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『I'M HERE』はロボット向け身体論だよ。

I'm here

 更新しないでごめんなさい。なんとなくPCの前に座るタイミング見失っていました。
 日曜日の来訪者数が400人近くで、当ブログ立ち上げ以来最大クラスのお客さんだったのですが、そのほとんどが、この『デスカッパ』の記事。以前から、それを取り上げているブログが少ない理由からか、『デスカッパ』のお客さんは多かったのですが、先日は異常。
 そう言えばこの映画、『ゴジラ』のパロディで、放射能によって人が巨大化してしまうという、このご時勢不謹慎極まりない展開がクライマックスにあるのですが、まさかなぁ…。


 今回は『かいじゅうたちのいるところ』のスパイク・ジョーンズの監督作品の短編『I'm here』の感想。この作品、もうずいぶん前にアメリカでは発表されていて、その日本語版の発売を記念して、DIESEL-渋谷という服やら家具やら小物やら売っているオシャレなお店に併設してある「DIESEL ART GALLERY」というギャラリーでこの作品で使用した人形や衣装、セット、絵コンテなどの展示と一緒に無料で公開というすてきな催しがされていたので見てきました。
 が、このギャラリー。お店のBGMがまる聴こえなので、うるさいのなんの。まるで映画を見るという環境には適していない場所でした。まぁ、タダだから別にいいんだけどさ。
 お客さんは僕一人でした。
 ちなみにこの作品、英語版でよろしければネット上そこら中で見れます。


概要:監督・脚本はスパイク・ジョーンズ。ロボット・デザイナーはソニー・ジェラシモウィック、中盤に出てくるネズミの造型作家はメリル・スミス、主題歌のアツカ・マツミヤ。
 未来のロサンゼルス。ロボットが差別される時代。ありふれた生活を繰り返すだけの図書館員ロボット・シェルドン(アンドリュー・ガーフィールド)は、天真爛漫なロボット・フランチェスカ(シエンナ・ギロリー)と出会い、彼女と恋におちることにより、その創造的で自由な性格に感化される。生まれ変わったかのような晴れやかな日々を始めるシェルドンだが、デートのさなか、フランチェスカの右腕が事故によって失われてしまい…。



 久々に自分であらすじ書きました。文章のお勉強になりますね。

 スパイク・ジョーンズは『マルコヴィッチの穴』でも精神(内面)と身体(外面)の複雑な関係を描いていたが、この作品も外面と内面の問題が描かれている。

 身体論とか、記号論もある意味そうだろうか、そういうあるものの「表象」をそのものの本質と考える論は、例えば映画などがまさにその好例であり、このブログでも『ヒックとドラゴン』の感想などで書いたけど、映画というのは見た目の表現。表象に描かれていることが全てであり、作り手は描きたいことならば必ず表面に出すべきだし、受け手からすれば外見以上の考察は単なる憶測の域を出ない。

 そういった身体論は、目に見えないものは存在しないということを語り、逆に言えば目に見えるものは全て真実ということを語っている。すなわち魂もアイデンティティも外面にある。
 で、人は他者を判断する際、基本的に外見で判断する。よってその者をより深く考える際も基準点としてまず外見がある。その「本質としての外見」があるため、その人がどれだけ意外な言動を行ったにせよ、その外見の規定する範囲から抜け出ることはない。
 くだけて言えばどんなに美しいハートだろうがどんなに極悪非道な腐れ外道だろうがブスはブスということ。
 ここに身体論の表象至上指向の持つ差別性があるのだが、多かれ少なかれ人は「外見」に縛られる以上、これを否定はできないのだ。

 身体に縛られる以上、身体を超えた場所に魂やアイデンティティの居場所はないのだろうか。そのような問題点をテーマに、身体のパーツをいくらでも交換できるロボットを主人公として、その恋愛を描いたのがこの『I'm here』だと思われる。


 本作の主人公シェルドンの"内面"はまさに"外面"に従事していると言える。
 この世界で差別を受けているロボットの容姿を持つ彼は、その社会的弱者の容姿ゆえに地味で大人しく暗い。
 少し大袈裟に言うと、彼にとって外面とは運命であり、知らずのうちに彼の内面は外面の持つ操り糸に従っていた。

 しかしフランチェスカはロボットである自分の身に対する世間の目のことなど打ち壊すように、快活に笑い禁じられている車の運転をする。
 前半、バスに乗るシェルドン(自意識を持たず人の選んだルートを行く)と、車の運転をするフランチェスカ(自分の力で我が道を行く)の対比がある。

 身体のリペアパーツをコレクター並みに揃えて常に持ち歩いているシェルドンは言わば身体至上主義者であり、彼にとって身体の滅亡は魂の滅亡であったと思われる。

 そして冒頭、事故で半壊しながら放っておかれている痛々しいロボットの描写や、次々に身体のパーツを失っていくフランチェスカが示すように、この世界で彼らの身体は重要視されていない。なにしろロボット、身体のパーツはいくらでも交換可能であるからだ。
 シェルドンの運命を支配し、それ故に魂の居場所であるところの身体は、しかしながらロボット故に代替可能であるという。それでは魂やアイデンティティなどハナからないと言える。そしてシェルドンはその所存に苦しむ。

 一方で外見のコンプレックスに立ち向かうフランチェスカは、"I'm here"と書かれたチラシを持ち歩き、自分の身体の内にその精神など収まりきるかと言わんばかりに、そこら中にチラシを貼りまくる。そして魂などアイデンティティなど"ここ"には無いのだとその身体をまるで大切にしない。腕も脚も最終的には全身失うまで痛めつける。

 ここで両者が見た夢の対比がある。
 フランチェスカは全身を縛られ身体をもぎり取られて苦しむ夢を見て、シェルダンはヒロインに自分の身体のパーツを喜んで分け与える夢を見る。
 ヒロインの夢は結局自身の魂は身体にあり身体の喪失は魂の滅亡なのではないかという不安を表しており、主人公の夢は自身の身体の外に自身のアイデンティティを見つけ出したことを表している。
 シェルダンにとっての自身の身体の外とは言うまでもなくフランチェスカのことだ。
 だから自身のアイデンティティを模索する故にその身体を破壊していくフランチェスカに対し、シェルダンは自分の身体を提供していく。

 その思いやりにフランチェスカもシェルダンの中に自分のアイデンティティを見いだす。彼女にとって与えられたシェルダンのパーツこそが自分の魂が現れている身体であったのだ。
 なので、物語の結末にてシェルダンの身体が、そのまま事故で全身を失ったフランチェスカの身体になったことは、二者の身体と魂の安定を描いている。つまりそこには自身の身体を超えたところにアイデンティティを見いだしたシェルダンと、自身の身体にアイデンティティを見いだしたフランチェスカが描かれている。

 以上、本作は、人はその外見に縛られることを免れないが、しかしながら人の魂はそこにだけあるのではなく、人の魂はあらゆる他者の中にも存在する、他者性を得ることで必ずしも人はその身体に捕らわれることはないということを描いているのではないだろうか、と感じた。


 不満点は『マルコヴィッチの穴』『アダプテーション』が好きな僕としては、(『かいじゅうたちのいるところ』もそうなのだけど)いささかウェットになりすぎなんじゃないのかなって思ったところ。もうちょいドライで皮肉な突き放した視点が欲しかったかなって。嫌味がなさすぎる。

 ロボットの造形や表情、ネズミのオブジェ、音楽などセンスはさすが。知的でユーモラスでキッチュで素晴らしかったです。

 トリンドル玲奈レベル。

 次回はカワイコちゃん台湾映画でございます『台北の朝、僕は恋をする』の感想。

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  1. 2011/03/25(金) 00:07:11|
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  4. | コメント:0
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