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頑張って更新するよ。今回は
『東京公園』という映画の感想です。青山真治監督ですが、珍しく人気若手俳優がたくさん出ています。
観に行った映画館は
新宿バルト9。上映終了間近だったのと、シネマチネの時間だったのもあり満席でした。客層は若い人がほとんど。
概要:2011年の日本映画。小路幸也の同名小説を原作に、『EUREKA ユリイカ』『サッドヴァケイション』などの青山真治が監督・脚本・音楽を手がけて映画化。
幼い頃に亡くなった母親の影響でカメラマンを目指し、公園で家族写真を撮り続けている大学生の光司(三浦春馬)。ある日、見知らぬ男性(高橋洋)から“いつも女の子を連れて公園を散歩している美しい母親(井川遥)を尾行して写真を撮ってほしい”という依頼を受ける。不審に思いながらも、メールで指示された公園に出向き、女性の隠し撮りを続ける光司。そんな光司には、親の再婚で姉弟となった血のつながらない姉、美咲(小西真奈美)がいた。ある日、この奇妙な依頼のことを話すと、突然不機嫌になってしまった。一方、親友ヒロ(染谷将太)の元カノで光司とは幼なじみでもある富永(榮倉奈々)は、そんな美咲の態度を嫉妬に違いないと指摘するのだが…。(
"allcinema online"より抜粋)
(1)ある種のそれも多くの映画は
"現実"を描いている。
『SUPER 8/スーパー・エイト』の感想でも書いたように、映画というのは現実逃避だったり、現実を見る視線に刺激を与える働きが強く、それ目当てで映画を見る人が多い中、
なぜ現実を描くのか。 例えば 鏡は"現実"を映す。鏡にうつった自分(被写体)は客観性を持つ。それを見て新しくできた白髪を発見したり目の下にある隈が気になったりして普段いつも一緒にいるはずの自分に対する情報を更新する。
多分現実を映す類の映画もそうだ。
なんら刺激のない現実を淡々と撮すことで、普段見慣れている現実を観客に客観視させ改めて現実の美しさだったり、恐ろしさだったりといったものを見せる。『奇跡』なんかは特にそういった映画だったと思う。
わかりづらいという方にもっと下世話な例を出すと、
自分でモワモワ妄想するエロいことより、他人の口から聞かされるエロ話の方が客観的なぶん現実味があってよりエロく感じるのに近い。
『東京公園』はこの
"一度突き放してそのものの価値を再認識する"という映画や写真の持つ力を描いた作品だと思う。
(2)本作の登場人物たちはまるで
自分の近場や自分自身が見えていない。 例えば三浦春馬演じる光司は義姉・美咲の愛に気がつかないどころか、自分が義姉を愛していることすら気がついていない。
また井川遥演じる百合香を追いかけているとやたら彼女のことが気になり出したが、それは部屋に彼女そっくりの母親のポスターがでかでかと貼ってあるからだったりするのだが、それもよく気がついていない。
高橋洋演じる初島は妻(井川遥)の美しさや変わらぬ愛情に気がついていないし、榮倉奈々演じる富永は近くにいる死んだ恋人の幽霊(染谷将太)が見えないし(光司には何故か見える)彼が何故見えないのかもわからない。
本作には
「カメラ」が重要な要素として登場するが、写真というのは一つの物事や現象をフレーム内に閉じ込めてしまうことで、普段何気なく見ていたものに対し一歩距離を持たせ、客観性を与えることで被写体の持つ要素を再認識させることが出来る装置だ。確かにカメラは自分自身を写せないが、写したものから自分自身の内情を見つめとることは不可能ではない。
初島は光司が撮しとった百合香の写真によって彼女の愛を再認識したし、光司は義姉・美咲を撮影することで姉に対する自分の気持ちを再認識した。美咲もカメラという壁の向こう側で自分を見つめる義弟に対しこらえていた愛情が抑えきれなくなる。それぞれが客観性を与えられて自身に気がつく。
富永の場合も複雑だが、この例に当てはまる。冷静な分析力を持つ彼女だったが、恋人を失った悲しみから自分を見つめなくなっていた。孤独に生き、天真爛漫にふるまいながら、黙々とホラー映画を漁るように見て死についての意識をごまかしていた。その姿は愛らしい反面どこか無理して空回りしているようである。
彼女がようやく素直になれたのはかつて恋人が生きていた時代の写真を見てから。自分がそこまで彼を愛しきれていなかったことを認め、ようやく素直に涙がこぼれ落ちた。「寂しい」という感情を吐露することが出来たのだ。
このように、本作の登場人物たちはまるで自分や自分の周囲が見えていないが、
「写真」という客観性を与えるアイテムを媒介することで、それが見えるようになり、そのものの価値を再認識する。
(3)ところで本作はそのタイトルが示すように
「東京」という町についての映画でもある。
東京生まれ東京育ちの僕には東京がそんなにいい町には思えない。パリやロンドンやニューヨークの方がオシャレでいいじゃんなんて思ってしまう。
しかし
本作は東京という町の美しさを描く。 まずそのカラッとした大人っぽい都会センスのカメラワークやライティングで切り取られ客観性を与えられた東京はキレイでオシャレな町に見える。
また途中で酔っ払た中年男性(島田雅彦)が語る
「もし宇宙人に東京を案内するなら、俺は公園を中心に作られている町というね」というセリフ。東京都の緑地面積は全体のおよそ27パーセントらしい。もちろん決して多い数字ではないが、少なくもない。公園を中心に築かれた都市なんて考えたら東京はとても魅力的で文化的な街に思えてこないだろうか?
そういう視点でもう一度
"公園都市"東京を見る時、
普段気がつかなかったこの町の美しさを再認識することが出来るのだ。(4)本作の描くこの構造は本作特有のものではないということを、まとめに加えて解説したい。
以上語ってきたように、本作は他者や自己の美しさや心情、東京という町のかたち、これら当たり前すぎて普段認識すら怠っているものに
「客観性を与えてそのものの価値を見直す」が、その働きは実は本作に限ったことではなく
映画の持つ本質的な要素なのではないだろうか。 『カラフル』が日常的な生活表現を敢えてアニメーションで描くことでその価値を高めていたり、
『奇跡』や
『何も変えてはならない』や
『シルビアのいる街で』が"何気ない日常"のかけがえのない美しさを描いたように、
そこら辺に無数にある現実をフレーム単位で切り取り、それを観客にお金を払わせて見せるという「映画」という行為にはそういう意味があるという
映画の特性を本作を見て
"再認識"させられた。
(5)不満点は登場人物たちがみんな美男美女の金持ちばかりで、
"何気ない日常を美しく切り取る"というテーマのくせに、そもそもの時点でみんな美しいじゃねえか、何気なくないじゃんというツッコミ。
同様に東京のキレイな場所しか撮していないで荒んだ東京を描いていない点。そういう場所を美しく描くことでこの作品のテーマが際だつのに。
あと、
榮倉奈々がとにかくカワイイです。劇場で「カワイイッ!」て叫びたくなるくらいカワイイ。
『三つ目がとおる』の和登さんくらいカワイイ。正直、可愛いとは知っていましたがここまでとは思っていなかったんですよ。
去年のアイドルランキングだと
『アウトレイジ』レベルで46位ですから。しかし本作の彼女の可愛さを
"再認識"いたしました。ゾンビ映画好きって設定はもはやカワイコちゃんのデフォルト要素なんだと思うよ。
あと青山真治のゾンビ映画がちらっと見れたのもお得でした。Jホラー撮ってくれないかな。
皆藤愛子レベル。 次回はまだ公開している映画だよ!最近になってようやく原作漫画にハマりました。
『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』の感想です。
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テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画
- 2011/07/31(日) 05:21:01|
- 映画タ行
-
| トラックバック:2
-
| コメント:2
おおお、和登さん!似合いそうです。
傑作だと思うのですが、おっしゃる通り、美男が美女に囲まれてモテモテなのが気になりました。
- 2011/07/31(日) 16:00:40 |
- URL |
- ナドレック #-
- [ 編集 ]
> ナドレック様。
こんばんは。
榮倉さんは手塚キャラの健康っぷりと可愛らしさは兼ね備えているから、あとは色気かなと。あの独特な色気が備わればいい女優、いい手塚キャラになると思います。
高橋洋があんなにイケメンだとは知らなかったと、あの『リング』や『恐怖』の靍橋洋かと思っていたらまるで別人なんですね。
- 2011/08/01(月) 02:29:23 |
- URL |
- かろプッチ #-
- [ 編集 ]
公式サイト。小路幸也原作、青山真治監督、三浦春馬、井川遥、榮倉奈々、小西真奈美、高橋洋、染谷将太、長野里美、小林隆、宇梶剛士、島田雅彦。カメラマン志望の学生、光司(三浦 ...
- 2011/07/31(日) 07:04:48 |
- 佐藤秀の徒然幻視録
『東京公園』を吉祥寺のバウスシアターで見ました。
(1) この映画は、『EUREKA』(2000年)以来できるだけその作品を見ようとしてきた青山真治監督が制作したものですから、公開されたとき是非見てみようと思ったものの、上映された映画館が少ない上に、どうしても時間...
- 2011/09/18(日) 20:54:39 |
- 映画的・絵画的・音楽的