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「少年ジャンプ」と水木しげると映画とおもちゃと特撮を愛します。

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『カラフル』はド直球アニメだよ。

カラフル

 今週はいまいち更新できなくいてごめんちゃい。
 今回はそこそこ話題のアニメーション作品『カラフル』の感想でございますよ。なんかすげー長くなってしまった。

 観に行った映画館は新宿バルト9。平日昼間なのに結構混み合っていました。女性の客がやや多めでした。


概要:監督は『クレヨンしんちゃん』や『河童のクゥと夏休み』の監督原恵一。原作は森絵都のジュブナイル小説。
  死んだはずの“ぼく”は、プラプラ(声:まいける)という天使らしき少年から“おめでとうございます。あなたは抽選に当たりました”と話しかけられる。大きな過ちを犯して死んだ魂のため輪廻のサイクルから外れてしまうはずだったが、再挑戦のチャンスが与えられたというのだ。そして、自殺したばかりの中学生“小林真”(声:冨澤風斗)の体を借りて、自分の犯した罪を思い出すため下界で修行することに。ところが、父(声:高橋克美)は偽善者で、母は不倫中(声:麻生久美子)、そして自分をバカにする兄(声:中尾明慶)とは絶縁状態という最悪の家庭環境。おまけに学校でも、友だちがひとりもいない上に、秘かに想いを寄せる後輩ひろか(声:南明奈)が援助交際をしていた事実を知ってしまうなど、まるで救いのない日々だった。そんな中、真の体に収まった“ぼく”は、真っぽくない振る舞いで周囲を困惑させてしまうのだが…。
("allcinema online"より抜粋)


 『クレヨンしんちゃん』の映画は毎年映画館に脚を運んで見ていたほどのファンでしたが、原恵一監督が好きというよりも『クレヨンしんちゃん』愛が強く、『クレヨンしんちゃん』じゃないならと『河童のクゥ』も見ていなかったし、正直あんまり期待もしていなかったんです、この映画のこと。
 テーマソングに尾崎豊やブルーハーツ使っているその直球っぷりは恥ずかしいし(しかも本人が歌う曲でなくカバー)、声優はなんか下手な子役使ってるし、麻生久美子が出ている予告編はダサいし、そもそもダメな少年の日常に天使や悪魔が介入してくるって「少年ジャンプ」の新人が描く読み切り漫画の設定みたいだなって。
 てなわけで、『河童のクゥ』もそうだったようですが、かなりこういった先入観を抱いている人が多いと思われ、原監督が実際どの程度計算してセンスよく気取ったり斜に構えて物事を見るのを避け、センスがださく思われようともあえて直球を投げつけてきているのか、はたまた本当にセンスがアレな人かは存じあげませんが、パッケージングの点でかなりチャンスロスを招いているような。
 申し訳ありません、面白かったです。終盤の食卓のシーンでおいおい泣いてしまいました。


 今回の論旨は、今作が何故アニメである必要があるのか?
 「実写でやればいいじゃん」と言われそうな本作であるが、アニメであるからこそ、その感動も増幅されているのではないかと考える。そこんとこを解説していきたい。

 まず人物や社会の描写に注目してみたい。
 例えば中学校の描写。朝、教室に入った時に感じる、過剰な自意識のせめぎあいや残酷な集団心理の働いたあのツーンとしたイヤな感じ、例え殺し殺されがなかったにしても中学の教室はいつだって『告白』『バトルロワイヤル』だったのを思い出した(一方で部室が心安らぐ場所っていうのがまたリアル、後輩にはきちんと挨拶されたり)。
 また、例えば中盤、主人公が不良に絡まれるシーンの暴力が本当に痛い。すごく不快。
 それと、後述するけれど、食卓シーン。
 このように、丁寧に作り込まれた人物描写に、僕のような斜に構えて見ていた観客もドラマにぐいぐいと引き込まれていく。主人公の小林真と自分を重ね、まるで中学生のナイーブで年中ムンムンもんもんしていたあの頃のような気持ちになる。

 これがもし実写映画だったら、その直球の演出でぐいぐい観客を引っ張るのはよほどの手腕でないと難しかったであろう。「絵」がまるで現実のごとき「動き」をする快感にアニメの極意はあるのではないだろうか。子供が人形劇やアニメ、はたまたモンスターやロボットに夢中になる理由である、「人ならざる人にそっくりなもの」が人そっくりに感情を持つその背徳的な快感をアニメは本来的に備えている。だからその心理描写がリアルならリアルなだけ観客は作品の虜となる。(心理描写がリアルになる理由については後述)
 ただその分、『河童のクゥ』よりは幾分マシになっていたけれど、なんだかぎこちないアニメの「動き」の部分で、かなり損をしている気がしてならない。まるでホンダasimoが歩いているようなキャラクターの動き、先に暴力シーンを褒めたけれど、それは攻撃を喰らったキャラクターの心の痛みの描写が良かっただけで、パンチや体当たりに重量感がまるで感じられず身体の痛みを感じられなかったり、そういうの宮崎駿や庵野秀明や細田守だったならば絶対に許さないところなんだろうなーって。


 続いて、執拗に描かれる食事シーンが導くものについて。
 『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』と同様に、本作において食事シーンが非常に重要になる。

 まず母親の手料理がとても不味そう。中盤にある母親のエロティックな手つきで作られた料理は、香水やら卑猥な何かがべっとりくっついてそうで本当にイヤな気持ちになる。だから主人公小林真は封が閉じられたスナック菓子ばかり食べる。ご飯もふりかけをかけないと食べないし、左手を出さないで右手だけで食べたり行儀も悪い。これが、終盤母親と真が分かり合っていくことで、次第に美味しそうに思えてくることが見事。
 で、逆に美味しそうに見えるのがコンビニに売っている「肉まんとフライドチキン」である。それは主人公の大好物であるローストビーフやハンバーグよりも安っぽいものだが、一方で中学生にとってとても身近でお小遣いで買えるごちそうである。
 壮大な旅はいらない。ちょっとした散歩や近所の靴屋の買い物、そしてコンビニの「味の素」がびっしりのスナックが中学生にとっては重要であり、長い長い人生の設計を見据えた高校選びより、一緒に肉まんとフライドチキンを分けあえる友人と一緒の学校に行くことの方が重要な問題であり、地元の短い距離を走っていた小さく素朴なチンチン電車の跡地を友人と呼べる者と肩を並べ探索していくことが何にも換えがたい喜びなのである。

 物語で主人公がおかれる思春期という時期は大人でも子供でもない中途半端な時期であり、等身大の自分は子供っぽいままなのに(それを象徴するかのように、小林真の身長は中学3年生にしてはえらく小さい)、周囲は意識的にも無意識的にも以前よりも大人っぽい選択や判断を強いてくる。

 で、主人公の「死」という問題をあまりに軽く描き過ぎではないかと鑑賞中思っていたのであるが(小林真の自殺の理由は、好きな娘が援助交際し、母親が不倫している現場を目撃してしまったという「それで自殺するか?」って理由だったりする)小林真は中学生なのである。好きな女の子と家族は彼にとってほぼ全ての世界なのである。そんなみみっちい世界に暮らす彼らにとって、「死」の問題とは大人が思っている以上に身近なところにあるのかもしれない。

 そういった主人公たちが置かれる微妙な立ち位置を「肉まんとフライドチキン」はうまく象徴している。


 このように「死」にせよ「食べ物」にせよ、本作で扱われる問題は地味で身近である。地球の危機も起きないし巨大ロボットも河童すらでない。それをアニメーションで行なう意味を考えてみたい。

 まず、本作のテーマは「カラフル」である。人は漫画やアニメのように一つのキャラクターだけを持っているのではない。内面に多くの色を持ち合わせているはずだ。暗い奴も明るい色を持っているし、華やかなあの娘も醜い一面を持っている。

 先に「アニメは『人間でない人間っぽいなにか』が人間っぽく動くのが面白い」と書いたけれど、アニメにすることで、例えば人は人でなくなる、犬も太陽も食べ物も死もそれっぽい違うものとなる。それは現実や実写映画よりも幾分強調・象徴化されたものであり、上記のような「地味で身近な問題」も我々が普段生活で接しているものよりも、強調・象徴化されたものとなる。なぜならアニメの元となる「絵」は、実写映画の元となる「写真」に比べ、より作り手の心象が反映されやすいからだ。
 前述のように本作は中学生のリアルな心情を描けているが、その理由として、この「強調・象徴化」というアニメーションが作品に否応なく付与する効果が、うまく中学生の(フライドチキンと肉まんが何よりのご馳走で、自殺の理由はしょうもなくて、自意識過剰で、学校と近所が全世界の、彼らにとっては切実だが、大人にとっては)「みみっちい日常」を修飾することで、観客は、日常生活でついつい見逃してしまいがちな彼らの複雑な心情を、等身大に感じることができるからなのである。そして、言い換えれば、この物語をアニメで描くことによって、「人の内面は一色ではなくカラフルである」ということを感じることができるのである。
 このような点において、本作はアニメで描かれる必要がある。


 以上、アニメーションでリアルな心理描写を行なうことは、「人間っぽい何かが人間っぽい行動をとる」こととなり、観客を夢中にさせる。そして、本作で描かれる「中学生のリアルな心理描写」は、アニメ特有の、物事を「強調・象徴化」する効果によって、観客に中学生の頃の気持ちを等身大に感じさせ、人の内面は「カラフル」であることを感じさせるのである。このように、この物語はアニメで描く必要がないように見えて、アニメーションの特性を活かした作品だったと思う。


 不満点はいくらかございます。先に言ったぎこちない動きが一番の不満ですが、あとは声優は演出の上なのかもうちょい上手い人を雇っても良かったんじゃないか?とか。宮凬あおいって大好きだけれど、すごくミスキャストのような。

 以上、センスがちょっとアレなのは、目をつむってみれば、とても楽しめる作品だと思います。カトゥーンの田中聖くんが主演していた実写版や原作と比べてみても面白いかも。

 本仮屋ユイカレベル。


 次回はお待ちかねジャン・ピエール・ジュネの最新作『ミックマック』の感想ですよ。次回はオシャレだよ!

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テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2010/09/12(日) 01:25:00|
  2. 映画カ行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

アニメじゃないと

こんにちは。
そうですよね。この作品はアニメじゃないと。
実写だと、長大な『中学生日記』になってしまいますe-257
  1. 2010/10/03(日) 09:57:23 |
  2. URL |
  3. ナドレック #-
  4. [ 編集 ]

 >ナドレックさま

 こんにちは。コメントありがとうございます。
 あとアニメである必要があるからこそ、人間の「動きの不自然さ」が気になったしまう作品でした。
 田中聖くんが出ていた実写映画版は『中学生日記』みたいな内容だったのですかね。近くにあったら借りようと思い、新宿、渋谷、吉祥寺、六本木のツタヤに行ったのにありませんでした。レンタル化されていないのかな?
  1. 2010/10/04(月) 02:01:43 |
  2. URL |
  3. かろプッチ #-
  4. [ 編集 ]

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