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『ロストパラダイス・イン・トーキョー』は簡単だけど簡単じゃないよ。

ロストパラダイスイン

 今週の『天装戦隊ゴセイジャー』は、ついに登場した最後の敵組織機械禦鏖(きかいぎょおう)帝国マトリンティスのお披露目と、今後のゴセイジャーの地球で戦うモチベーションについての確認。マトリンティスの親玉は「10(テン)サイのロボゴーグ」、その部下が「エージェントのメタルA(アリス)」だそうな。マトロイドなる怪人を開発し地上に送り込んでくるとか。「禦鏖」って読めるちびっ子がいたら天才だよね。
 今回はそんな新組織との初戦闘なのに、敵を倒したあと、その死体を放っておいて帰ろうとするゴセイジャーの面々がさすがでした。まんまと巨大化されちゃうし。『ゾンビランド』じゃないけれど、怪人を倒したらもう一度頭部をきちんと破壊すればいいんだと思う。


 今回は話題のインディーズ映画『ロストパラダイス・イン・トーキョー』の感想です。
 観に行った映画館はポレポレ東中野。下手したら行ったのBOX東中野以来かもしれません。ポレポレになってから行った記憶がない。
 観客数は土曜レイトショーで多め、意外に中高年の方が多めでした。近所の人が夕食後ふらっと見に来る感じなのかな?


概要:監督は本作が長編デビューとなる白石和彌監督。若松孝二監督の子分だそうです。脚本は高橋泉。
 両親を亡くし、知的障害者である兄・実生(ウダタカキ)と2人暮らしの営業マン幹生(小林且弥)は、自分の性欲を処理できない兄のために、定期的にデリヘル嬢を呼んでいた。そんな中で、秋葉原で地下アイドルとして活動しながら風俗で働くマリン(内田慈)と出会う。そして、いつか自分だけの島を買うことを夢見るマリンとの奇妙な共同生活が始まる。ところが、地下アイドルの取材を続けるドキュメンタリー作家の酒井(米山善吉)によって兄弟の過去が暴かれ、3人の穏やかな関係も崩壊してしまう。
"allcinema online"より抜粋)


 「人物」「生物」という言葉があるように、人はまず「物(モノ)=物質」である。我々は自身を「モノ」とはなかなか認識しようとはしないが、他者はモノと認識しがちである。主人公幹生は会社に「モノ」として扱われている。もちろん「モノ」といっても命ある人間だから、それが身内ならばその幸福を願うのも普通ではある。その時願われる幸福は、まるで愛玩動物に対する愛情のように、一義的なものになりがちだ。

 で、本作は「知的障害者と家族でいることの生々しい困難さと救い」を描くことで、モノ扱いされがちな、他者の幸福を考えるということを描いた作品である。


 『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』では「壁」と表現されていた、人の行く道を決め、疎外し、我々を不幸にも幸福にもするものは、本作では「鎖」として表現されている。

 幹生にとって自分が世話をしなければ生きていけない障害者の兄・実生は自身を縛る「鎖」であった。だから彼は逆に兄を家の中に縛りつけることでせめて「半分の人生」を得ていた。
 一方でデリヘル嬢マリンは何にも束縛されない宙ぶらりんの状態で生きていた。彼女は昼間は地下アイドルとして活躍し「棚ぼた狙い」の男性に応援され、夜はデリヘル嬢として肉体的に他者から欲求されることで、なんとか心の隙間を埋めていた。彼女は他者を否応なく信頼し頼らなければ生きてはいけない実生に出会うことで地と自分とをしっかりつなぐ「鎖」を見つける。やがて幹生も自分を束縛する「鎖」でしかなかった兄が人と人とをしっかりと結ぶ「鎖」であったことを知り、彼を家の中に縛りつけることをやめる。

 お荷物であった兄と、バカにしくさっていたデリヘル嬢という意外な方向によって幹生にもたらされたささやかな「楽園」。やがて物語は「楽園」=「幸福」の在処について考え出す。
 後半、実生の失踪で、彼を介護しなければならないという「鎖」から完全に解き放たれた幹生の生活は宙ぶらりんなものであり決して幸福ではなかった。
 人は「モノ」ではないのだ。幸福とはけっして単純で一義的なものではないとこの作品は語る。
 マリンや幹生が、実生にほどこした「幸福」は果たして兄にとって本当の幸福だったのだろうか?
 実生がかつてレイプしかけた少女の父親(奥田瑛二)の怒りはもはや大人になった少女にとってどれだけの意味があったのだろうか?
 「幸福」が一体どこにあるのか、一度はつかみかけたそれを物語はもう一度模索し始める。

 ラストシーン、幹生が仕事をクビになり車にはねられ、なのに暖かくユーモラスなのは、「幸福」とは、単純だったり一義的だったりするものではないんだという当たり前の事を語っているからであり、それを見ている観客も少し幸せな気持ちになる。


 以上、本作は知的障害者を抱える家族(と、知的障害者の性)というナイーブなテーマを扱い、簡単な事なのに簡単にはわからない「他者の幸福」というものを描いていると思う。


 他に良かった点として、知的障害者がいる家族の苦労や生活を丁寧に描いていたところ。次第にいびつな環境に成らざるをえないその家族関係を、デリヘル嬢マリンの目を通すことでどこかユーモラスに描いた点、そして彼らがそれぞれの足りないものを補うことでどん詰まりの人生に希望の光を見せたことなどが良かった理由。知的障害者のオナニーに悩む家族なんて描きにくいものをよく描いたなと思います。

 で、不満点としてはドキュメンタリー作家が終盤再度主人公たちに絡んでくるあたりからのリアリティの無さ。
 何故だか彼らがかつて兄が子供をレイプしたことを嗅ぎ付け、少女の家に謝罪に行く様を撮影することになる。その謝罪の間、幹生たちも被害者の父も何故か彼らに撮影を許しているのがよくわからないし、更には謝罪に何故かデリヘル嬢マリンを連れていくことになる。謝罪される側としては「家族でもなんでもない友達をなんで連れて来てるの?」って感じだし、そこで別に彼女は特別な活躍をするわけでもない、彼女がいる理由がよく分からない。
 で、更に被害者の父親がキレて暴力振るいまくるんだけど、それを撮影しているドキュメンタリー作家にはキレない。あれ「なに撮ってんだよ!?」って感じだろうに、撮影クルーたちの存在は基本無視。最終的に被害者の父親は幹生の脚を包丁で刺すんだけれど、幹生はその後、きちんと病院行った風でもなくびっこをひく程度であまつさえその晩セックスしたりする。あんな深く刺されたら激痛でとても耐えられたもんじゃないと思うんだけど…。更にその後に兄が失踪するんだけど仮にも知的障害者なんだしまず警察に届けない?って。
 それらのリアリティが欠如した描写がそれまで丁寧に描いてきた「知的障害者とその家族の生活」ってのを台無しにしてしまっていると思う。


 でもまあ自主制作映画という括弧をはずしたとて、骨のある考えさせられる作品でした。
 あとこのようなテーマのなかで『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』みたいにどんよりとした重く暗い作風に走らず、ユーモアを終始忘れず貫いた作劇のセンスは素敵だと思います。


 大島優子レベル

 次回はようやく観に行けました『シルビアのいる街で』の感想。
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  1. 2010/10/04(月) 23:41:49|
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