かろうじてインターネット

「少年ジャンプ」と水木しげると映画とおもちゃと特撮を愛します。

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『名前のない少年、脚のない少女』は君の童貞力を試すよ。

名前のない少年

 今回はオシャレブラジル映画『名前のない少年、脚のない少女』の感想です。

 観に行った映画館はシアター・イメージフォーラム。初日に観に行ったのですが、たいして客の入りはなく、ほとんどが若者の一人客でした。


概要:監督、脚本は本作が長編デビューのエズミール・フィーリョ。
 “ミスター・タンブリンマン”というハンドルネームでインターネットに自分の詩を投稿する少年(エンリケ・ラレー)は、都会に住むチャットの相手から、3日後に行われるボブ・ディランのライブに誘われる。しかし、ブラジル南部の、ドイツ移民の伝統が残る小さな田舎町に住んでいる少年は、遠すぎることを理由に躊躇してしまう。ある日、少年はジュリアン(イズマエル・カネッペレ)と出会う。彼は恋人の“ジングル・ジャングル”(トゥアネ・エジェルス)と一緒に自殺を図るが、1人だけ生き残り、町に戻ってきたのだ。ジングル・ジャングルはインターネット上に、生前に撮影した映像を投稿していた。少年はその映像の世界に惹きこまれ、現実世界と仮想世界の境界が曖昧になっていく。少年は、死んだジングル・ジャングルへの自己同一視と、ジュリアンのいわれなき魅力、自分自身の解決できない絶望と格闘する。そして、少年はボブ・ディランのライブに行く決心をする。そのとき、少年の前にジュリアンが現われる。かつてジングル・ジャングルがしたように、少年はジュリアンについていこうと決める。しかし、少年はジュリアンと一緒に町を出ることはなかった。少年は橋に立ち、川を見つめる。そして橋を渡り始める。
"Movie Walker"より抜粋)


 思春期というのは、大人になった今、少々ばからしい事でも相当真剣に悩むわけで、その最たるものに人の死なんてのがある。
 本作を見て、16歳になったばかりのころ、ほとんど関わりがなかった同級生の女の子が病気で亡くなってえらくショックだったのを思い出した。二日間ほどベッドで寝込んでその事しか考えていなかった。
 で、不謹慎にも聞こえるかもしれないけど、その娘がとても可愛いかったのがショックに輪をかけていた。直接話したのは二度ほどしか無かったし、憧れていたわけでもなかったけれども、何しろ童貞まっしぐらの16歳、その娘が(おそらく)セックスを知らずに亡くなってしまったことがとても哀しいことに感じた。今考えたらえらく勝手だし品のない話なのだが、何しろ童貞一直線、その娘はヴァージンに違いないと勝手に思っていた。
 で、しばらくそのほとんど喋ったこともない女の子は僕の中で何故だか"聖女扱い"だった。そんなイタい16歳。

 そんな余計な事に首を突っ込んで悩み苦しみ、僕も童貞のまま死んでいくかもしれないという恐怖におそわれる。そういった漠然とした「性と死」への恐怖は、思えば僕なりの青春ゆえの閉塞感だったのであろう。

 「童貞ではなくなる」ってことは、性体験をすればなんとかなるものといえばそうなのだが、『(500)日のサマー』の主人公がいつまでたっても童貞臭さが抜けなかったように、セックスしようがしまいが、童貞臭さというのはなかなか抜けないものである。

 嫌なものに直接目を向けて悶々と悩まなくなり、閉塞感などは『シリアスマン』のように時が経てば消えてしまう。そうやって少年は童貞ではなくなるのだと思う。今回の論旨はそんなところ。


 まず、主人公が如何に、大人の視点から見たら、余計な悩みを抱き苦しんでいるかについて。
 本作でも主人公の少年は、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』同様、ブラジルの田舎町で"どこにも行けない"という閉塞的な恐怖を感じている。
 町は我々がイメージするサンバの国ブラジルとはまるで違い、寒々しく、霧に覆われ太陽は届かないどちらかと言うと北欧の寂れた田舎町といった感じ。そしてそれを撮すカメラワークもどこかピンぼけ気味だったり急にコマ落とし映像にしたり、神経症気味に揺れたりと妙にせわしなく、閉塞的なこの町にいるという不安を主人公の少年同様に観客にも感じさせる。

 口うるさいお母さんは孤独を紛らわせる為に犬とばかりおしゃべりして見るに耐えないし、しょぼくてジジババばかりのお祭りなんて息苦しくて参加したくない。少年は町を出てどこかに行きたかった。そんななかボブ・ディランのライブが3日後に行なわれるという情報を聞きつけ、少年は町を出ようと妄想を膨らます。
 町を出るためにそびえ立つ橋は自殺の名所。まるでどこにも行けないことに絶望した人々が必ず果てる場所のように、多くの人々が橋から飛び降り、「お前はどこにも行けないんだよ」とダメ押しをしてくるようで、少年の町を抜け出す勇気を殺ぐ。思春期の少年に「死」はそれが直接の知り合いではなくとも、とても重い。それが閉塞感をより増幅させる。


 彼のそのような思春期独特の閉塞感を少しは取り除いてくれるのが、インターネットとボブ・ディランである。

 インターネットだったならば現実の気が遠くなるほどの遠くへもクリック一つで行ける。
 "ミスター・タンブリンマン"ボブ・ディランならば、もしかしたらその歌のようにいつか少年をどこかに連れて行ってくれるかもしれない。しかしボブ・ディランは遠くでしかライブをやってくれないし、インターネットはその物理的な距離は超えてはくれない。

 本作のオープニングやエンドロールに使用される文字は、本編のどこか牧歌的とも言える雰囲気には似合わない、「デジタル」の記号的表現であるところの古臭いパソコンのフォント(黒い画面に緑色に光る文字)である。
 また主人公が夢で見るボブ・ディランのライブシーンもそうなのだが、どちらの描写も真っ暗闇にぽつんと光が灯っていて、その灯りに向かっていけばこの思春期の苦しみをスッキリ解消できる場所に到達できそうな気がする、そのようなイメージを持つ。


 少年はそのような中で二人の人間に出会う。

 まず暗中模索のようなネットサーフィンで主人公が出会った、夭逝したジングル・ジャングルと名乗る美しい少女の写真や映像。彼女は既に死んでしまっていてPCに閉じ込められたままもうどこにも行くことが出来ない"脚のない少女"である。若く美しく溌剌とした身体はもう失われてしまっている。
 主人公の中で彼女はまるで聖女のような「性と死」の象徴となった。

 このジングル・ジャングルのオシャレヒッピーな映像が本作の中心的なビジュアルイメージを占めているのだが、とてもいいと思います。色気とオシャレとが合わさったまるで資生堂のコマーシャルや岩井俊二のガーリーな映像のような、童貞の過剰に美しくエロくキュートな妄想がきちんと表現されている。


 もう一人の出会いがかつて恋人と心中して自分だけ生き残ってしまった青年ジュリアンである。何者かになりたくて、田舎町でくすぶって老いていくのが嫌で、街を抜け出そうとしていた青年。かつての心中はその願いが敗れたゆえだろうか。
 主人公はこの何者にもなれなかった青年のように、もしくはPCに閉じ込められた「脚のない少女」のごとく、この閉塞的な田舎町でくすぶったまま何者にもなれないまま(名前のないまま)死んでいくのかと、焦燥感にかられる。
 しかしかつて心中したまでのジュリアンはそれでも町から抜け出そうと、あきらめずに戦い続けられるすべを伝授してくれる。それは闇を知ること。闇と付き合うこと。
 先述のように目を閉じればそこにはボブ・ディランがいるし、PCの真っ暗なモニターには緑色に光る文字がある。瞳を閉じれば夭逝した聖女ジングル・ジャングルが現れて、その光の元へ向かえば、もしかしたら町から抜け出せるかもしれない。

 これは思春期の妄想であるとともに、暗闇の中ならば自分の嫌いなものは全て覆い隠してくれるという利点とも読み取れる。

 全てをあるがままに受け入れてそのたびにひどく傷ついていた少年は、暗闇と仲良くなることで見たくないものには蓋をする術を覚え、ちょっと大人になったのではないだろうか。そして町に停電が起きた夜、彼は人知れず町を抜け出したのだ。彼にとっての"光"ボブ・ディランに会うべく。
 そうやって童貞臭さは少年から抜けていくのだ。


 で、個人的な話に戻るのだけれど、僕は16歳のあの日から人の死にあそこまで落ち込むことはなくなった。そして童貞だったあの頃のように、映画や音楽や小説に感動し、グラビアアイドルにムラムラすることもなくなった。
 少年は目を閉じて妄想していくうちに、知らずに闇とうまく付き合い、見たくないものには蓋をしてやがては自身の感受性を遮断していくのであろう。
 大人になったいま「なんてことない」と思ってしまう、この映画の少年の気持ち(漠然とした閉塞感、見ず知らずの人の死、音楽への情熱、何気ない友人とのこっぱずかしい中二病トーク)は当時の僕にとってもひどく重要であったことを思い出した。


 以上、『名前のない少年、脚のない少女』は、思春期の少年が余計な事にわざわざ目を見張り悶々と悩み、余計な感情で閉塞感におちいる物語であったが、しかし思春期にとってはその苦悩がとても重要なものであり、そのような苦しみと痛みを経て童貞は童貞臭さを失っていくという思春期の心の繊細な動きを描いた映画であったと思う。


 もうちょい主人公の少年がニキビ面でブサイクだったらより共感できて良かったんだけれど、ヒヨッ子少年は日本やアメリカやイギリスでは一般的だけれど、ブラジルでは似合わなそうですね。もうちょいハングリーな不良っぽい童貞思春期がこの国には似合う。


 けっこう難しい映画です。映画自体の文法が従来の作品とは異なっているから読み取りづらい。そういう見方が嫌いでなければ、ガイドラインをある程度見てから鑑賞すると少しは理解しやすいかもしれません。基本的にちょっとイタい映画なのですが、そのイタさがとても印象的で、嫌いじゃありません。

 椎名林檎レベル。

 次回はウェス・アンダーソンの新作で、ロアルド・ダール原作の人形劇『ファンタスティックMr.FOX』の感想です。
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  1. 2011/04/02(土) 01:57:20|
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『ネスト』はひたすらバカだけどひたすら真剣だよ。

ネスト

 今回は頼まれて観に行ったシリーズ第5弾『ネスト』の感想。以前、リクエストを受けた『やぎの冒険』、きちんと観に行きました、が、見た順に感想書いて行きます。


 観に行った映画館は池袋テアトルダイヤ。池袋って映画くらいしか用がないなー。近くにあるラーメン屋が好きです。客層は年配の男女が多め。一人客ばかりでした。


概要:監督は『REC』などの脚本を手がけたルイス・ベルデホさんという方。脚本はジョン・トラヴィスさんという方。
 妻と離婚後、思春期の娘ルイーサ(イバナ・バケロ)と7歳になる息子サム(ガトリン・グリフィス)と3人で新天地に引っ越し、心機一転を図る小説家のジョン(ケヴィン・コスナー)。やって来たのは自然に囲まれた古い一軒家。周囲を散策していたルイーサは小高い丘を見つけ興味を惹かれる。以来、ルイーサは夜になると家を抜け出し、泥だらけになって帰ってくるようになる。娘の異常行動を心配し独自に調査を始めたジョンは、やがて、その屋敷のかつての住人と、側にある謎の塚に秘められた恐るべき事実に辿り着くのだが…。
"allcinema online"より抜粋)


 所謂"おバカ映画"というやつなのであろう。今回の論旨は真面目におバカ映画を描く素敵さについて。

 本作を要約すると、思春期の長女が最近変だなーと思っていたら彼氏を作っていたというよくある話です。以前『17歳の肖像』って映画についての感想を書いたけど、あれに近いです。あれは思春期の少女視点だったけれど、こちらはお父さん視点。その点では『スプライス』のエイドリアン・ブロディとグレンの関係に近いかもしれない。

 まあその彼氏が『17歳の肖像』のデヴィッドみたいなただのインチキ野郎だったらまだ良かったのですが、こちらはなんと地底に住む謎の生物(地底人?)。全国の思春期の女の子を抱えるお父さん、娘さんの様子がおかしいのはお父さんが嫌われちゃったわけでもホルモンバランスの変化でもなく、地底人(?)と交際しているからなのです。

 で、おそらく『スプライス』がてんでウケなかった我が国で、同様にあまり好かれないであろうこの映画に僕が妙に惹かれてしまったのは、そんな突拍子もないアイデアを、ギャグに走ることなく丁寧に綴ろうとしているからです。

 例えば真面目に作ってるポイントとしては、物語自体はよくあるお化け屋敷もの、引越し先が曰く付きで…といった調子のなのですが、果たしてその「不穏な空気」が何なのかわからない。地底人なのか悪霊なのか、はたまた本当にお父さんの妄想なのか。そういった嘘くさい物語ながらリアリティの線引きをきちんとした上で非日常を描くから物語に説得力がうまれている。

 また、思春期の娘と父親の微妙な関係の描き方がリアル。最後の最後まで、娘の様子がおかしいのはやはり単なる思春期の影響で、塚にいる何かの存在云々は単なる妄想なのではないかと思ってしまう。
「ちょっと触らないでよ!」とか、父親の小言に返事したりしなかったりするタイミングがあったり、たまにひどくしおらしくお父さんに甘えてみたり、妙にリアル。ルイーサ役のイバナ・バケロちゃん、『パンズラビリンス』の女の子なのですが、幼いながらもちょっと妖しく危ない魅力がうまく活かされている。そしてこれが物語では次第に単なる反抗期ではなくなってきてシャレにならなくなる。ここらへんの展開の飛躍の仕方にゾクゾクくる。

 あと単純に平凡な文系オヤジが、愛する者を守るために、ショットガン構えて戦うというスティーブン・キング的なシチュエーションには問答無用に熱くなりますよね。
 あくまで年頃の娘と父親の微妙な関係に重点を置いたストーリーである本作、冒頭、娘に「常に本気じゃない」と呆れられた父親は、最後の勇ましい活躍によって認めてもらえただろうか。


 以上のように本作は確かにあまり好評価を得られづらい作品ではあると思う。しかしアホな題材でも丁寧に真面目に作るという覚悟と実力をもって作られており、単なる「B級ジャンル映画」のレッテルには収まりきらない妙な魅力を兼ね備えていると感じた。
 こういう映画がちょくちょく作られるアメリカって本当に無邪気な国だよなーって頭が下がる。


 といっても不満点はたくさんございます。
 まず地底人(?)のデザインが面白くない。『第9地区』のエビちゃんのような意外性と、本当にいるかもって説得力、あと出来たら愛嬌が欲しかった。
 それと大きな事件がなく、たらたらと進む前半はやはりちょっと退屈。その分終盤のカタルシスはあるのだけれど。
 あと最後の父親の決断はどうだろうかと思う。あれ自体は悪くはないのだけど、あそこまでするなら『ミスト』くらい完全に追い詰められてからではないと。


 そんな感じ。決して名作ではないし、歴史にも残らない作品だとは思いますが、その志の高さと、きちんとその面白さが志に追いついてきているのが、好感が持てる作品でした。まぁ映画を撮る以上、題材がどんなものであれ真面目にやってくれなきゃ困るのですがね、題材に甘んじてナメた作品造りをする映画が多いのでその頑張りが際立ってしまっている。

 指原莉乃レベル

 次回は久々に話題作ですよ『GANTZ』の感想だす。読んでくだちい。

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  1. 2011/02/06(日) 23:44:18|
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『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』は相変わらず優しい兄ちゃんだよ。

nowhere boy
 今回は『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』の感想です。
 ビートルズとジョン・レノンが好きなので、とても楽しみにしていた作品です。
 
 観に行った映画館はTOHOシネマズ六本木ヒルズ。夜遅くの回だったのでほとんどお客さんはいませんでした。若いカップルと、女の子、オジサンが数名。


概要:監督はサム・テイラー=ウッドという、現代美術で有名な人。ジュリア・ベアードが描いた原作を、マット・グリーンハルシュという人が脚本化。このサム・テイラー=ウッドという監督、本作の主演で23歳年下のアーロン・ジョンソン(19)と結婚するそうです。すげ。
 1950年代半ばのイギリス、リバプール。幼い頃から伯母夫婦のもとで育てられたジョン・レノン(アーロン・ジョンソン)。すっかり問題児となってしまったジョンを厳しくしつける厳格な伯母のミミ(クリスティン・スコット・トーマス)に対し、いつも優しく接してくれる音楽好きの伯父ジョージ(デヴィッド・スレルフォール)。ところが、そのジョージが急死してしまう。悲しみに暮れていたジョンは、葬儀の日に実の母ジュリア(アンヌ=マリー・ダフ)を発見する。やがて、意外にも彼女がすぐ近所に住んでいたことを知ったジョンは、ミミには内緒で会いに行く。するとジュリアは、実の息子をまるで恋人のように迎え入れるのだった。まだ新しい音楽だったロックンロールを愛し、奔放に生きるジュリア。そんな彼女と過ごす秘密の時間を満喫し、いつしか彼女の影響でロックンロールに夢中になっていくジョンだったが…。
"allcinema online"より抜粋)


 ジョン・レノンのカッコ良さとは何であろうか。
 巷では聖人扱いされることが多いけれど、個人的には、男らしくツッパっていて、ビートルズやビートルズファンの兄貴分的な存在で、悪ぶっているけれどとても優しい、古き良き「不良」のイメージ。彼の楽曲も相まって、ぼくは彼のそこに憧れるのだ。しょっぱなから『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』のパロディで始まる本作は、そのような典型的な「優しい不良」が如何にしてミュージシャン「ビートルズ=ジョン・レノン」へと成長をしていったかを描く物語である。
 若き頃からジョンは優しく、その優しさ故に「孤独」へと陥った。しかしその優しさ故の「孤独」が、彼を音楽に導き、数多くの偉大な曲を誕生させた。

 厳格で凛とした態度でジョンを育てる育ての親のミミ伯母さんと、躁鬱を患い彼を猫可愛がりする実の母ジュリア、二人の母親の間で揺れ動く青年ジョンは、ダサいメガネを心配性のミミ伯母さんの前ではきちんとかけるような優しい青年のため、どちらの愛も敏感に感じとってしまい、両者に気をつかった結果どちらに対しても息子として振る舞えなくなり、その行き場を失ってしまう。そして彼は優しいが故に孤独になり、孤独をまぎらわすため、酒やタバコ、ナンパや喧嘩にあけくれ「不良」のレッテルを貼られる。
 そんな彼の「優しさ故の孤独」を癒したのがロックであった。
 ジュリアがハイになって実の息子に色っぽく語る「ロックンロールってセックスって意味なのよ」という言葉、彼女は実の息子ジョンを、どこか男性として見ている。そして彼女は孤独を紛らわすべくセックスをする。
 ジョンが孤独をセックスではなくロックにて癒したのは、母親を見て、そういったセックスに対する拒否反応が有ったからなのだろうか。
 だからジョンはまだ未熟な手腕でロックを掻き鳴らす。彼は何度かギターを弾く事をオナニーに例えて笑っていたが、それはあながち間違ってはなく、ギターは彼にとって性的なものの代替なのであろう。
 そしてその「孤独と愛」が高まれば高まるほど、彼の音楽は我々ビートルズに近づいていく。

 主人公演じるアーロン・ジョンソンは、物語が進むに連れて容姿だけではなく歌声や仕草までジョン・レノンそっくりになっていき、バンドメンバーにポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンが加わっていくことで演奏が聞き覚えある感じになっていくのは、ファンならニヤリとするところ。

 ビートルズやジョン・レノンの曲が時代や人種を超えここまで愛されるのは、それが常にどんな形であれ「愛」を歌っているからなのかもしれない。
 終盤、彼は憎もうと思えばいくらでも憎める二人の母親を、「愛している人を憎んでもしょうがないし」と、それでも愛し続ける決心をした。そのシンプルで難しそうで簡単な決断は、彼の音楽を「愛」に溢れさせた。こうやって我々が知っている「優しい不良」のザ・ビートルズ=ジョン・レノンは誕生したのである。
 彼がその後凶弾にたおれるまでずっと「優しかった」ことを付け足しておくようなシメのナレーションがとても粋で良かったです。

 ゴールがなんとなく見えている分、物語のテンポも心地よく、単なる再現ビデオになりそうなところを創意工夫した映像で見せていったりとなかなか飽きさせない。

 ただやはり物語が「ザ・ビートルズ=ジョン・レノン」ありきなので、そこにおんぶに抱っこしてしまっている点はあまり好きじゃない。この映画だけ見てもジョン・レノンがどんなにすごいかは分からないし、彼が後に愛に溢れた不良のロッカーとして成功するという事はまるで描かれないし。まぁジョン・レノンを知らない人が、もしいたとして、この映画を見る事はあんまりなさそうだしいいのかな。

 ビートルズやジョン・レノンのファンなら見て損はないです。
 『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』『ヘルプ!』『イエロー・サブマリン』などのビートルズ出演映画、『マジック・クリスチャン』『CANDY』『おかしなおかしな石器人』『ジョン・レノン 僕の戦争』『ワンダーウォール』などメンバーが個人的に出ていたり演奏していたりする映画、『抱きしめたい!』『バック・ビート』『アクロス・ザ・ユニバース』『チャプター27』や本作『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』のようなビートルズに関する映画などなど、あげていけばキリがありませんが、ビートルズ関連は良作が多いですね。

 高山侑子レベル。 

 次回は『怪盗グルーの月泥棒』の感想を書きたいと思います。


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  1. 2010/11/13(土) 02:01:34|
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『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』はエロティックな雨が降るよ。

ヌードの夜

 今回は『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』の感想でございます。
 観に行った映画館はシネマート新宿。あそこの小さい方の劇場。病院の待合室みたいですよね、あそこ。月曜日メンズデーということもあり、客層は男だらけ。しかも見事に全員一人客。き…気持ち悪い!
 当ブログの元ネタラジオ番組である『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』のその週の課題映画がこの映画だった事も混んでいた理由でしょうか?


概要:93年の『ヌードの夜』の続編的な映画。監督・脚本は『ヌードの夜』『天使のはらわた』『夜がまた来る』『GONIN』などの石井隆。
 とある街でバーを営む2人の姉妹 桃(井上晴美)とれん(佐藤寛子)、そしてその母あゆむ(大竹しのぶ)。ある日、妹のれんが、“何でも代行屋”の紅次郎(竹中直人)を訪ね、父の散骨時に落としてしまった形見のロレックスを捜してほしいと依頼する。少々疑問を感じながらも、天使のようなれんにほだされ、とうてい見つかるとは思えない依頼を引き受ける次郎。やがて、偶然にもロレックスを発見するが、そこには肉塊らしきものが。不審に思い、知り合いの女刑事安斎ちひろ(東風万智子)に調査を依頼すると、ほどなく返ってきた鼠の肉との回答に安堵する。しかし実際には人肉で、ちひろは次郎を泳がせ監視することに。そうとは知らない次郎は、ロレックス発見に気をよくしたれんから、新たな依頼を受けるのだったが…。
("allcinema online"より抜粋)


 本作の副題『愛は惜しみなく奪う』とは、「愛」が「誰」の「なに」を惜しみなく「奪う」のか。そこを考えてみたい。

 本作には「雨」の描写がやたらと多い。ほぼ全編降っていると言っていいだろう。屋内のシーンでもシャワーシーンがあったり、終盤の天井から落ちてくる無数の銀色の粒子があり、これらも「雨」を象徴していると言っていいだろう。また冒頭の肉片をまき散らすシーンも「雨」のようである。
 「雨」は何を表すのか? 佐藤寛子演じるれんは「雨で服が濡れて冷たいから脱ぐ」といい全裸になる。また父親の山神(宍戸錠)に犯されかけた時、その身の汚れを落とすように服を脱ぎシャワーを浴びる。
 れんは、時に清純であり時にエロティックであり時に悪魔のようであり時に天使のようであり、『ヌードの夜』というタイトルとは裏腹に、脱いでも脱いでもその本性がどこにあるのかわからないキャラクターであるが、彼女は雨にうたれているとき、身体も心も「ヌード」になる。
 例えば『シングルマン』も、主人公のジョージは服を脱ぎさっていくことで自分の真の心が表れていったが、彼女も同様。シンプルだった『シングルマン』と違い、もうちょい複雑な脱ぎにくい表層を持っているが。

 竹中直人演じる紅次郎は観客視点のキャラクターであるが、彼はれんとは逆に裏表の一切ない、見つからなくて当たり前の100万円のロレックスの腕時計をきちんと届けるような、馬鹿正直なキャラクターであり、れんは彼の正直さを恐ろしい殺人計画に巻き込むのにうってつけだと身体を使って利用する。
 しかしながら一夜(いや半夜もない)の肉体の関係によって、正直者の紅次郎は彼女を愛してしまう。「嘘をつけない男」と「嘘しかつけない女」。れんもまた彼を愛しているフリをして騙しながら、心の底では本当に愛してしまっていたのではないだろうか。
 何故なら彼女が紅次郎に会い、彼を信頼する「フリ」をしていたとき、彼女は常に「雨」に濡れていたからだ。あれは「フリ」ではなく「ヌード」の心であったのではないだろうか。

 すると最後のシーン、彼女に天井から降り注ぐ銀色の粒子がふりかかる時見せた表情と台詞は「嘘」ではなくて、また紅が言うように、彼女の本性は悪魔ではなく天使だったのではないだろうか。
 おそらくそのような彼女の本性は、紅以外、誰も信じやしないだろうが、紅はそれを一心に信じ続けるのであろう。それが損な性格だと分かっていながらも。
 何故なら彼は最後、絶望の淵から立ち上がるからだ。(絶望から立ち上がるという描写を「食べる」という行為に置き換えた演出はとても好き。前作の哀しい結末と対比になっているのであろう)
 「嘘」が苦手な紅は作中二つの嘘をつくが、その一つがれんに警察と通じていることを隠したこと、それが結果的に彼女の完全犯罪を失敗させ、彼女を死にいたらしめるわけであり、紅はそこに絶望を感じていた。
 そしてもう一つの嘘が警察に猫を飼っていると言ったこと。しかしある雨の日に死んだれんの生まれ変わりのような猫が彼のもとに迷いこんでくる。「雨」が「嘘」を洗い流し、「嘘」を「真実」にしたのである。
 だからいつも雨に濡れていたれんが紅を愛していると言ったその気持は、服を着た「嘘」ではなく、「ヌードの心」だったと、彼は信じることができ、だから生きるために前進をはじめたと考えられる。

 本作はやたら下からのアングルが多い。前作『ヌードの夜』にも増して、閉塞感がすさまじく、死体の臭いが漂い、ドロドロヌメヌメした決して気持ちのいい映画ではないのに、見終わったあと、シャワーを浴びたあとのように、大泣きしたあとのように、どこか爽やかなのは、我々も下からのアングルで見続けたことで雨に濡れ、「ヌード」にされたからではないだろうか。

 以上、本作の副題は色々な意味が込められている。父親の歪んだ「愛」がれんの人生全てを奪ったともとれる。れんの偽りの「愛」が紅の善を奪ったともとれる。しかし紅の「愛」がれんの「服(表面)」を奪って、偽りつづける彼女の心を「ヌード」にしたともとれるのではないだろうか。


 他に良かった点は、なんといっても佐藤寛子の官能美。前作の余貴美子に増して本当にエロティック。この人、もと生徒会長なんですよ、うひょー!!
 大竹しのぶと井上晴美との悪女だらけの三人家族がアンリ・ジョルジュ・クルーゾーの『悪魔のような女』を彷彿とさせてとても良かったです。彼女たちの悪事をもっと見ていたかった。缶ビール片手に死体を切り刻むシーンとか凄まじい。
 90年代前半的な音楽や美術のチープなセンスも、前作ほどではないにせよ、日本製フィルムノワール的で良かったです。

 ただ前作と比較してインパクトあるシーンが少なめだったのが残念。前作はクローネンバーグ風のゴアファンタジー描写とか、エンディングに海中から引き上げられる黄色の車などが印象的でした。

 谷澤恵里香レベル。

 次回は、当ブログは基本日本で劇場公開されている新作映画を取り扱う事にしているのですが、これは新作扱いでいいのでしょうか? 『アバター<特別編>』(IMAX 3D上映)の感想を書いてみたいと思います。ほな!


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  1. 2010/10/31(日) 01:16:17|
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『何も変えてはならない』は「今」しかないよ。

何も変えてはならない

 あと数時間で『仮面ライダーオーズ/000』だよ!!タカ!トラ!バッタ!!タ・ト・バ♪タ・ト・バ♪タ・ト・バ♪

 そんなわけで『仮面ライダー000』に先駆け、音楽を扱った映画を特集するよ。今回は『何も変えてはならない』の感想。実は『シルビアのいる町で』を観に行く予定だったのが、残業が長引いて行けず、仕方なしに時間が丁度良かったので観に行きました。

 観に行った映画館はユーロスペース。割引の少ないこの映画館で珍しく1000円で見れる「映画サービスデイ」に観に行きましたが、時間も遅いし、作品もそんなに入るタイプの映画でもないので、そんなに混んでいませんでした。ほとんどが一人客。老若男女おりました、20~40代くらい。


概要:監督は『ヴァンダの部屋』『コロッサル・ユース』のペドロ・コスタ。
 『そして僕は恋をする』『恋ごころ』『ランジェ公爵夫人』など多くの映画で活躍するフランス人女優ジャンヌ・バリバールのミュージシャンとしての活動を5年かけて撮ったドキュメンタリー。



 今までで最もストーリー解説がラクな映画ですね。

 今作はなぜ「何も変えてはならない」のか?


 まず、この作品の映像の解説から。
 この作品は闇夜のように真っ暗な空間に、ストーリーはおろかカメラワークや編集によってすら作品を語ることもなく、まるで共感を拒むような「現実味のない現実」に、ただわずかに差し込む光と、いつまでも完成を見ない歌(練習風景やレコーディング風景のみで完成されたパフォーマンスはない)をもって綴られていく。
 「現実味のない現実」とはまごうことなき現実をフレームで区切ることにより、何か特別な意味を持った異空間へと変化させたものであり、それはまるで荒木経惟の写真を思いださせる。

 そのようにしてスクリーンに映された「現実」は寂しくもあるが、力強く、可愛く、美しい。それは作品内に入り込んで触れたくなる衝動を与える作品(例えば『アバター』など)とは逆に、何故だか触れてはならないような、触れて指紋などつけようものなら瞬時にそれが台無しになってしまうような「美」である。


 何故その「美」の表現が可能かというと、やはり本作が「ドキュメンタリー映画」であるからだ。「ドキュメンタリー」とはノンフィクションであり、それ故に絶対に繰り返せない「今」を切り取っている。
 今作に流れる全ての歌が未完成のままなのも、「今」を大切に扱う映画であるためである。なぜならその完成形としての商品化された歌(例えばCD)は反復可能で「今」だけのものとは言い難いからだ。レコーディングの風景すら、ミキシングする前の歌だけを入れるシーンと、そこに後から被せる音を演奏しているシーンとを別けて撮している。
 「今」は一度きりだからこそ美しいのであり、だからこの映画はドキュメンタリー故に美しいのである。


 「何も変えてはならない」とは、そのような「今」を加工してはならないというメッセージと読み取ったのだが、このゴダールの『映画史』の発言から引用したフレーズは以下のように続く。「何も変えてはならない、すべてが違ったものとなるために」
 「今」がその時限りのものであるように、万事は変化する運命にある。最も美しい「今」を映像作家の手で加工することは、最も美しい「次の今」を狂わせてしまう。
 だから映像作家はただひたすら美しい「今」を観察するだけなのである。


 本作を象徴するシーンにオッフェンバックの一節を徹底的にしつこく厳しくレッスンするシーンがある。一切の解釈の余地を許さないほど細かく厳しく教える鉄のハートを持つような声楽教師は声だけの出演でその姿は映されない。
 そのレッスンに対し、ジャンヌ・バリバールは、イライラしたり、おどけたり、反抗をみせたり、あきれたり、老婆のようにくたびれた顔をしたりと様々な「人・女性・歌手・女優」の顔を見せながら、やがてその厳しい教諭に忠実に完璧に歌いこなす。その姿はやはり美しい。
 声楽教師の鉄の態度に観客は『何も変えてはならない』という本作のタイトルを思い出す。
 「歌」をレッスンするバリバールの表情は、前回感想を書いた『キャタピラー』の寺島しのぶと同様の、はつらつとした生命感にあふれる顔である。バリバールは歌うことをインタビューで「最初に足を踏み出した興奮(話もできず、泳いだこともない頃の)を、物心がついたあともいつまでも辿り直している、そんな状態」と言っている。「歌うこと」が彼女の「はじまり」を繰り返しているために、歌っている彼女はその生命感をみなぎらせているのであるならば、やはり「何も変えてはならない」のであろう。「今」の生命だけがみなぎらせることができる「美」とその次に来る変化した「今」の「美」のために。


 以上、本作はかけがえのない「今」のありのままの美しさをジャンヌ・バリバールという人間と彼女の歌に集約して描いた作品だと思われる。抽象的な感想でごめんなさい。


 不満点というほどではありませんが、ワガママを言うのならば、このような作品はカラーで見せて欲しかった。人間の目は基本カラーである。モノクロ画像は目に映るものの生々しさ毒々しさを抜いてしまう。やはり真っ正面から現実を切り取るのであれば、この映画の場合、カラーの方が望ましい。もしカラーで撮った「今」が美しく切り取れていたならばより面白く刺激的な映画になっていただろう。


 まあこの手のは万人にオススメできる映画ではもちろんありませんが、一つの映画の形として見ておくのも経験としていいと思います。個人的にはいつまでも映画の中にひたっていたいような喜びを感じさせていただきました。ちょっと一回見ただけじゃ、理解しきれないところも多く、アレなんで、色々とコメントで感想書いていただけると幸いです。

 大後寿々花レベル。

 次回は話題作なのかな、原恵一監督の最新作『カラフル』の感想をば!!


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  1. 2010/09/05(日) 02:30:10|
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