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『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』は深読みしやすいよ。

ケンジュン

 今回から4回連続で日本映画の感想となります。「ジャンプ」感想挟むかも知れないけれど。
 火曜日の来場者数が119人と今までで最も多かったです。
 最初の頃は28人で大騒ぎしていたからずいぶんと来場者数も増えましたね。ありがとうございます。

 てなわけで日本映画スペシャル第一弾は『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』。観に行った映画館は新宿ピカデリー。この映画館の客層とはちょっと雰囲気が異なる映画のためか、けっこうスカスカ。一人客の中高年が多かった印象です。


概要:監督は『ゲルマニウムの夜』の大森立嗣。麿赤兒の息子が監督して、松田優作の息子と奥田瑛二の娘と柄本明の息子が出ています、あと宮凬あおいのお兄ちゃんと江本祐のお父さん。
 同じ孤児院で兄弟のように育ったケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)は、工事現場でひたすら壁を壊す“はつり”と呼ばれる仕事をしている。低賃金と劣悪な労働条件に加え、職場の先輩・裕也(新井浩文)からの理不尽ないじめに苦しめられていた。ある日、2人は街でブスな女の子のカヨちゃん(安藤サクラ)と出会う。以来、ジュンの部屋に転がり込むカヨちゃん。そんな中、ケンタとジュンは日頃の怨みを晴らすべく、裕也の愛車を破壊し、逃亡する。そして、カヨちゃんも連れ3人で、ケンタの兄・カズ(宮崎将)のいる網走へと旅立つのだが…。
"all cinema online"より抜粋


 「漠然とした閉塞感」の「破壊」がテーマの作品であり鑑賞後ズシンとは来る作品なんだけど、肝心なところでどうも「破壊」力に欠ける映画だったような感想を抱いてしまいました。

 工事現場で壁を「破壊」するシーンから始まるこの映画は、壁に閉ざされ進む道を限定されて選ぶ道など与えられていない人々の物語である。

 ケンタ、ジュン、カヨちゃんはそれぞれの壁に対する考え方が違う。

 「人生は道を選べる者と選べない者がいる」と言い、飼い主を喰い殺して自由を得ようとした闘犬を尊敬するケンタは、過酷な労働条件と貧しい生活といった自分の自由を限定している目の前の壁をぶち壊すことで、かりそめの自由を手に入れるが、自由になったところで何をしたらいいかわからない。網走がどこにあるかも分からずにとりあえず網走に向かってみたりする。
 やがて旅を続けながら彼は、やっと手に入れた自由によって作り出される「(やりたいことは分からないけれど)何でも出来る」「何でも選んでいい」といった新たな壁により更なる閉塞感を感じる。壁を壊した先にもやはり思ったような「自由」は何もなく、ただ壁が建ち塞がるだけであることを知り失望する。

 自分を食わせてくれる飼い主を喰い殺した闘犬をバカだと言うジュンは、彼の自由を限定する壁を、意識はしていないながらも、その中の生活に順応している。裕也にもいじめられていないし、ナンパしたブスな女の子の家に泊まり込んでお小遣いを貰ったりする。
 彼は壁がある事で「選択する」恐怖から目を背け、安穏に生活することを良しとしている。だから彼の自由を制限してくれているケンタがいないと彼は不安になってしまう(近年こんなにボーイズラブを感じさせない男性同士の友情関係があっただろうか)。彼は一見天真爛漫な自由人に振る舞うが、実は壁に囲まれてないと生きていけない人間なのだ。

 カヨちゃんは「愛されたい」を連呼するブスでバカでワキガで尻軽の女の子として描かれる。彼女はジュンと同様に「愛」によって自分を制限してくれる者を求めている。ジュンと違うのは自分がそういう存在であることを意識できていること。
 そして真実の愛を求めながらも、その存在を疑問視していて、ジュンを愛しているとは言うが、他の男に抱かれながら旅を続ける。状況に応じて「愛」を選択し、自分でルートを設けながら歩む道を築く彼女は、ケンタやジュンに散々バカにされながら実はケンタが求めていたような自分で考えて行動する「自由」を最も持ち得ているキャラクターかもしれない(それが彼女の幸福かどうかは定かではないが)。

 他にも飼い主を喰い殺して自由になったもののまた檻に閉じ込められた闘犬、自分で選択しているようで世の中に規定されている「幸福へのルート」にがんじがらめにされていることすら気づいていないキャバ嬢のゆみか(多部未華子)、隔離された施設にしか行き場がない障害者たちやケンタの友人洋輔(柄本祐)、壁をぶち壊した事でより強固な壁に囲まれて廃人のようにしまったケンタの兄などなど、今作は閉塞感を持った様々な人間たちの三者三様の「壁」や「自由」を描く。
 そこに現代の格差社会が産み出した悲劇性を見出すこともできれば、これを『息もできない』『ハート・ロッカー』のようなコミュニケーションの問題として捉える事も可能だし、常に現状に満足せずないものねだりをしてしまう人間固有の性質の問題とも捉えられる。

 着眼ポイントは人それぞれだけれども、個人的には「幸福の在処」の問題ではないかと読めた。

 何をもって幸福とするのか、自由ならば幸福なのか、多部ちゃんが演じるキャバ嬢や障害者たちのように無意識に既成のルートを歩んでいれば幸福なのか? ケンタの期待していた壁を破壊した先にある幸福の国は存在せず、ジュンはケンタという壁に囲まれていた方が幸せであったし、ブスでバカでワキガで男にいいように弄ばされて不要になったらポイされるカヨちゃんは本当に不幸とは思えない。幸福の価値観は人それぞれであり、自分の幸福の定規で他人の幸福を測ることはできない。本作のラストショットである、ヒッチハイクしたであろう男に暴力をふるわれ口から血を流すカヨちゃんの顔のアップが、非常に力強く、必ずしも悲惨には思えないところにこの映画が語る幸福論の難しさがうかがえる。
 あのカヨちゃんの表情だけでもこの映画の価値はあるかと。
 例えば『クロッシング』『ジョニー・マッド・ドッグ』でも幸福の相対性は描かれていたが、今回はよりそれを身近な問題として、そしてより繊細で観念的なものとして描いている。
 見終わったあとの映画談義を楽しませてくれる映画っていいですよね。


 そんな圧倒的な存在感の安藤サクラの怪演がスゲーのはもちろんのこと(ジュンに投げ捨てられたハンドバッグから転げ落ちるデオドラントスプレーを拾う切なさ…)、役者がいちいち素晴らしい。不気味にすら感じられる中身のない高良建吾のカラッとした演技、背筋に冷たいナイフをつきつけてくるような尖った怖さの新井浩文などもかなり良かったですが、中でもトレンディドラマに主に出演している若手人気俳優である松田翔太や多部未華子がこの映画に出たってことを評価するべきかと思います。ここ数ヵ月、感涙路線で固められ閉塞感が強い邦画界の「壁」をぶち壊そうと『告白』や『ヒーローショー』『アウトレイジ』など奮闘している感じがあるけれど、こういう若手人気俳優がその先陣を切ってくれるのはとても素敵だと思います。


 以上、「漠然とした閉塞感」の「破壊」と「幸福」といった、近年の邦画では避けられがちな、現代的であるものの難解で扱いにくいテーマ性を、真っ正面から語り、それを若手の人気俳優陣が本領発揮してやや泥臭くも並々ならぬ魅力で演じてくれるので、ぐずぐずの日本映画界に一石を投じたその意思と勇気だけでも(もちろんそれだけじゃなくきちんと面白い映画です)評価に値すると思います。


 ただ不満点もけっこうあります。真面目に見てればある程度伝わるテーマをセリフで言ってしまうこと、例えば冒頭のカヨちゃんの「私は本当の愛を知らない」云々のモノローグとか、刑務所でのカズとの「壁の向こうに何があるか」云々の会話とか、洋輔の障害者に対して「こいつらどこにも行き場がないんだよ」といったセリフ、テーマを強く押し出したい意識は伝わるし、そのおかげでよりこの作品へつっこんだ推測をすることも出来るんだけれど、なんていうか映画としてあまりカッコ良くない。そこまで映画の表面に出してしまうのであれば、それをヒントにして読み取れる、より突っ込んだ何かを作中で示してくれなければ…。
 あと同様に岡林信康の1974年の曲のカバーである印象的なエンディングの歌『私たちの望むものは』もあそこまでこれ見よがしに映画のテーマ性に絡められそうな歌詞にしてしまうとちょっと思わせぶりに感じてしまう。直球過ぎるテーマソングって『仮面ライダー』や『アイアンマン』みたいなお祭り映画ならいいけれど、インパクト強すぎて基本あんまり好きじゃないな。

 もう一つの不満は、これはけっこう個人的な好みの問題なんだろうけれど、ケンタとジュンの結末について。
 ネタバレになるので詳しくは書きませんが、終盤あそこまでケンタとジュンを追い込むのであれば、観念的にはせずに、その先にあるものをもっと具体的に明示する必要があるのではないかと。確かにあの結末を、悲惨で絶望的なものではなく、「希望」と捉えるように作品は観客をリードしているのではあろうが、他方で単なる現実からの「逃げ」にも見えてしまい、「今までのストーリーで提起されてきた問題は何だったの?」ってな気分にされてしまう。それは同時に作り手としての「逃げ」にも見えてしまう。
 この作品が意識しているであろう『バニシング・ポイント』や『イージー・ライダー』などの70年代のいわゆる「アメリカン・ニュー・シネマ」と比較すると、確かにあの時代の作品には最後に絶望的にも見える行動をとることで世間に一矢むくいる結末の作品は多い。しかし70年代には世の中に一矢報いた先に何かがあるかもしれないという希望があったが、2010年の現代、世の中に一矢報いた先にも何もないことが作中で断言されたうえでのあの結末は、やっぱり放り投げたような「逃げ」に読めてしまう。
 ただまぁ、その後にくるカヨちゃんの、例の強烈なアップショットがこの作品を締めくくるわけで、そのショットとまとめて考えれば現実にたくましく生きるカヨちゃんと、もはや現実には生きる場所が無くなり、非現実の世界へ逃げるケンタとジュンの対比とも読める。するとさっき言った「幸福の在処」といった問題に関連づけることが出来るわけで、するとあの「逃げ」にも思えるシーンが活きてくるわけで…。なんだかよく分かんなくなってきたので僕も「逃げ」ます。

 あと終盤重要なアイテムとして拳銃が出てくるんだけど、拳銃じゃなくて鈍器かせめてナイフだろ、とか。拳銃じゃ「壊す」感じが出ない。

 以上、『サバイバル・オブ・ザ・デッド』同様に少しメッセージ性が先走りすぎて頭でっかちになってしまい映画としてはやや不格好になった感は否めませんが、強い映画であることは間違いないと思います。役者の演技はとてもいいし。
 戸田恵梨香レベル


 次回は北野武の新作『アウトレイジ』の感想だよ、バカヤロウ!
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テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2010/07/01(木) 23:14:43|
  2. 映画カ行
  3. | トラックバック:2
  4. | コメント:2
<<『アウトレイジ』はビジネスライクなバトルロイヤルだよ。 | ホーム | 「週刊少年ジャンプ」2010年30号の一言感想>>

コメント

初コメントです。

荘吉さんはすごいなー。ちゃんと分かりやすく考察されている。うーむ、尊敬します。
とりあえず、コメントを兼ねて僕の感想を述べさせて下さい。場をお借りします。

『漠然とした閉塞感』なるほど。確かにそうですね。
僕は、カウンターカルチャー失効以降、メインカルチャーとカウンターカルチャーの位置が逆転し、すべての価値がフラットと化した、、特に90年代後半から顕著になりつつある自己への批判が表現になるという事(壊す壁がないから自己を愛でていく)、しかしそこからは何をも生み出せない=その先には何もない。という葛藤が『漠然とした閉塞感』に繋がっているのではないかと思いました。

だからこその工事現場でひたすら壁を壊す“はつり”という職業ではないのでしょうかね。
壊しても、壊しても、その先には何も無い。だから彼らは自己の内面に夢の国を見いだし旅に出る。ここで彼らの憧れの対象は兄貴であった、これはまだ壊すべき壁があったそこに批判すべき体制や文化があった時代の形骸化、敗北の象徴としての兄だったのではないかと僕は捉えました。

それでカヨちゃん。彼女はある種、とてもフラットで客観的、観客的な立場でこのロードムービーを紡いでいく。彼女がこの位置に居る限り、観客と映画の距離は離れる事がないという安心感。それは彼女がブスと馬鹿と云われる度に、僕らに近づいてくる。その目で、僕らがケンタやジュンを観ている限り、僕らは彼らに同意を、強い共感を感じる事が出来る。網走ってどこ?とか八戸を読めなかったり、彼らの事を馬鹿だと僕らは思うことでその閉塞感や衝動にたいして親近感を覚える事が出来るんじゃないかと。。「幸福の在処」「愛を求める」「繋がりを求める」ここで観客=カヨちゃんの図式が出来たのではないかと。。

あまり、上手くまとめられないので、最後にラストですが、ここ近年で稀に観る最高のシーンだと僕は思いました。
それは、前述した通り、ケンタとジュンは限りなく、内側へ、内側へと消えていく、壊すべき壁がなく選択しも無い世の中を右往左往しながら、自らの内面へと、自らを擦り減らし、夢にまで観た希望へと消えていく。ただ、最後に傷ついた彼らはそれを知っていながら。。
そしてカヨちゃんは、僕らとともにここに残る。そこに対する強い意志と、自己(肥大化した自己を愛でる意識)との決別感、生きる事への覚悟、があったんではないか?ただ無防備に漠然とした未来に取り残されたのではなく、、それがラストであり、僕らと今まで近くに居たカヨちゃんを最後にかけ離れた存在として、あるべき姿として対比させたんではないかと思います。

ただ、よくも悪くも、この映画は衝動でしかない(壊す、探す、愛でる、繋がる)という事です。ただこの衝動に僕は強く惹かれました。

感想をまとめられないので長くなりました、がこの辺で。。。荘吉さんみたいに上手い事云えません。やはり尊敬です。これからも荘吉さんブログで勉強させて頂きます。。
  1. 2010/07/05(月) 03:32:49 |
  2. URL |
  3. 松岡 #-
  4. [ 編集 ]

>松岡くん
 気合い入ったコメントありがとうございます。とても嬉しいです。

 失礼ながら要約させていただくと、90年代後半の作品、例えば『エヴァ』なんかで見られる外界に向けていくら叫んでも何も変わりやしない、だから「内面を探求していくことで、心の持ち用を変えて世界を変化させよう」って思想があって、ケンタの劇中の旅の目的は、それを実践した兄に会うことで、自分自身も「変化した世界<ケンタの国>」へ到達しようとするところにある。
 しかしその内面の探求の末にも何もないことが露になったために、「我々はどこにも行けないんじゃないか」という閉塞感におそわれてしまうのがケンタであり、それに絶望しているのがケンタの兄。

 カヨちゃんは、例えば漫画で言うところの読者視点のキャラクターって解釈と読んでよろしいですか?
 つまり『ドラゴンボール』でいうところのウーロンやクリリン、『ワンピース』でいうところのウソップのような。そうだとしたら、観客が共感を抱くのはケンタやジュンではなく、カヨちゃんってことになって、カヨちゃんがジュンたちに愛着を抱くから、観客もジュンたちに愛着を抱くという二重構造的な解釈でしょうか?

 で、その二重構造的な共感がラストシークエンスに活きる。我々がカヨちゃんの目を通して愛着を抱いていたはずだったケンタやジュンは更に内面へと失踪していくことで観客の前から消えていってしまう。一方で観客の視点キャラであったカヨちゃんは、強い意志と、自己(肥大化した自己を愛でる意識)との決別感、生きる事への覚悟を持って現実に居座りつづける。それは観客と同じ視点を持ち得ながら、一方で観客とはかけ離れているであろう強くたくましい存在として(しかしそれは必ずしも肯定できるものではないが)、言い換えればこの作品の一つの結論として描かれている…と、読んでよろしいでしょうか?

 「肥大化した自己を愛でる意識」っていう読み方に溜飲が下がりました。
 確かに現実的でありながらどこかうすぼんやりとして現実味に欠けるケンタとジュンの旅は自身の内面を追求する旅に読めますね。
 新井浩文の電話や多部ちゃんとのデートでガツンと現実に戻されるショックがでかかったのもそういう理由があってか。

 そして「衝動」であり「思考」や「思想」ではない。
 「考えろ」っていう命題を持っていた旧世紀版『エヴァ』に対し、新世紀版『エヴァ』は「考えるだけでなく動け」って命題を描いていたと思うけれど、この映画の「衝動」はそれに近いものを感じます。

 カヨちゃんの結末は、色んな解釈がとれますね。
 カヨちゃんのあのラストシーンはおそらくまた違う男に「ねぇ、愛してるって言ってぇ~」って甘い声を出して「ウゼェよ」って車から追い出されていたのではないかと見えました。
 そうやって「愛」を取捨選択していくという形で肥大する自己と決別し現実と向き合うカヨちゃんの生き方。それは衝動であり思想ではない。そのただひたすら行動する衝動的な生き方を物語はポジティブに描いているのか、ネガティブに描いているのか。
 そこら辺をどう捉えるかっていうのは人によってかなりばらつきがあるのではないかと。
 ただ僕は、彼女の最後のアップショットに、危険な魅力を感じてしまいました。

 すげー長くなってしまってごめんなさい。
 またコメントください。
  1. 2010/07/06(火) 00:37:37 |
  2. URL |
  3. かろプッチ #-
  4. [ 編集 ]

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ケンタとジュンとカヨちゃんの国

希望と絶望がブレンドされた青春映画は、&ldquo;今&rdquo;をブチ壊したものだけがたどりつける場所を目指すロード・ムービーだ。孤児院で育ったケンタとジュンは、解体現場でひたすら壁を壊す&ldquo;はつり&rdquo;という不毛な仕事をこなしながら日々をやり過ごしている。...
  1. 2010/07/02(金) 00:07:00 |
  2. 映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子公式HP

『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(2009)/日本

監督・脚本:大森立嗣出演:松田翔太、高良健吾、安藤サクラ、宮崎将、柄本佑、洞口依子、多部未華子、美保純、山本政志、新井浩文、小林薫、柄本明試写会場 : 九段会館公式サイ...
  1. 2010/07/02(金) 01:06:26 |
  2. NiceOne!!

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Author:かろうじてアメリゴ・ベスプッチ
 映画のこととか長々と書くブログです。
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 chikiuso2800って名前。
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