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『名前のない少年、脚のない少女』は君の童貞力を試すよ。

名前のない少年

 今回はオシャレブラジル映画『名前のない少年、脚のない少女』の感想です。

 観に行った映画館はシアター・イメージフォーラム。初日に観に行ったのですが、たいして客の入りはなく、ほとんどが若者の一人客でした。


概要:監督、脚本は本作が長編デビューのエズミール・フィーリョ。
 “ミスター・タンブリンマン”というハンドルネームでインターネットに自分の詩を投稿する少年(エンリケ・ラレー)は、都会に住むチャットの相手から、3日後に行われるボブ・ディランのライブに誘われる。しかし、ブラジル南部の、ドイツ移民の伝統が残る小さな田舎町に住んでいる少年は、遠すぎることを理由に躊躇してしまう。ある日、少年はジュリアン(イズマエル・カネッペレ)と出会う。彼は恋人の“ジングル・ジャングル”(トゥアネ・エジェルス)と一緒に自殺を図るが、1人だけ生き残り、町に戻ってきたのだ。ジングル・ジャングルはインターネット上に、生前に撮影した映像を投稿していた。少年はその映像の世界に惹きこまれ、現実世界と仮想世界の境界が曖昧になっていく。少年は、死んだジングル・ジャングルへの自己同一視と、ジュリアンのいわれなき魅力、自分自身の解決できない絶望と格闘する。そして、少年はボブ・ディランのライブに行く決心をする。そのとき、少年の前にジュリアンが現われる。かつてジングル・ジャングルがしたように、少年はジュリアンについていこうと決める。しかし、少年はジュリアンと一緒に町を出ることはなかった。少年は橋に立ち、川を見つめる。そして橋を渡り始める。
"Movie Walker"より抜粋)


 思春期というのは、大人になった今、少々ばからしい事でも相当真剣に悩むわけで、その最たるものに人の死なんてのがある。
 本作を見て、16歳になったばかりのころ、ほとんど関わりがなかった同級生の女の子が病気で亡くなってえらくショックだったのを思い出した。二日間ほどベッドで寝込んでその事しか考えていなかった。
 で、不謹慎にも聞こえるかもしれないけど、その娘がとても可愛いかったのがショックに輪をかけていた。直接話したのは二度ほどしか無かったし、憧れていたわけでもなかったけれども、何しろ童貞まっしぐらの16歳、その娘が(おそらく)セックスを知らずに亡くなってしまったことがとても哀しいことに感じた。今考えたらえらく勝手だし品のない話なのだが、何しろ童貞一直線、その娘はヴァージンに違いないと勝手に思っていた。
 で、しばらくそのほとんど喋ったこともない女の子は僕の中で何故だか"聖女扱い"だった。そんなイタい16歳。

 そんな余計な事に首を突っ込んで悩み苦しみ、僕も童貞のまま死んでいくかもしれないという恐怖におそわれる。そういった漠然とした「性と死」への恐怖は、思えば僕なりの青春ゆえの閉塞感だったのであろう。

 「童貞ではなくなる」ってことは、性体験をすればなんとかなるものといえばそうなのだが、『(500)日のサマー』の主人公がいつまでたっても童貞臭さが抜けなかったように、セックスしようがしまいが、童貞臭さというのはなかなか抜けないものである。

 嫌なものに直接目を向けて悶々と悩まなくなり、閉塞感などは『シリアスマン』のように時が経てば消えてしまう。そうやって少年は童貞ではなくなるのだと思う。今回の論旨はそんなところ。


 まず、主人公が如何に、大人の視点から見たら、余計な悩みを抱き苦しんでいるかについて。
 本作でも主人公の少年は、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』同様、ブラジルの田舎町で"どこにも行けない"という閉塞的な恐怖を感じている。
 町は我々がイメージするサンバの国ブラジルとはまるで違い、寒々しく、霧に覆われ太陽は届かないどちらかと言うと北欧の寂れた田舎町といった感じ。そしてそれを撮すカメラワークもどこかピンぼけ気味だったり急にコマ落とし映像にしたり、神経症気味に揺れたりと妙にせわしなく、閉塞的なこの町にいるという不安を主人公の少年同様に観客にも感じさせる。

 口うるさいお母さんは孤独を紛らわせる為に犬とばかりおしゃべりして見るに耐えないし、しょぼくてジジババばかりのお祭りなんて息苦しくて参加したくない。少年は町を出てどこかに行きたかった。そんななかボブ・ディランのライブが3日後に行なわれるという情報を聞きつけ、少年は町を出ようと妄想を膨らます。
 町を出るためにそびえ立つ橋は自殺の名所。まるでどこにも行けないことに絶望した人々が必ず果てる場所のように、多くの人々が橋から飛び降り、「お前はどこにも行けないんだよ」とダメ押しをしてくるようで、少年の町を抜け出す勇気を殺ぐ。思春期の少年に「死」はそれが直接の知り合いではなくとも、とても重い。それが閉塞感をより増幅させる。


 彼のそのような思春期独特の閉塞感を少しは取り除いてくれるのが、インターネットとボブ・ディランである。

 インターネットだったならば現実の気が遠くなるほどの遠くへもクリック一つで行ける。
 "ミスター・タンブリンマン"ボブ・ディランならば、もしかしたらその歌のようにいつか少年をどこかに連れて行ってくれるかもしれない。しかしボブ・ディランは遠くでしかライブをやってくれないし、インターネットはその物理的な距離は超えてはくれない。

 本作のオープニングやエンドロールに使用される文字は、本編のどこか牧歌的とも言える雰囲気には似合わない、「デジタル」の記号的表現であるところの古臭いパソコンのフォント(黒い画面に緑色に光る文字)である。
 また主人公が夢で見るボブ・ディランのライブシーンもそうなのだが、どちらの描写も真っ暗闇にぽつんと光が灯っていて、その灯りに向かっていけばこの思春期の苦しみをスッキリ解消できる場所に到達できそうな気がする、そのようなイメージを持つ。


 少年はそのような中で二人の人間に出会う。

 まず暗中模索のようなネットサーフィンで主人公が出会った、夭逝したジングル・ジャングルと名乗る美しい少女の写真や映像。彼女は既に死んでしまっていてPCに閉じ込められたままもうどこにも行くことが出来ない"脚のない少女"である。若く美しく溌剌とした身体はもう失われてしまっている。
 主人公の中で彼女はまるで聖女のような「性と死」の象徴となった。

 このジングル・ジャングルのオシャレヒッピーな映像が本作の中心的なビジュアルイメージを占めているのだが、とてもいいと思います。色気とオシャレとが合わさったまるで資生堂のコマーシャルや岩井俊二のガーリーな映像のような、童貞の過剰に美しくエロくキュートな妄想がきちんと表現されている。


 もう一人の出会いがかつて恋人と心中して自分だけ生き残ってしまった青年ジュリアンである。何者かになりたくて、田舎町でくすぶって老いていくのが嫌で、街を抜け出そうとしていた青年。かつての心中はその願いが敗れたゆえだろうか。
 主人公はこの何者にもなれなかった青年のように、もしくはPCに閉じ込められた「脚のない少女」のごとく、この閉塞的な田舎町でくすぶったまま何者にもなれないまま(名前のないまま)死んでいくのかと、焦燥感にかられる。
 しかしかつて心中したまでのジュリアンはそれでも町から抜け出そうと、あきらめずに戦い続けられるすべを伝授してくれる。それは闇を知ること。闇と付き合うこと。
 先述のように目を閉じればそこにはボブ・ディランがいるし、PCの真っ暗なモニターには緑色に光る文字がある。瞳を閉じれば夭逝した聖女ジングル・ジャングルが現れて、その光の元へ向かえば、もしかしたら町から抜け出せるかもしれない。

 これは思春期の妄想であるとともに、暗闇の中ならば自分の嫌いなものは全て覆い隠してくれるという利点とも読み取れる。

 全てをあるがままに受け入れてそのたびにひどく傷ついていた少年は、暗闇と仲良くなることで見たくないものには蓋をする術を覚え、ちょっと大人になったのではないだろうか。そして町に停電が起きた夜、彼は人知れず町を抜け出したのだ。彼にとっての"光"ボブ・ディランに会うべく。
 そうやって童貞臭さは少年から抜けていくのだ。


 で、個人的な話に戻るのだけれど、僕は16歳のあの日から人の死にあそこまで落ち込むことはなくなった。そして童貞だったあの頃のように、映画や音楽や小説に感動し、グラビアアイドルにムラムラすることもなくなった。
 少年は目を閉じて妄想していくうちに、知らずに闇とうまく付き合い、見たくないものには蓋をしてやがては自身の感受性を遮断していくのであろう。
 大人になったいま「なんてことない」と思ってしまう、この映画の少年の気持ち(漠然とした閉塞感、見ず知らずの人の死、音楽への情熱、何気ない友人とのこっぱずかしい中二病トーク)は当時の僕にとってもひどく重要であったことを思い出した。


 以上、『名前のない少年、脚のない少女』は、思春期の少年が余計な事にわざわざ目を見張り悶々と悩み、余計な感情で閉塞感におちいる物語であったが、しかし思春期にとってはその苦悩がとても重要なものであり、そのような苦しみと痛みを経て童貞は童貞臭さを失っていくという思春期の心の繊細な動きを描いた映画であったと思う。


 もうちょい主人公の少年がニキビ面でブサイクだったらより共感できて良かったんだけれど、ヒヨッ子少年は日本やアメリカやイギリスでは一般的だけれど、ブラジルでは似合わなそうですね。もうちょいハングリーな不良っぽい童貞思春期がこの国には似合う。


 けっこう難しい映画です。映画自体の文法が従来の作品とは異なっているから読み取りづらい。そういう見方が嫌いでなければ、ガイドラインをある程度見てから鑑賞すると少しは理解しやすいかもしれません。基本的にちょっとイタい映画なのですが、そのイタさがとても印象的で、嫌いじゃありません。

 椎名林檎レベル。

 次回はウェス・アンダーソンの新作で、ロアルド・ダール原作の人形劇『ファンタスティックMr.FOX』の感想です。
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【名前のない少年、脚のない少女】アート好き少女にお薦めの童貞妄想映画。

きついサブタイトルですみません 汗 沢山のサイトで推してたしアップリンクもの、ということで気になってた作品。 タイトルも、意味深で興味を誘います。 ブラジルの小さな田舎町。 始まって数分、思っ...
  1. 2012/01/13(金) 19:59:55 |
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