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『スプリング・フィーバー』は愛をひたすらむさぼるよ。

スプリングフィーバー

 今回は中国の問題作『スプリング・フィーバー』の感想です。

 観に行った映画館は渋谷シネマライズ。火曜の安い日だったので、気合いをいれて早めに行ったら空いていました。一人客がほとんどで20代~40代くらいの比較的若めの人が多かったかな。
 

概要:監督は『天安門、恋人たち』や『二人の人魚』のロウ・イェ。監督が『天安門、恋人たち』で5年間の映画撮影禁止処分を国から喰らったため、家庭用ビデオカメラでゲリラ的に撮影した。2009年のカンヌ国際映画祭では脚本賞を受賞。
 中国の古都、南京。夫ワン・ピン(ウー・ウェイ)の浮気を疑う女性教師リン・シュエ(ジャン・ジャーチー)は、探偵ルオ・ハイタオ(チェン・スーチェン)に調査を依頼する。ほどなく、相手がジャン・チェン(チン・ハオ)という青年と判明、妻は激昂し夫婦の関係は破綻、ワン・ピンとチェンも破局を迎える。一方、ハイタオは恋人リー・ジン(タン・チュオ)という存在がありながらチェンに興味を抱き、いつしかお互いに惹かれ合っていくのだが…。
"allcinema online"より抜粋)


 つい最近まで中国では同性愛は精神病と見なされ病気扱いであったり、はたまた欧米文化に傾倒した者として取締りの対象ですらあったそうだ。同性愛の誤解がとけたのは21世紀が始まってから。しかしながら北京や香港などの都会ならまだしも、今作の舞台となる南京などでは依然として相当ひどい差別を受けているとか。

 本作はロウ・イェ監督が前作『天安門、恋人たち』で、中国当局に映画を撮ることを禁止されたがために家庭用ビデオカメラでゲリラ的に撮影された作品である。で、そんな身近でチープな家庭用ビデオカメラで、中国で「新人類」とされているゲイカップルを撮るという行為は、得てして現代を敏感に反映してしまう「映画」というメディアにおいて、かなり「現代」を表すことができるのではないだろうか。
 この映画が家庭用ビデオカメラで撮し出そうとしているものについて考えてみたい。


 本作のタイトル『スプリング・フィーバー』の「スプリング」にはもちろん「青春」の「春」、「人生の春」の「春」の意味が込められているだろう。「春の狂乱」とでも訳そうか。

 「青春」というと語弊があるかもしれないが、少なくともまだ「若い」と言われる登場人物たちは、「狂乱」のように肉欲にまみれドロドロとしていて残酷な恋愛関係に身を置いている。しかしながら、例えば我々が10代の頃を思い出すとき、残酷でドロドロとしていた時代を思い出す一方で、それがやたら美化されているように、彼らの肉欲にまみれたドロドロなドラマもまた美しくもある。我々の過去の思い出や彼らのドラマが美しく感じるのは、その「若さ」が(本作のモチーフとされている)三日ほどで散ってしまう睡蓮の花のように脆く儚いからなのだろう。

 「若さ」は、本能(肉欲)という名の運命に、抵抗を見せつつも流されてしまい、刹那に枯れていってしまう。
例えばジャン・チェンとハイタオ、リー・ジンの三人の旅路の際の印象的なカラオケのシーン。『ドアーズ/まぼろしの世界』がそうであったように青春は残酷でイタい。リー・ジンは恋人のハイタオが男性であるジャン・チェンと愛しあっていることを目撃し、恋敵であるジャン・チェンに慰められそっと手を握られると「彼(ハイタオ)ともこうやって手を?」と尋ね、泣きながら一人カラオケを歌う。やがてジャン・チェンもハイタオもそのカラオケに加わる。それぞれの愛する人がそばにいるのに、複雑な恋愛関係故に皆孤独を感じる、その場はなんとも言えぬダサくてイタくて切ない空間となる。
 そして3人の「若き」旅路は、イタさに絶えられなくなったリー・ジンが失踪した事で、刹那的に終わってしまう。その若さ故の儚さが、このじめじめとしてイタい旅路を美しい旅路にも見せている。


 そして本作は先ほども書いたように、現代を最も現代らしく描ける家庭用ビデオカメラというツールで現代を描いている。J-Popミュージシャンのように「現代」を「いま」なんて読むと、その語感は「青春」と近くなるけれど、年齢も性別すらも曖昧になった若者たちの、ただ運命と本能のなすがままに、漂い、求め、愛をむさぼり続ける、刹那的な「いま」を切り取るのに、家庭用ビデオカメラはうってつけである。


 本作の最後、ジャン・チェンは一度命を失ったはずなのに、その彼の死体は猫の死体と化していて、別の場所で別の恋人と胸にたくさんの睡蓮の花のイレズミを入れてまたいつものようにひょうひょうと生きているシーンがある。睡蓮は花が枯れるとすぐ違う花を咲かせて夏場の間咲きつづける。本作の冒頭でも睡蓮の花の映像が表れるが、再び咲いた「睡蓮の花」は、再び、切なくイタくしかしながら儚げで美しい「春の狂乱」を巻き起こすがごとく夜の街を歩きつづける。劇中引用される郁達夫(ユイ・ダーフ)の作品『春風沈酔の夜』の一節「こんなやるせなく春風に酔うような夜は、私はいつも明け方まで方々を歩き回るのだった」のごとく。
 その行為は若さ故の「宿命」か。そこの解釈はとても難しい。一度見ただけでは読み取れない。どなたかうまい解釈をお願いします。


 以上のように本作は登場人物たちの儚い「青春」という刹那的な「いま」を、最も「いま」を撮し出せる家庭用ビデオカメラの特性を活かすことで、「春の狂乱」を残酷に、イタく、切なく、そして美しく描いているのではないだろうか。


 不満点は、あまりに物語が漠然としすぎていて、終盤まで何を描きたいのかよく分からず、退屈してしまったところ。ぼくにはちょっと難解でした…すいません。

 今回はすごく抽象的な感想になってしまいましたね。かなり手こずりました。一度見ただけでは理解が出来ません。
 井川遥レベル。


 次回はやっとこさ日本で公開だよ、こんにゃろう『リトル・ランボーズ』の感想を書きます。
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テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2010/11/21(日) 00:19:08|
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