら『クロッシング』のような凄惨な物語になりそうな設定だけれども、前述のようにこの作品には淡い光が溢れ、暖かい印象を覚える

 それは今作が「信頼」をテーマに描いた物語だからなのではないだろうか。
 カスペルは、サイラが彼に感じた「信頼」に触れた時、淡い光をあびる。映像の情緒的な美しさが際立つのは常に信じることを忘れないサイラが一緒にいるときである。

 一方でギャング団「MS」たちの信頼の証は「タトゥー」である。組織に信頼されたものは「MS」のタトゥーを刻まれる。その「信頼」を得る方法は「人を殺す」「13秒間リンチを受ける」などといった暴力に支配されたものである。
 しかしながら全身にタトゥーを刻んだリマルゴに寄せられるものは「信頼」ではなく「恐怖」のみであり、ギャングたちは主人公を捜索する時にその「タトゥー」を目印として探した。それが表すのは暴力と恐怖によって縛られただけのかりそめの信頼でしかない。

 それと比較されることで、カスペルとサイラが育む「信頼」が輝かせる旅路はとても美しく、暖かい。特に終盤の二人のやり取り、サイラが服を脱ごうとした時、決してそれを見ようとしないカスペルの描写などに、「信頼」の持つ暖かさをつよく感じる。
 だからカスペルは、その結末がどうあれ、「信頼」に触れたという点で彼にとってこの旅は「光の旅」であった。彼を追うスマイリーの旅路は、「光」を目指し、その目的を遂行しつつも、彼がたどり着いた地にあったものは「光」ではなかった。

 以上、物語は南アメリカの悲惨な少年犯罪と移民問題を取り扱っているが、その中心には淡くかすかに光る「信頼」が描かれているから、この物語はほんのり美しいロードムービーとなっているのではないだろうか。

 不満点はとくにございませんが、敢えて言えば前半と後半のテンションがあまりに違いすぎて、作品を俯瞰してみると一貫性が感じられにくいところくらい。
 池脇千鶴レベル

 次回は『プレデターズ』の感想を書くよん。

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2010/07/24(土) 02:02:27|
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『矢島美容室 THE MOVIE ~夢をつかまネバダ~』をなんで観に行ったのか分からないよ。

矢島美容室

 今回は長くなるので、マクラはなしよ。

 というわけで『矢島美容室 THE MOVIE ~夢をつかまネバダ~』の感想なのですが、まずサイコロで当ててもないのに、冷静に考えればあからさまな地雷映画を、なぜ観に行ったのか言い訳せねばなるまい。いや、言い訳にもなんないんですけれど。
 だって矢島美容室が映画化だよ。なんかニーズがまったくつかめないじゃん。どんな映画なのかすら想像しにくくて、もしかしたら新しいかもとか思ったんですよ。矢島美容室の歌も『みなさんのおかげでした』もわりと好きだし。他のTVドラマやバラエティ番組が映画化ってならまだ想像がついたんですけれど。言い訳がましいですね。
 
 てなわけで、観に行った映画館は新宿ピカデリー。客層は若いカップルが多め。金曜の夕方でそこそこいました。


概要:バラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』より誕生したとんねるずとDJ OZMAからなる音楽ユニット「矢島美容室」がまさかの映画化。監督は『ウルトラマンゼアス』でもとんねるずと共演したCMディレクター中島信也。
 矢島美容室が日本に渡りレコードデビューするまでの前日譚。ある日、矢島家の母マーガレット(木梨憲武)、長女ナオミ(DJ OZMA)、次女ストロベリー(石橋貴明)が目を覚ますと、彼らの父親が失踪していた。その事により家計のやりくりに困ったマーガレットはかつてのストリッパー稼業を再開する。一方で、ストロベリーは、片思いの恋に悩まされながらも、彼女たちのソフトボールチーム「ピンクボンバーズ」を脱退し、新たにチームを作り挑戦してきたラズベリー(黒木メイサ)との試合を控え、また一方でナオミはミスコンの予選を突破し、彼女の夢であるオスカー女優への道の第一歩を踏み出したところであったが…



 まぁ見る前からわかってると思いますが、ハナから『ベン・ハー』は超えないと思うんですね。『ゴダールの映画史』にもカウントされない映画だと思うんですよ。そんなダンゴムシ程度の映画を、このブログでお手本にしている『ライムスター宇田丸のウィークエンド・シャッフル』では全力をもって叩きつぶしていらっしゃいました。てなわけで、そちらの叩きつぶし具合はポッドキャストで聴いていただけたら、僕が叩きつぶす手間も省けます。
 まぁ、僕は宇多丸さんほどこの映画に対して怒っていないのですが、まぁ作り手の志の低さが作品に露に出てしまっているのがやはり許しがたいなって。そんな論旨。


 あの面白いんだか、そうでないんだかよく分からないとんねるずのコントが最近めっきりなくなって寂しいのですが、今回はそれを長々とやるっぽくてうれしいような、ゾッとするような、見る前はそんな印象でした。
 とんねるずって不思議な存在で、今でもやっていることはよく『みなさんのおかげでした』の特番で流れている30年前の『夕焼けニャンニャン』の頃とほとんど変わらなくて、スタッフや若手芸人を蹴ったり、アイドルにセクハラしたりと、まあテレビ的な良くも悪くも下らない内輪で盛り上がっているだけのギャグで、それ単体ではどうしようもないんだけど、あの二人の怪しくて、不良っぽくて、やたら態度でかくて、いい加減そうで、どこかユーモラスな雰囲気がそれを誰しもが吹き出してしまうギャグにしてしまうのではないかと。このようなキャラクターのルックスで笑いをうながすという点では、とんねるずは喜劇映画向けであると思う。タカさんの演技、下手だけど好きだし。だからタカさんが変な顔して大袈裟なアクションしていたら、それが子供騙しであろうと、笑ってしまう。

 ただ、彼らのトークは、基本的に暴力、暴言、セクハラなどで「他者をいじる」という点に面白さのミソがあるために、それは映画では有効ではない。

 で、本作において、トークは劇映画であるが故に封印されているために、前述したとんねるずをはじめとする様々なキャラクターのルックス、雰囲気だけで、なんとか笑かそうとしている。だからそもそも疑似ドキュメンタリーとかそういう手法でなくちゃ、とんねるずの面白さは劇映画では十分に活かせそうにない。

 でも、この映画をわざわざ観に来た観客も、この映画にそこまでの高等なギャグやユーモアは求めないだろうし、で、この映画の製作陣も、そこら辺背伸びしないで立場をわきまえている感じ。ただそれが問題であって、映画の質的に『アニー・ホール』や『街の灯』を超えてやろうとはこれっぽっちも思っちゃいないのがそもそもダメなんではないかと。

 まぁ肝心のギャグを始め、ドラマなり演技なり編集なり構成なり色々手を抜いちゃっていて子供騙しなんですね。そこら辺は先ほど引用した宇多丸さんのポッドキャストで聴いていただくとして、僕としては、多少なりとも映画館で見る映画作品であることは意識して作って欲しかったなって。

 1800円払って二時間弱集中して見るんだし、こっちもアンテナビンビンに張って映画見るわけだから、説明的なセリフや、「僕たち面白いことやってますよ~」と言わんばかりの「面白い雰囲気」演出は、正直余計かなって。
 例えばオッパイを揉むとき「ムニュッ」って効果音鳴らしたり、ヘンテコな顔芸で無理矢理笑わせそうとするのとか。

 更に、志の低さはテーマ性のないがしろっぷりに及ぶ。『釣りバカ日誌20 final』の感想でも似たようなこと書いたけど、本作のテーマである「夢を掴む」ってのがあまりにないがしろに扱われていて、物語の欲求がちぐはぐであっち行ったりこっち行ったりするから、冗長で退屈に思えてくる。本編で「夢」について語るのも、オスカー女優を目指すナオミだけだし。
 この手の映画なら心理描写をリアルに描く必要性は低い分、ギャグを中心にテンポ良く話が進んでいいはずなのに、中心に据えられてなければならないテーマという柱がないため、まぁテンポが悪い悪い。
 そもそもこの手のドラマに涙要素をお約束的に入れるのにすごく嫌気がさすんですが、これって必要なの? 矢島美容室がお涙ちょうだいのドラマに参加して、一体どれだけの人が涙を流せるんだろうか?

 いつテレビを付けてもすぐに入り込めるように、また集中しないでも楽しめるように作られているバラエティ番組ならば、あっち行ったりこっち行ったりする展開の方が都合がいいんだろうけれど、二時間弱の集中を強制する映画でそれは「ビデオで十分」と言われても文句は言えない。


 あとこれは、志云々とはあまり関係ないかもしれない不満ですが、聖子ちゃん問題。これネタバレになるから読み飛ばしてもいいんだけど、松田聖子さん、『みなさんのおかげでした』でも散々存在をプッシュされて、本編でもナオミの憧れる芸能人「プリンセス・セイコ」としてちょくちょく顔を出すし、本作のテーマソングが矢島美容室と共に松田聖子さんが歌う『アイドルみたいに歌わせて』って曲なんですよ、いい歌ですよ、挙げ句の果てにはこの映画ミュージカル映画なんです。どう考えても松田聖子が最後に本当に現れて、四人で一緒に歌ってナオミの「夢」が叶うって、それ以外の選択肢は考えられないと思うんですよ。
 ええ。最後までちゃんとは出てこないんです松田聖子さん。
 なんか、曲にあわせてどうでもいいNG集を流しているだけなんです。
 それって詐欺じゃね? 曲がりなりにもミュージカル映画と自称している映画としてどうなの?


 良かった点としては、先述したように個人的にタカさんの怪演が好きなのと、デビュー曲『ネバダから来ました』が好きなのと、黒木メイサが美人だったこと。黒木さん、こんなしょうもない映画なのに、一生懸命頑張って真面目に演技している姿になんかサディスティックな刺激がございました。


 以上のように『みなさんのおかげでした』に流れている以下の笑いでもいいから、あの番組が好きで(嫌いな人は観に行かないだろうけれど)あの番組が映画化というそもそも企画の時点で無謀なギャグになっているという空気が読める人ならば、そして作り手の志の低さを容認出来る方なら、最低ランクの映画になることはないかもしれません。
 評価はね、川島なお美レベル


 次回は、マット・デイモン&ポール・グリーングラス監督の新作『グリーン・ゾーン』の感想を書くよ。

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  1. 2010/05/21(金) 12:55:48|
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Author:かろうじてアメリゴ・ベスプッチ
 映画のこととか長々と書くブログです。
 たまに映画以外のことも書くよ。
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 chikiuso2800って名前。
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