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今回は待望のスタジオジブリの新作映画
『コクリコ坂から』の感想です。
久々の
"この映画を好きな人は読んでも怒っちゃダメだよ"シリーズです。
観に行った映画館は
TOHOシネマズ六本木ヒルズ。客層は若い人が多めでした。女性が多かったかな。子供や家族連れも。
概要:2011年の日本映画。1980年に「なかよし」に連載された高橋千鶴と佐山哲郎による同名コミックを、宮崎駿と丹羽圭子の脚本、鈴木俊夫プロデュース、『ゲド戦記』の宮崎吾郎監督でアニメ映画化。制作はスタジオジブリ。
1963年、横浜。港の見える丘に建つ古い洋館“コクリコ荘”。ここに暮らす16歳の少女、松崎海(声:長沢まさみ)は、大学教授の母(声:竹下恵子)に代わってこの下宿屋を切り盛りするしっかり者。あわただしい朝でも、船乗りの父に教わった信号旗(安全な航行を祈る)をあげることは欠かさない。そんな海が通う高校では、歴史ある文化部部室の建物、通称“カルチェラタン”の取り壊しを巡って学生たちによる反対運動が起こっていた。ひょんなことから彼らの騒動に巻き込まれた海は、反対メンバーの一人、風間俊(声:岡田准一)と出会い、2人は次第に惹かれ合っていくのだが…。("
allcinema online"より抜粋)
この映画ってすげー流行っているし、雰囲気だけはなんとか宮崎駿的になっているから、好きって人が多いと思うんですよ。
もちろん好きなら好きでそれは立派なことだし、受け手のその感覚を否定する気はさらさらございませんが、僕はどうしても好きになれない。
映画はコマーシャルアートだからお金をもうけたいという気持ちは正義だろうし、一方で芸術なわけだからそういう気持ちを表したくないというのももちろん正しい。
『超・電王』シリーズみたいに「すでに完成したマーケットでラクしてお金儲けたいんです、お願いだからこれ見てオモチャもたくさん買ってください」って感情を恥ずかしげもなく丸出しにしている方がどうかしているわけで、この映画の態度は決してとがめられない。
ただなんか可愛げがない。なんだか最近のジブリ作品のコマーシャリズム(食事シーンではビール瓶のラベルは全部こちらを向いているよ!)を
「良さげな雰囲気」によってカモフラージュしようとしている感じ、
『崖の上のポニョ』にも
『借りぐらしのアリエッティ』にも感じたことなのですが、本作はそれがどうも目に付く。しかもそのカモフラージュがあんまり上手くなくてところどころで商魂が見え隠れしてしまい、その
「良さげな雰囲気」がものすごい欺瞞くさく見えてしまう。
――なんてことを感じてしまうあなたは
多分性根が腐っているんですよ!(という今回のスタイル)
ちなみに
『ゲド戦記』ってみんなが言うほど嫌いでもなくて、確かにあれを名作とは言えないけれど、
「親父の七光り上等だよ、精一杯利用してすげーの作ってやる」っていう初期衝動は感じた。ただまあ作品なんてのは、たとえどんなに人の道に外れた作り方をしようが、いい作品はいいし、どんなに清廉潔白で立派な正義感と人道主義で作られた作品だろうがダメなものはダメという結果が全ての世界において、作る際の意気込みなんてどうだっていいんだけど――まあ嫌いになれないんです
『ゲド戦記』。で、そんな吾郎さんの新作が
『コクリコ坂から』。多分前作以上に意地悪な目で「あんなにコケておいてまだやるのかよ」とか「監督世襲制まだ続くのかよ」みたいに見られた作品だと思うんです。(吾郎監督の世間的な評判の悪さを逆手に取った鈴木俊夫氏のコマーシャルはちょっと感心してしまいました)
で、今回は
意地悪な目で見てしまえば多分『ゴッドファーザー』も『アラビアのロレンス』も『アパートの鍵貸します』だって駄作になるんだぜって論旨。
(1)まず誰もがつっ込むのがまだ続いていた
謎のスタジオジブリ監督世襲制。
映画監督って世襲制なんですって。確かに今村昌平の息子もコッポラの息子も娘も、最近は今村昌平や深作欣二の息子も二世映画監督ですが、けっこうみんな頑張っているじゃないですか!
むしろどこの馬の骨かわからない輩より、
あの巨匠宮崎駿が手塩に育てた御子息の撮った作品の方が安心に決まっているじゃないですか!! もし吾郎監督を、
鈴木敏夫が宮崎駿的な記号を乱用したいがための形だけの傀儡監督というのなら、多分あなたの見方が狂ってるんですよ!!
まぁ他の映画が散々宣伝のための監督世襲制をやっていて、前回のなにも知らないド素人がいきなり世界規模のアニメ監督をやるというぶっ飛びっぷりならともかく、もう監督2作目ですし、その世襲制をジブリがやっちゃダメって理屈はありませんので、そこは攻めないでもいいと思います。
(2)えええ!?誰ですか、宮崎駿的な絵や記号なのに動きが妙にギクシャクしていたりノッペリしていたり、ただ歩くだけのシーンが本当にただ歩いているだけだったり、ジブリ作品のトレードマークとなっている食事がまるで美味しくなさそうというか、全員が判で押したようなただ口に運ぶだけの機械的な作業になっている――
というか食事シーンを入れること自体が機械的な作業でしかなかったのだろう――
なんて愚かなことを邪推している三下は!? ここ、こと海に関しては、高校生なのに頑張って家族を支えるという強い決心があったからこそ、その緊張故にああいった機械的な動きになっていて、本作でいちばん美味しそうに見える食事のシーンは肉屋のコロッケだと感じたのですが、あそこで心を許している俊とふいにコロッケを食べたことで初めてその緊張を解いて、ようやく
"食事"が出来た――とも読めなくはないです。
が、それにしても、どうしても他のジブリ作品、宮崎駿や高畑勲の作り出すアニメーションに比べると、その他のキャラクターの動きと動きから読み取れる感情が薄っぺらい。
世間的に評価されている日常生活の細かい表現に関しても、小津安二郎みたいに日々のルーチンワークのなかにちょっとした感情のほつれが見えたら良かったんだけれども…。
ええっと…
細かいことは気にしないでわかりやすい表現を目指したのではないでしょうか!!(3)ええ!?記号的表現と言えば
昭和30年代の安易な記号的表現の羅列も鼻につくし、原作の昭和50年代を昭和30年代にした意味も感じられないなんて失礼すぎやしませんか!?
インタビューで吾郎監督は
「あの時代も良かったことばかりではなく暗いこともたくさんあった」とおっしゃっていて、それで朝鮮戦争を引き合いに出してくるのですが、それもあんまりストーリーやテーマに絡みあっていないし、結局、すっごい雑な懐古趣味にしか思えない。その顕著な例として、
「上を向いて歩こう」なんてキャッチコピーがなされているけれど、ただ安直にその時代の最もメジャーで最もその時代の良さを喚起させるだけの歌だから採用しちゃったんじゃないのかなーなんて。
その意識が最も表れているのが古くなったカルチェラタンを取り壊すか否かの論争。これを守ろうとする俊たちはただここが素敵だからという理由で守れば良かったものの
「古くなったから壊すというなら君たちの頭こそ打ち砕け! 古いものを壊すことは過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?」、「新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!」ってもっともらしい理由をつけて守ろうとします。
これ、僕の個人的な考えですが、
"古いもの"ってその価値は時代によって変わっていきますよね。例えば春画は江戸時代から明治時代にかけて二束三文で売り買いなされていた。むろん美術品としてなど扱われていなかった。しかし外国人がその価値を認めたとたん急激にその価値が上昇し、美術品として重宝されるようになった。
同じように
"古いものを守る"という行為の意味は、俊の言う"過去の記憶を守る"ということには繋がらず、むしろ"その頭を打ち砕いて"
新しい価値を見いだすことに意味があるんじゃないのかなって。
俊の言う懐古趣味はすごく表層的に感じてしまいました。
同じ懐古なら、例えば同じ時代のしかも学生運動を扱った
『マイ・バック・ページ』みたいに、まったく無意味に終わってしまった時代やその頃の歌などに現代的な意味を付与させてストーリーに絡ませたら良かったのですが。
――なんて言っている輩がいるんですって!!
そもそもみんな長島とか東京オリンピックとか
『上を向いて歩こう』とか大好きじゃないですか!サービス満点じゃないですか!
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の山崎貴監督
(※)の
『ALWAYS 三丁目の夕日』も、無責任に「あの時代は良かったのだ!」ばかり言っていた
『これでいいのだ!! 映画☆赤塚不二夫』も大好きじゃないですか!超いい時代で超ノスタルジックじゃないですか!!
(※)『クレヨンしんちゃん アッパレ!戦国代合戦』の実写化を『BALLAD 名もなき恋の歌』とする偉大なセンスの御大の新作は『泣いた赤鬼』をアニメ化した『FRIENDS もののけ島のナキ』という作品だそうです。このセンス、君にはわかるよね?(4)うっそ!そんなひねくれた見方があるなんて、むしろ感心すらしてしまったのですが、
ストーリーが無さ過ぎる、主人公の海が何もやっていないし、何も失ってなければ何も得てないなんて言うドサンピンがいるんですって。 せっかく実の兄との近親愛なんて障壁を用意したのに、海は
「どうすればいいの?」というだけで何もしようとしない。でも終盤で
「血が繋がっていてもいい、風間さんのこと好き」って思えて、映画的にはそれでいいはずなのに、突然海の前に現れた母親が
「あなたたちは本当の兄妹じゃないから大丈夫」と教えてくれて、更にもう一回今度は風間くんのパパの親友が
「君たちは本当の兄妹じゃないから大丈夫」と何故かもう一回念押ししてきて、万事解決。
せっかくの決断が、
本当は兄妹じゃないという情報でストーリー的に意味なくなっているし、結局主人公は
何もしないまま大人に都合のいいものだけ与えられて甘やかされているだけになっている。
でもさ、近親愛なんて超キモイじゃないですか、エロマンガみたいじゃないですか。そんなのどこぞのロリコンアニメ監督が許しても、国民的アニメ会社のジブリが作れるはずないし、
ましてやあんまり倫理的にぶっ飛んだことやって日テレで放送できないんじゃ元も子もないじゃないですか!! あともう一つのメインストーリーの、取り壊されそうになっていたカルチェラタンの件も特になにもしないで周囲の人がスムースに問題解決に導いてくれる。
海は
「カルチェラタン汚いから清掃したら?」ってアイデアを提示しただけで勝手に仲間が集まりみんなで清掃。それでも壊されそうになったので理事長に会いにいくということになり何がなんだか海も同行、したらばそこの社長は多忙でなかなか会えないと言われたのに、特に努力もせず待っていただけで会ってくれて、主人公見て
「君のお父さんは何をやっている人だね?」「船長をやっていました」「…そうか…よし、明日その館を見に行こう」という意味不明の流れで急遽明日の予定をキャンセル、横浜のカルチェラタンに脚を運んでくれて
「よし、取り壊しは中止!」と言ってくれましたとさ。それで
「いい大人っているんだな」だってさ!
基本的に子供が困っていたらこちらが何もしなくとも周りの大人たちが全部解決してくれるなんて素晴らしいじゃないですか!
まるでお父さんが超有名アニメ監督という理由で美術館の館長や世界中で公開されるアニメを監督させて貰えている誰かさんみたいじゃないですか!!
あと風間俊輔くんが声をあてていた水沼史郎(例によって客寄せパンダ――ゲフンゲフン、超人気タレント大集合の声優陣の中で彼がいちばん名演技をしていましたが、岡田純一君が声を当てている役の名前が風間俊、その風間俊の親友の声を当てているのが風間俊介って紛らわしいですね)が
「海はいるだけで運気が上昇する」みたいなこと言ってたから何も行動しなくてもいい理屈がきちんとあるんですよ!
コーエン兄弟だって
『シリアスマン』で妻が浮気しても訴えられそうになっても弟が逮捕されそうになってもしまいにはハリケーンが襲ってきても何にもしない主人公の映画撮ってアカデミー賞にノミネートされたじゃないですか!
(5)以上、
もちろん僕はそんなこと思っていないですが、みんなの意地悪な視線で見ると、表面的なものしか見えてこないペラッペラの映画であって――それでもその内面を頑張って覗こうとすれば「レトロでいい雰囲気でしょ?こういうの好きなんでしょ?」っていう観客をナメてかかっている様子がどうしても見えてしまう作品でした。
不満点は最後、海と俊が船着き場まで急いで行くシーンでいきなり渋滞になって車を降りて走っていったけど、従来のジブリならそこは車で行くべきだろと。無駄にドリフトかけまくって、物理法則無視して壁とか走っちゃって。もっとうまく記号的表現使っていかないと!
良かった点は――ああああ、
もう良かった点しかないのですが――さすがというか、カルチェラタンの雰囲気はとても良かったです。ステンドグラスとかムカデの這う感じとか、とても美しい。まぁ
雰囲気作りはとても上手なんです、この映画。
あと、先述したけれど、実の兄妹でもそれでも好きって、倫理観を飛び越えて感情の発露に従おうとする展開は映画としてとても全うだとおもいます。ただその後の展開で台無しになっちゃうんだけれど…。
主題歌も美しくて好きです。
あと不評が多い長澤まさみの声はなんか好きです。
多分、悪くはない映画だと思うのです。
『ゲド戦記』より立派な作品で、この作品に感動したって人の気持ちもわからなくはないんです。でも
『ゲド戦記』の方がずっと魂はこもっていたと思う。どうしても小手先で作られているようにしか思えなくて、好きにはなれない。
あと
『借りぐらしのアリエッティ』の時も書いたけれど、
「なんでその絵なの?それじゃ宮崎駿作品と比較されてダメ出しされるに決まってるじゃん」って問題なのですが、ディズニーみたいにその宮崎駿的なデザインセンスを踏襲することで、宮崎駿無き後もジブリを存続させていくための布石を打っているならば、そんなの本当に表面的なことしか描けず、いずれ観客も映画館に足を運ばなくなるのは目に見えているわけで、こんな目先の金のことしか考えない保守的なことしていないで、
『ルパン三世 カリオストロの城』や
『風の谷のナウシカ』『紅の豚』などで見えた、宮崎駿の世に対する挑発的な精神こそ踏襲しないととは思うのですが…まあ宮崎駿自身がジブリの存続にそんなに興味なさそうだし、その時点で厳しいのかな。
あとセリフで
「まるで安っぽいメロドラマだ」って、あたかも自分は違うよって言っているのにゾッとしました。
今回は長くなりすぎましたね。そして念を押しますが、
決して怒らないでください。 美空ひばり樋口一葉レベル(思うところがあり変えてみました)。
次回はシリーズ最終作ですよ。前作
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』はあまり好きではありませんでしたがそのリベンジなるか、
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』の感想です。
テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画
- 2011/08/13(土) 20:01:11|
- 映画カ行
-
| トラックバック:5
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| コメント:7
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『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』は控えめ超大作の控えめ大団円だよ。 |
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『蜂蜜』は"ハチとユフスの神隠し"だよ。>>
バッサリ一刀両断されるかと思いましたが、ずいぶん手加減してますね
ジブリという会社の存続を考えたら宮崎駿監督作品にばかりは頼っていられない、でもマーケティング的には「宮崎駿」の看板を掲げておきたい。という点からすれば、「企画・脚本 宮崎駿」と銘打つのは正解だと思います。
ただ問題は、宮崎駿氏が企画者、脚本家として優れているか、なんですね。
もちろん宮崎駿氏の企画も脚本も面白いんですけど、天性のアニメーション作家である氏は、いきなりアニメーションの形で構想していると思うのです。だから『崖の上のポニョ』のように脚本なしで絵を描き始めることができる。
普通はちゃんと練られた脚本があって、それを土台に監督の映像プランとか役者の演技とかが加わって映画として完成していくのだと思いますが、宮崎駿氏の場合は完成されたアニメーションが頭の中にあるから、脚本だけを取り出すと絵や動きを引き算した残り物でしかない。
たとえば大友克洋氏の『童夢』の絵を消去して、ネームだけを読まされても、面白いはずないですよね。クライマックスの超能力戦なんてほとんどセリフなしで絵で見せているんですから。ましてやそこに別の人が絵を付けて売り出しても、大友克洋の迫力が伝わるはずがない。
かろプッチさんの指摘のように、子供たちの活躍が不充分に感じられるのも、渋滞に巻き込まれたときの対処に違和感を覚えるのも、宮崎駿氏の構想を別の人が映像化しているからでしょう。
たぶん宮崎駿氏が自身でアニメーションにすれば、カルチェラタンの掃除もすごく楽しいお祭りのようになり、子供の力で盛り上げている感じが出たはずです。
海と俊が船着き場に向かうところも、二人が協力して障害を蹴散らす場面になり、達成感が得られたことでしょう。
でも、そんなことは脚本に書いてない。
それでも長年の宮崎駿ファンなら、「この脚本ならこんな映像が作られるはずだ」と勝手にシーンが目に浮かんでしまうので、それが裏切られるたびに意気消沈してしまう(私は壁を走るべきとは思いませんが)。
NHKで放映された『ふたり コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎駿×宮崎吾朗〜』のインタビューを見ると、吾朗氏も父との表現の違いは自覚しているようです。
ならば、Twitterでも書きましたが、宮崎駿氏の企画は宮崎駿氏が監督するべきだし、宮崎吾朗氏が映画監督をやっていくのなら企画から自分でやるべきだろうと思います。
「新しい価値を見いだすことに意味がある」との指摘は、おっしゃるとおりですね。
石ノ森章太郎氏は息子たちに、常に実験しろと云い続けました。実験がなければ意味がないと。
1967年生まれの吾朗氏が、21世紀に何を付け加えるのか、が問われていると思います。
- 2011/08/14(日) 09:26:06 |
- URL |
- ナドレック #cxq3sgh.
- [ 編集 ]
>ナドレック様
こんにちは。
コメントありがとうございます。
この映画、多分大げさに面白いともつまらないとも言える作品ではないと思うんです。なんていうか普通…。でもYahoo!レビューなんて見ると大戦争になっていて、僕もこの映画に異常にムキになってしまったのも、多分ジブリに対する愛が成せるものなんだろうなと思います。
それが僕が感じた作品の出来不出来に関係ない嫌悪感に繋がったのではと考えます。
確かに!『ポニョ』は『もののけ姫』以降いちばん好きなジブリ映画でしたが、もし吾郎が監督したらと思うと眩暈がしますね。多分なんにもない。虚無。
一方で駿が『アリエッティ』撮ったらあの家に忍び込む冒険シーンはめちゃんこワクワクしただろうし、『コクリコ坂』を監督したらあの大掃除シーン、埃がぶわっと舞うショットを想像するだけでゾクゾクします。
吾郎さんもこの映画の監督を任されたとき、なんでこの作品をアニメ化するのかわからなかったとか聞きましたが(そういうレベルで監督させるってどうなんだろう)、もし彼が自分の表現したいこと、思想を作品にぶつけることができたなら、とりあえず雰囲気だけを取り繕いましたといった作品ではない、いち作家としての作品がはじめて生まれるのかもなと感じました。
しかしながらどう見てもこういうメタ的な視点を抜いては語られなく、作品単体を評価してもらえない本作はちょっと可哀想ですね。そしてメタ的視点で見るのがいちばん本作を楽しめてしまうという…。
まあ今回はなんやかんやで汚名は返上したし、多分あるだろう三作目にこそ期待です。
ナドレックさんのブログとこのコメント、たいへん参考になりました。ありがとうございます。
- 2011/08/14(日) 19:11:38 |
- URL |
- かろプッチ #-
- [ 編集 ]
こんばんは。
わざわざTBを送っていただき、ありがとうございます。
クマネズミは、かろブッチさんのご見解に隅々まで大賛成です。
とはいえ、映画の出来栄えからしたら、「この映画を好きな人」に気を遣われて、そんなに韜晦なさらずともかまわないように思うのですが!!
というのも、
a.この映画の劇場用パンフレットのラスト4ページに満載の関連グッズのもの凄さ(旗信号シール、ドロップ、卓上ディスプレイ等々)を見れば、まさにこのアニメが、「お願いだからこれ見てオモチャもたくさん買ってください」って感情を恥ずかしげもなく丸出しにしている方」に属することは明らかですし(何しろ、企画・脚本の宮崎駿氏が見下している原作漫画もこの機会に売りに出されます!)、
b.「吾郎監督の世間的な評判の悪さを逆手に取った」感じの鈴木俊夫氏の見え透いた戦略については、8月9日の夜のNHK番組「ふたり―コクリコ坂・父と子の300日戦争―」という“ペラッペラの”ドキュメンタリー番組からも明々白々でしょうし、
c.「上を向いてあるこう」は1961年のヒット曲で、映画が設定している1963年当時に「その時代の最もメジャーで最もその時代の良さを喚起させるだけの歌」といえるのか疑問ですし〔翌年のセンバツの行進曲になったにしても、やはり欧米で「SUKIYAKI」として大ヒットしたのを受けて日本で再評価されて、国民歌謡曲になったのではないでしょうか〕、
d.「カルチェラタン」といったカタカナ語の付いた建物を守ることは、一つには物神崇拝の最たるものでしょうし、さらには「カルチェラタン」を守るなどといったら「欧米か!」(いささか時期遅れながら)と茶化されることでもあるでしょうし〔といっても、上記の「上を向いてあるこう」のみならず、かろブッチさんがあげられる小津安二郎にしても、欧米での再評価があってこそですが!〕、
e.かろブッチさんが、「「レトロでいい雰囲気でしょ?こういうの好きなんでしょ?」っていう観客をナメてかかっている様子がどうしても見えてしまう作品」とされるのは、宮崎駿氏が、原作漫画を評して「大衆蔑視が敷き込まれている」と述べていることがブーメランとして宮崎氏自身に跳ね返っていることの一つの現れでしょうし、
f.宮崎吾郎氏は、「宮崎駿の世に対する挑発的な精神こそ踏襲」すべきにもかかわらず、「もっとこちらを脅かして欲しいんだよ」と上記のNHK番組で宮崎駿氏自身に言われてしまっているのですから〔でも、クマネズミには、宮崎親子の関係など何の関心もありません。企画・脚本と監督の分離は、他のジブリの作品でも色々行われていいますから〕。
もうこの際はっきりと、かろブッチさんは、このアニメは「
好きにはなれない」と太字で述べられるべきではないでしょうか?
- 2011/08/16(火) 00:26:36 |
- URL |
- クマネズミ #nmxoCd6A
- [ 編集 ]
はじめまして。
いつも楽しくブログ楽しく読ませてもらっています。
この映画私は好きです。
別に古いもの好きというわけではありませんが。
勿論、この映画を嫌いな人の批判はしません。
ただ、いつものかろプッチさんの記事とは違って「嫌い」という感情のごり押しで書かれている気がして残念でした。
女ばかりの「コクリコ荘」と男ばかりの「カルチェラタン」についてのかろプッチさんの考察とかも期待してましたが、残念です。
これからも感想楽しみにしてます。
- 2011/08/17(水) 13:19:31 |
- URL |
- ベンジャミン #HfMzn2gY
- [ 編集 ]
>クマネズミさま
こんばんは。コメントありがとうございます。
お返事が遅れてしまい申し訳ないです。
いつになくtwitterやWeb拍手のコメントやここのコメント欄で色々意見を頂いて大変参考になっております。
まぁ嫌いな映画だからと言って、悪く言うだけじゃ芸もないし、不快にさせてしまうだろうし(事実、不快に思われた方も多いと思います)、客観的に見る視点も持てるし――なにより「嫌いな映画」ではあるのですが、"ある種の面白さ"は備えていると思うんです、この映画。
映画というのは大人数で作り莫大なお金がかかることから、大衆や経済と密接にリンクしており、他の創作物に比べ、より時代性が反映されやすいとはよく言われていると思います。
ここで、なにをもって"作品"と呼ぶかってことが重要になってくると思います。すなわち映画単体で見れば、なんてことない『コクリコ坂から』ですが、これを例えばYahooレビューなんかで起きている言い合いをはじめとする観客側の意見や、宮崎吾郎を「日本一カワイソーな監督」と呼びある種アイドル化させる視点や『ゲド戦記』を失敗作として認めた上での本作という視点を加味して映画を見ることを促した鈴木敏夫プロデューサーのテクニック、スタジオジブリというモンスターアニメ会社の存在、クマネズミさんは関心がないとおっしゃっていますが宮崎駿と吾郎の確執、関連グッズの売り方やスタジオジブリが新作を発表することで生じる経済効果、その他もろもろの"『コクリコ坂から』にまつわる全ての要素"などなどメタ的な次元を含んだ「今」をもってして一つの"作品"と見なすなら、本作は「スタジオジブリ」「親子」「漫画」「アニメーション」「経済」など総じて「現代」についての考察を促すなかなか面白い"作品"に見えてくると思います。
もちろんそういったメタ的視点で作品を眺めることはいささか邪道ではあるのですが、それでも否定できるものでもありません。
で、そのような視点をもって作品を眺めた時、ああだこうだと論争する楽しさを与えてくれる本作は実は面白いと言っていいのではないだろうかと、そう思えてきてしまったのです。
以上の理由でもって「このアニメを好きにはなれない」と太字で断言しにくいのだと思います。
大変、参考になる補足解説ありがとうございます。小津も欧米の評価が先立ったのですね。知らなかった。
また遊びにきてください。
- 2011/08/18(木) 02:05:47 |
- URL |
- かろうじてアメリゴ・ベスプッチ #hjrjzpCg
- [ 編集 ]
>ベンジャミンさま
はじめまして。コメントありがとうございます。
せっかく楽しみにして頂いたのにいつもと違うスタイルになってしまって申し訳ありません。
『コクリコ坂から』を好きな方が率直な意見を書き込んで頂いてとてもうれしいです。一つ上の"クマネズミさん"に向けてのコメントにも書きましたが、この作品に関して様々な人と語ってみたいと思っていて、いつもより極論を言ってみました。ただ「美空ひばりレベル」はなかったと自分でも思います。「樋口一葉レベル」に変えようかと悩んでおります。
>女ばかりの「コクリコ荘」と男ばかりの「カルチェラタン」についてのかろプッチさんの考察とかも期待してましたが、残念です。
これに関して考えると宮崎駿論になってしまい、脱線極まりなくなってしいそうですが、宮崎駿の一つのテーマを表していると思います。
それは無機質なものが有機的なものと絡み合うことで流れるようななめらかな動き(それは実際のアクションだったり、感情の動きだったりする)を生み出すということ。例えば『ハウルの動く城』の城――無機的な城に苔がまとわりついている。また『風の谷のナウシカ』の世界観――無機質な世界に有機的な蟲や美少女がはつらつと動く。はたまた『紅の豚』――無機質な戦闘機を"欲望の塊"を具象化した豚が乗り回すことでひとつの美学を奏でる――もしくはとりあえず無機質なセル画にてウニョウニョぽにょぽにょしたものを描きましたという『崖の上のポニョ』などがその最たる例か。それは無生物に生命を吹き込むという、アニメの基本表現であったりするし、その考えを進めていけば『もののけ姫』や漫画版『ナウシカ』の結末のように「人間も自然の一部であり、よって文明も文明の発達に夜滅びも自然の一現象である」という宮崎駿特有の思想にも繋がっていく。
で、カルチェラタンとコクリコ荘の対比なのですが、カルチェラタンは薄汚くガチャガチャしていて、その住人はひどく堅物で無機質なキャラクターが多い。そこに実にはつらつとした生命感あふれるキャラクター(として描きたかったと思われる)海が迷い込むことで、彼女が潤滑油にでもなったかのように、無機質なカルチェラタンが生命感を浴びて動き出す。それを象徴するのが時計が動き出すショットであり、多分、戦争の傷跡により塞がれてしまっていた心を(俊の恋愛なりワークホリック気味な会長の気持ちなり)再び動かすという展開であったりする。
やたらと先進的な女性ばかりが住むコクリコ荘は、戦後の「女は家にいろ」という思想から脱しようとしている"生命の象徴"なのでしょうか。ヒナゲシってそんなイメージ。そこらへんの考察はもうちょっとジェンダー論とかに関わってきそうですね。
という宮崎駿作品全体に対する考察に繋がるように感じましたが、本作ではその宮崎駿の思想が映像的に表現されきっていないのが残念というか、他人に向けた脚本なのに宮崎駿は色を出しすぎというか。
> これからも感想楽しみにしてます。
はげみになります。ありがとうございます。また是非遊びに来てください。
- 2011/08/18(木) 03:07:40 |
- URL |
- かろうじてアメリゴ・ベスプッチ #hjrjzpCg
- [ 編集 ]
初めまして、「まるで安っぽいメロドラマだ」で検索して来ました。
この映画、好き嫌いがはっきり出るような映画のようですね。
私のお気に入りに入れてある映画Webでもそうなっていて、というか
そうなっているのでいろいろ当ってみると・・・そうなのか、と。
嫌いな人の意見には「なんて読みが浅いんだ」といいたくなるのですが、
その多くが若僧なので「しようが無いか」と思ったりします。
宮崎駿ならこうするのに、という見方には「頭が固すぎて話しにならん」です。
昨日、こちらに初めて来てサッとスクロールし「・・・怒っちゃだめだよ、シリーズ」とかで
今日はじっくりと読んで見ましたが、
(1)世襲制って言ったって「制度」があるわけでもなのに「制」といってレッテルを貼って
これは言葉に責任を押し付けて逃げの批判にしかなっていません。
がっかりです。
(2)ジブリ自慢の食事シーンが台無しだ、というのは駿さんの拘り方が大層立派なので
すべてがそれに習わなくてはならないなんていう、つまらん伝統必須死守主義です。
そうそう、金科玉条主義。
「まるで安っぽいメロドラマだ」のシーン。海の表情に手抜きはありませんでした。
(3)30年代にしたのは50年代(原作)否定ではありませんね。
テーマを描きやすかった。
カルチェラタンの存続理由が大人びてもっともらしすぎるって!?
高校生は背伸びしたがるんですよ!
私はニヤニヤしながら突っ込みを入れながら大いに楽しくみていましたねぇ。
「春画」じゃなくて「浮世絵」でしょうが!
あなたのスケベ度が露呈してます^^
(4)何もしないのに、とんとん拍子に問題解決ですって!?
まったく読みが浅いというか、伏線はすべてに張ってある。
想像や妄想を駆使すれば、易とも簡単にとは言わないが
十分に納得がいく物語が構築されている。
何もしてない、何も努力して無い?
君たちは何を見ているんだね、ええっ!?
(5)表面しか無い、中身は無いとな?
最近の鱗は不純物が蓄積されて偏光乱屈折が顕著だからしようが無いか。
長澤まさみの声が好いって?
ホントですか、所謂アニメ声の愛好者ではないのですね!
《総轄》
他人の言葉を引用して便乗批判し、それに反論するスタイル。
いい子ぶる書き方は感心しないね。
そんなやり方は「嫌いだ」
キネマ旬報によると、本作品の興行収入は「ゲド戦記」の半分にも届かないだろう
ということです。
私にはとても意外なことで、驚きました。
喝采を送る人たちの姿が目に浮かびますね^^
私的には「さよならの夏」再発見が収穫の一つでした。
- 2011/08/22(月) 19:54:09 |
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- 成層圏 #Uxrgve2U
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【ネタバレ注意】
なぜ1963年なのだろう?
マンガ『コクリコ坂から』が少女マンガ誌『なかよし』に連載されたのは、1980年である。もちろん、その時代を背景に、その時代の少女たちを対象に描かれた...
- 2011/08/13(土) 21:24:04 |
- 映画のブログ
ジブリの最新作。
1963年頃の横浜を舞台に、繰り広げられる高校生たちの青春。
この時代の風景が、ただただ美しい。
そしてみずみずしい。
これを眺めているだけで、心が満たされていく。
一方で、ノスタルジーっぽい気分だけに終始させないところが腕の見せ所か。
(そ...
- 2011/08/14(日) 15:32:27 |
- 日々 是 変化ナリ 〜 DAYS OF STRUGGLE 〜
『コクリコ坂から』を、新装なったTOHOシネマズ渋谷で見てきました。
(1)この映画は、1963年の横浜を舞台に、男女の高校生の清々しい恋愛を描いた作品と言えるでしょう。ですが、下記の前田有一氏が述べるように、「話にも、絵にも、演出にも目を見張るものがない。こ...
- 2011/08/16(火) 00:30:07 |
- 映画的・絵画的・音楽的
五つ星評価で【☆☆☆盛り上がりに欠けるけど、やりたい事は分からんでもない】
メロドラマに学生自治体ドラマが混じる。
1カット1カット居心地がいい。
それはジブリの遺 ...
- 2011/08/31(水) 00:33:23 |
- ふじき78の死屍累々映画日記
個人的にはゲド戦記が微妙だったので見ようかやめようか迷っていたのですが、ネットでも今回の作品はおもしろい!との評判。と言うことでコクリコ坂からを見てきました。
- 2011/09/10(土) 05:57:15 |
- よしなしごと