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『トスカーナの贋作』を鑑賞すると映画を鑑賞する体験ができる映画だよ。

トスカーナの贋作

 『海賊戦隊ゴーカイジャー』面白いですね。もう2回観てしまった。
 個人的にはスーパー戦隊史上もっとも何ともいえない変身ポースのグリーンが気になります。OPで一人だけ走っているし、ファイナルウェーブの時はバットみたいにサーベル振り回しているし、西部劇みたいに転がしたドラムに合わせて身体をくるくる転がしながら2丁拳銃撃つし。
 ロボ戦も楽しいです。上位種の戦闘員とか巨大化するし。
 アカレッドとマジレッドの出演には大興奮しました。久々に、実に一年ぶりくらいにスーパー戦隊が楽しみでございます。
 デカレンジャーたちのデザインはスーパー戦隊でもトップクラスのカッコ良さですね。デザインではデカレンジャーとバイオマンが好きです。


 今回はどうしても名前が覚えられないアッバス・キアロスタミ監督の新作『トスカーナの贋作』の感想です。
 観に行った映画館はユーロスペース。初日だったのですがそこまで混んでいない様子。客層はご年配の方が多めでしたが、若い人も多め。総じて一人客が多かったです。


概要:『友だちのうちはどこ?』『そして人生は続く』『桜桃の味』などのイランの巨匠アッバス・キアロスタミの監督・脚本作品。この監督にとって海外ロケ、海外の俳優での監督作品はかなり異例。
 イタリア、南トスカーナ地方の小さな村。ここで、本物と贋作についての新刊を発表した英国の作家ジェームズ(ウィリアム・シメル)の講演が行われた。その講演を聞きに来ていたギャラリーの女主人(ジュリエット・ビノシュ)はメモを残し息子(アドリアン・モア)と共に退席する。やがて、女のギャラリーにジェームズが現われ、2人は彼女の案内で近くの名所を散策するべくドライブに繰り出す。車中では本物と贋作を巡る議論が熱を帯びていく。その後、カフェで一服する2人は、店主(ジャンナ・ジャンケッティ)に夫婦と誤解されたのを機に、ゲームを楽しむように長年連れ添った夫婦を演じ始めるのだが…。
("allcinema online"より抜粋)


 キアロスタミ作品の魅力はあらすじを一行で書けてしまうようなシンプルな物語性と、「そこに深遠なるテーマがあるのでは」と様々な解釈の余地を提供して、色々と深読みさせる喚起力みたいなところにあるのではないかと僕は思う。
 キアロスタミの作品に限らず優れた映画(をはじめとする創作物)というのは様々な解釈の余地を提供する。観客は多かれ少なかれ与えられた作品という素材に様々な解釈という味付けをすることで、その作品を名作たらしめる。

 本作『トスカーナの贋作』は、ひどくメタ的な表現になってしまうが、そのような「映画鑑賞体験」を描いた映画であり、その結果映画を鑑賞する行為に見直しを与える作品なのではないかと考える。


 主人公の一人ジェームズはその著書で「本来的な本物」など存在しないという。全てが偽物であり、例えばダヴィンチの『モナリザ』はそのモデルになった女性(ジョコンド夫人というそうです)のコピーにすぎないし、その女性にしたって親のDNAのコピーにすぎない。万物は贋作であり、それを「本物」たらしめるのは周囲の評価なり、自身の感想だったりする。例えば中盤に登場する喧嘩しているように見える中年の男女はよく見ると男性が携帯電話で話しているだけであった。ジェームズが勝手に「喧嘩している」という価値を与えてみていただけなのだ。また、作中に登場する『トスカーナのモナリザ』と呼ばれる絵。何百年と贋作とは気づかれずに賞賛を受けており、ようやく贋作だと知れたのは100年ほど前。しかしそのあまりの出来の良さから「本物より美しい贋作」として今も愛でられている。

 この例をもうちょっと深く突っ込んで考えると、作品を名作たらしめる原因の一つとして「鑑賞者のエゴイズム」というのが多いにあるということがわかる。今まで名作と信じて愛してきたものが偽物とわかったところでそれまでのそれに対する愛を否定はしたくない。否定してしまえば自身の今まですら否定することになってしまう。
 同様に、映画や小説を鑑賞する際に特によくあることだが、その作品にごく個人的な自身を強く投影した結果によって、はじめてその作品に感動できる。そしてそのエゴイスティックな行為こそ「解釈」である。


 で、『トスカーナの贋作』であるが、この作品は様々な「解釈」の余地を意図的に用意してくる。

 例えば小津安二郎に影響を受けたキアロスタミ映画らしい正面からの構図や、シンプルきわまりない編集、また劇中一切音楽が流れないことなどのごく基本的な映像描写により、観客の感情移入のベクトルを余計に操作しないで作中にすんなり入り込ませようとする。

 また本作にはこれ見よがしに用意された謎がいくつかある。
 例えば序盤でジェームズがビノシュの妹マリーに書いたサインのメッセージを読んでビノシュが怒った理由とか、突然喫茶店で女主人がビノシュに何を耳打ちしたのかとか、ジェームズが感動したという旅先で見つけた母と子の言動とは何だったのかとか。
 しかしそれらの謎は解明されない。多分解明する気もないし、下手したら答えなど用意していないのかもしれない。その解答用紙の空欄に答えを書き込むのは観客の仕事なのだ。観客が自由に自己を投影させた答えを書いていいのだ。

 また南欧の歴史ある風景と午後の日差しは、様々な思いを連想させるのにうってつけだというのも付け加えておく。

 このようにして、何も語らない映像に観客は自由に思いをはべらす。
 すると物語は「進化」をはじめるのだ。関係など何もなかった作家とビノシュが、夫婦と間違えられたことをきっかけに、「偽物」の夫婦を演じ、いつの間にか次第に「本物の夫婦」へとなっていくのだ。すなわち「贋作」が、観客によって意味や価値を付随させられて、「本物」へとなっていくのである。

 実はこれは我々が他の映画を見る時も無意識的に行っている行為である。
 映画とは、『女優霊』で語られたように、そもそもが現実の偽物。映画に感動を求めようとも「私は偽物に感動しているのだ」という後ろめたさすらある。
 その「偽物」を「本物」へと近づけさせようとしたのが『アバター』でジェームズ・キャメロンがやろうとした行為だし、その「偽物」の「偽物臭を薄める」という行為はあの映画の3D映像とストーリーでいくらか成功していたと思う。

 が、この映画は違う。本作はむしろ映画だけではなく万物が偽物であるという否定行為からはじまり、結果映画をはじめとする全ての創作物の相対的な価値を高めているのだ。
 『アバター』とはまた別の形で映画鑑賞という後ろめたい行為をニヒルに肯定しているのではないかと思う。


 このように『トスカーナの贋作』は、映画鑑賞をする者の体験を映画化し、偽物に意味や価値を付随していくことで本物へとしていく行為を再現していき、映画鑑賞という後ろめたい行為の肯定を行っているのではないかと考えられる。


 ちと難解だし、決して楽しい映画ではありませんが、映画好きを自称する方なら見て様々な深読みをするのが楽しい映画だと思います。この映画が語るように見た人の数だけ違った名作の形が現れる作品だと思います。

 谷村美月レベル。

 次回はおそらくなのですがイーストウッドの新作『ヒアアフター』の感想を書くと思います。違う映画になったらごめんなさい。まだ観ていないのです。

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/02/21(月) 01:38:14|
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