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「少年ジャンプ」と水木しげると映画とおもちゃと特撮を愛します。

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『名探偵コナン 沈黙の15分(クォーター)』は精巧なミニチュアだよ。

名探偵コナン

 そんなわけで今回はサイコロ転がして観に行くことになった『名探偵コナン 沈黙の15分(クォーター)』の感想。

 観に行った映画館は吉祥寺プラザ。数年ぶりにこの映画館に行ったのですが、相変わらず昭和!!ピンクの電話おいてあるし、事務局のドアが開いていたので覗いてみたら大昔のテレビが!!昭和!!アイス売りのオバさんが来たり煙草を吸い出すおじさんが出てきそうな雰囲気。今調べたら公式ホームページが存在しないとか!!是非是非このままずーっと残っていて欲しいです。お客さんは僕と僕の連れの人と、ギャル二人、おじさん一人。公開して一ヶ月以上経っているしこんなもんですね。
 ギャル二人はゲスト声優の戦場カメラマン渡辺陽一さんの登場で異常なほどゲラゲラ笑っていましたが、彼女たちは渡辺陽一さんのファンでしょうか?


概要:2011年の日本映画。青山剛昌原作人気TVアニメの劇場版シリーズ第15弾。総監督は山本泰一郎、監督は静野孔文、脚本は古内一成、音楽はザ・スパイダーズの大野克夫。
 ある日、朝倉都知事宛の脅迫状が届き、翌日、都知事が開通した新地下鉄トンネルが爆破される。コナン(声:高山みなみ)の活躍でけが人は出さずに済んだが、都知事を狙ったテロ事件への懸念が高まる。コナンは、都知事が国土交通大臣時代に関わった新潟県のダム建設を巡って怨みを持つ者がいないか調査に乗り出す。やがてダム建設の村で8年前に起こった交通死亡事故と、同じ日に崖から転落して以来意識を失ったままの少年・立原冬馬の存在が事件の重要なカギとして浮上してくるが…。
("allcinema online"より抜粋)


 最初に言っておくと『コナン・ザ・グレート』『未来少年コナン』の知識はございますが、『名探偵コナン』の知識はまるでございません。
 本作のオープニングクレジットで、コナンが如何にして「身体は子供、頭脳は大人」になったかとか、そのほか諸々のことが「そんなの言わなくても知ってるよね」みたいな風に語られていますが、あれがあって助かったくらい僕の中で今まで触れてこなかったシリーズです。
 てなわけで今回は「いまさらそんな語られ尽くされた感想言われても…」みたいに思われるかもしれないです。ご了承を。
(※)総じて本作に対して好印象なのですが、その理由の一つとして、他のテレビドラマやテレビアニメの映画化によくある原作に通じてないとよくわからない作りになっていなく、この映画のみで一見さんでも充分楽しめる作りになっている点があげられます。


 当ブログで何度か書いているけれどオモチャが好きである。オモチャと言うより"ミニチュア"が好きで、あまりアニメキャラのフィギュアは興味なく実写作品のフィギュアが好きなのだ。
  で、本作の面白さの基本は「ミニチュアの楽しさ」にあると思う。そこを解説したいと思います。


(1)本作のそもそもの醍醐味というのは、本格派ミステリーを子供の視点で楽しめるという点にあると思う。
 横溝正史や江戸川乱歩が陰惨に描きそうな殺人事件をちびっ子向けに描き、天才探偵が小学一年生にまでミニチュアライズされたという設定の主人公が、サッカーボールやスケボーなど身近なアイテムを駆使し解決する、そういう「等身サイズの本格派ミステリー」、それがミニチュア的なのだ。

 そしてその映画版である本作もまた「ミニチュア」のルールから外れず「ハリウッド映画的なアクションミステリー」のミニチュアを見事に展開している。


(2)「ハリウッド映画的なアクションミステリー」とは、例えば『アンストッパブル』『特攻野郎Aチーム THE MOVIE』のように、主人公の絶え間ないアクションと、理にかなった物語展開、ショッキングなシーンの連続で飽きさせずに物語展開する点などに代表される。
 本作もまず最初にスリル満点の新幹線爆破エピソードから始まりそれをきちんと小学生のコナンの活躍で解決する。「小学生がこんな活躍出来るか?」と、多少無理もあるがまぁそこら辺はこのアニメのリアルの線引き的に許される範疇かと。
 で、舞台を映画らしいロケーションの雪山にうつし、そこで殺人事件の関係者とそれぞれのドロドロとした関係性を簡潔に説明。
 ちょっと説明くさくなってきたところで第2の殺人事件で観客にショックを与え、続いてテンポよく事件解決へ。
 さらに殺人事件の内情を知ってどんよりとした劇場内のもやもやを晴らすように最後にど派手なアクションを投入してカタルシスを与える。

 以上のような実に理にかなった、最大公約数の観客を最大限に楽しませる手法で映画が進む。これがハリウッド映画的な楽しさを、ミニチュアライズして描くということである。


(3)「ミニチュアライズ」の意味をもう少し拡大すると、例えば「余分なものを省いてシェイプアップすることで分かりやすくする」という例があげられる。

 ホテルのロビーでの事件関係者紹介シーンで、彼らは「かつてこいつがこいつの妹を轢き殺したんだ」だの「こいつはいつまでもダム建設に反対していたんだ」だのを初対面でしかも小学生のコナンたちの前でいきなり語る。
 いくら理にかなったハリウッド映画的なストーリーテリングとはいえ、最低限不自然にならないよう物語を進行させる必要があり、そんな一つのシーンで全てをの人間関係を初対面の小学生を前に語ってしまうというような描写は普通の実写映画なら決して行ってはいけない描写だ。
 しかし観客が本作に期待するのは"ミニチュア的な本格ミステリー"、詰め将棋的な謎の提示とその解決、ジェットコースターのような一時的なスリルを与えるアクションを見られればいいわけで、この映画に限ってはそういった暴力的な省略も許されてしまうのだ。

 また、初対面の小学生を前にどろどろした過去をべらべら語る事に関しては、キャラクターデザインを上手く利用することでそこまで不自然になっていないと思う。すなわち、どちらかと言えばリアル寄りのキャラクターデザインと性格を持つ事件関係者たちに対して、コナンやその仲間たちの「名探偵サイド」はすごく漫画っぽいデザインと性格で区別されているため、「名探偵サイド」がいささか不自然な状況に置かれても、彼らをリアルとアンリアルの境界を行き来できるトリックスター(※)として見ることが出来るためそこまで不自然に思えないのだ。
 これもコナンたちの持つミニチュア的デザインによる視覚効果と言えるだろう。

(※)二つの世界を行き来できる者のこと。シャーロック・ホームズ、明智小五郎、金田一耕助、名探偵ポワロなど、名探偵は血みどろの殺人事件に対して距離を保ち客観視して、事件が終了してから介入していく必要があるため、この世の者ではない異世界の住人のような現実性のない性格づけが多い。


(4)ではミニチュア的なものに我々が得る楽しみとはなんだろうか。
 ミニチュアとは模型、「模」した「型」である。神でも車でもバイクでもロボットでも怪獣でも、そして名探偵でも、自分より大きな力に触れたとき人はそれを手元におき安心したい欲にかられることが多い。
 それが偶像崇拝になり「模型」につながるのだ。
 かつての名探偵たちは目を覆いたくなるような陰惨な殺人事件や、巻き込まれたら99パーセント死ぬような大事故に面したときそれを解決できるような天才的な頭脳を持っていた。それに触れた我々はなんとかお手頃サイズで「名探偵」や「事件」を欲したくなる。
 その結果が『名探偵コナン』でありその映画版なのではないだろうか。


 以上、『名探偵コナン 沈黙の15分(クォーター)』はミニチュア的な意匠が散りばめられており、お手頃サイズでハリウッド映画的なサスペンスアクションが楽しめる作品だったと思われる。


(5)不満点としてはキャラクタービジネスとしてのテレビアニメの映画化の宿命なのだろうけれど、頑張ってシェイプアップした物語の中であきらかに活躍していない、出ているだけの登場人物が多いこと。ヒロインの友達とか。
 それと子供にも分かりやすくする配慮かもしれないけど、パッと見ただけでなにが面白いのかわかるギャグを、「おいおいすでにメタボじゃねーか」とか「おいおいここに新一はいるんだけどな」とかいちいちコナンがモノローグでツッコミ入れて説明するところ。
 あとあまりにダサすぎるエンドクレジットとか。実写映像になってB'zの歌を背景にスキーヤーが晴天の雪山を滑走している。まあこれはむしろ潔いからアリっちゃアリなんですが。
 こんなしょぼい計画のためにダム崩壊とか新幹線爆破による都知事暗殺とか大掛かりすぎるだろうといった無理のあるストーリーは敢えてツッコミ入れるのは無粋かなーと。


 以上。完全にナメてかかったらきちんと面白かったので、なにやら儲けた感じです。一緒に見に行ったシリーズファンの人から言わせれば昔はもっと面白かったそうなのでビデオで復習してみます。
 過度な期待は禁物ですが、及第点越えもできてない映画が腐るほどあるなか、きちんと誰でも楽しめるよう丁寧に作ってある本作はオススメできます。

 吉澤ひとみレベル。

 次回はそんな本格ハリウッド製アクション大作。大人気シリーズの第4弾『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の感想です。

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/05/30(月) 11:01:51|
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『ミスター・ノーバディ』は優しい屁理屈だよ。

ミスターノーバディ

 今回は公開から少し経ってしまいましたが、SF映画『ミスター・ノーバディ』の感想であろう。

 今回は付け焼き刃のSF用語を自信満々に羅列しますが、なにせ付け焼き刃、間違っている箇所も多いと思われます。訂正して頂けたら嬉しいです。

 見に行った映画館はヒューマントラストシネマ渋谷。今回はエレベーターもすぐに来て遅刻せずに済みました。そもそもギリギリでいくのが悪いですね。
 水曜日1000円の日でしたがそこまで流行ってない感じ。恋愛ドラマ調の予告編に騙されたのか女性客が多めでした。


概要:2009年のフランス/ドイツ/ベルギー/カナダ映画。監督・脚本は『八日目』『トト・ザ・ヒーロー』のジャコ・ヴァン・ドルマル。音楽のピエール・ヴァン・ドルマルという方は弟でしょうか。映画の完成を待たずして亡くなられたそうです。印象的な美術はシルヴィー・オリヴィエという人。
 西暦2092年。そこは、もはや人が死ぬことのない世界。そんな中、死を迎える最後の人間となった118歳の老人ニモ(少年期:トマ・バーン、青年期:トビー・レグボ、成年期と老年期:ジャレッド・レトー)に世界の注目が集まっていた。やがて彼は、記者の質問に応えて自らの過去を思い出し、語り始める。9歳のニモ。彼の前には3人の少女、赤い服のアンナ(ダイアン・クルーガー)、青い服のエリース(サラ・ポーリー)、黄色い服のジーン(リン・ダン・ファン)がいた。彼女たちそれぞれとの結婚生活に思いを馳せるニモ。そんなある日、両親の離婚という悲劇が訪れる。そして駅のプラットホームで、電車に乗り込む母(ナターシャ・リトル)について行くのか、父(リス・エヴァンス)と一緒に見送るのかという選択を迫られるニモだったが…。
"allcinema online"より抜粋)


 誰でも老いるのはイヤだし、なるべくだったら若くいたい。
 が、若さが絶対的な価値を持つ若さ信奉主義は特に昨今の我が国に強くあるようで、アメリカだと毎年夏になるとスクリーン内では40代の白人男性が世界を救っているものの、日本だと17くらいの女の子が毎年世界を救っている。『仮面ライダー』『スーパー戦隊』も年々若くなってきている。
 完成された経験豊富な大人の魅力より、未成熟で可能性のある若者の方が好かれる世の中なのかもしれない。

 が、本作は成熟どころか老年期すら通り過ぎて枯れきった老人が過去を振り返る物語であり、118年間培ってきた無数の経験や愛情が世界を救うほどのかけがえのないパワーを持っていると描いていると感じた。


(1)一年半ほどこのブログを続けて200本近くの映画感想を書いてきたけれど、人生の厳しさや暗さを語る作品は多い。
 例えば『ラブリーボーン』『プレシャス』『クロッシング(韓)』『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』『ヘブンズストーリー』『瞳の奥の秘密』『ブルーバレンタイン』『メアリー&マックス』などなど皆様々な人生の厳しさを描いてきた。
 本作も暗い。ひたすら暗い。登場人物たちはことごとくうまくいかない。離婚・事故死・鬱・自殺…様々な不幸が描かれる。
 しかし映像はたまらなくハッピーだ。いたるところでThe Chordettes"Mister Sandman"が流れ、『ミックマック』のごときカラフルでキッチュな色調で彩られ、2092年の描写も近頃では珍しいユートピア的な未来ビジュアルによって構築されている。
 このハッピーな外装と、アンハッピーな内面のギャップは何を表すのだろうか?
 それらのハッピーな映像は様々なSF的考証ののち結末にて意味をなす。


(2)本作は様々なお馴染みのSFや哲学に溢れている。
 先に本作で起こるSF的展開を雑にまとめていくと、『バタフライエフェクト』でお馴染み、中国で蝶が羽ばたけばアメリカで嵐が起こり、風が吹けば桶屋が儲かる例のあれからはじまり、風の向きをちょっと変えるだけで平行時間軸が幾重にも生成され、それはエントロピーの法則で無限に広がる。その全ては実は脳が信号を送って見せたまやかしにすぎないかもしれないが、可能性がある以上矛盾する物事が同時に存在することを否定できないシュレーディンガーの猫――実在性を完全に否定できないならば可能性の数だけ全て実在する。
 このように、どこかで聞いたようなSF設定や哲学に溢れている。
(*)SFも哲学もあまり馴染みのない人が見たらチンプンカンプンになる恐れがある。まあ実際2時間強の本作をじっくり見ればちょっと複雑な『ドラえもん』くらいの難解さで理解はできると思うけれど。

 以下でもう少し詳しく解説。


(3)主人公ニモは「この世のすべてを理解したまま」生まれてしまったため、選択を迫られるとその先に起こることが瞬時にわかる。別れた両親の父についていくか、母についていくか、ダンスの相手はブルーのドレスの金髪エリースか、イエローのドレスのアジア系ジーンか、そういった選択が彼の運命を大きく枝分かれさせていき、そのような運命的な選択の場面を行ったり来たりすることで何通りもの人生を送る。
 例えばエリートサラリーマンになってプールつきの豪邸に住むこともあれば、浮浪者として駅で物乞いする人生もあるし、中にはそもそも両親が出会わなくニモが存在しなかった人生もあるし、本作の語り部となる118歳まで生きる人生もある。火星旅行をして隕石に衝突して死ぬというぶっ飛んだ人生も。

 様々な運命を経験し、またやり直し…を続けてきたニモは118歳まで生きたとき、いつの間にか"誰でもない存在(ミスター・ノーバディ)"になってしまう。『アンノウン』の主人公は過去がまっさらになってしまい"誰でもない存在"になったが、ニモは逆にあまりに数多くの過去・経験を持ちすぎているため"誰でもない存在"になっている。

 時代は2092年。世界人類は皆手術を受けることで自己再生細胞を持ち、死や老いを回避できるようになっていた。しかしニモは老いていずれ死ぬことを選び「世界最後の死者」となる。
 老いも死もないし、だから子供を作る必要もなくセックスもしない世界はそこで成長をストップさせる。しかしニモはなるべく経験をすることが必要だった。だから彼は老いを選択した。



(4)ところで"宇宙"は縦・横・高さの三次元の空間と、一次元の時間進行ベクトルから成っている。時間進行は一方通行なためビッグバン以降膨張し続ける宇宙は拡張しつづけていくことになる。エントロピーの法則だ。
 宇宙空間同様に"エントロピーの法則"で無数に膨張していく人生を経験してきたニモにも寿命というキャパシティがあったように、そこらへん難しくて理解しかねるのだが、宇宙にもキャパシティというものがあるらしい。"超ひも理論"から展開した"新サイクリック宇宙論"というやつで宇宙は拡大と縮小をすでに50回は繰り返しているとか。簡単に言えばそのキャパシティを超えたとき宇宙は縮小(イコール時間の逆流)をはじめる。その縮小開始の時期がニモのSF小説の中に登場したアンナが語るには2092年だという(全てを理解するニモが描くその小説もまた一つの可能性=実在性を否定できない=実在する)。その時、宇宙は光の速さで137億年の歴史を逆流するのだ。

 逆流の時、ニモが"経験"した無数の人生はその全てが最も幸福だった時の記憶を持ちながら過去へと逆流していく。ニモが結婚するはずだった3人の女性も皆ニモと結婚しハッピーだし、ブルーの女性はニモとも意中の彼氏とも幸せになれる。ニモは両親どちらにも付いていき、父母ともに幸せに暮らせて、かつそもそも離婚しない幸せも手にいれられる。

 映画史上ここまで壮大なハッピーエンドが存在しただろうか。全人類、全世界のみならず全時間、全平行世界においてすら皆が皆ハッピーエンドなのだ。あまりにハッピーすぎて笑い転げてしまった。
 そして先述した「ハッピーな映像」がようやくストーリー的な意味をなす。過去から未来へ向かう時間軸においては皮肉にしかならなかったハッピーな描写は、時間方向が逆流することで見事にマッチするのだ。



(5)冒頭の「老い」の問題に戻ろう。
 SFや哲学の存在意義は、さまざまな、ありえないことはない「もしかしたら」を理屈っぽく提案・実証し、その人や社会のもつ可能性をポジティブにもネガティブにも増大させることにあると思う。例えばそれは「愛」「善」「悪」「運」など、目に見えない不確かなものも実証するし、火星旅行や2092年の世界、様々に枝分かれしていった運命など、言ってしまえば、おそらくただのニモの小説内の妄想にすぎないであろう映画内のほぼ全ての事象(=「もしかしたら」)も「ありえなくはない」と肯定・実証する。
 「老い」が軽視・蔑視されがちな現代であるが、そのような「もしかしたら」の経験数で老いた人に勝てる若者はいない。その経験とお馴染みの様々なSFが組み合わさったとき、"老い"ほど価値があるものはないと、そういう点も、本作は語っているように感じた。


 他に良かった点として、この大量に説明が必要な映画で、集中力を切らさずに的確にエキサイティングに語っていく見事さ。例えばキャッチーなビジュアルの連続だったり、クラシックの的確な使い方だったり、緩急の利いた編集のテンポだったり、そういう一つ一つの要素が変化球ながらも基本を抑えた作りで安心して集中出来る。
 できるなら『2001年宇宙の旅』『ブレードランナー』『ドニーダーゴ』などの他の名作SF映画のように印象的なキービジュアルが備わったならば言うことナシだったのですが。

 愛を理屈で語りたがりな若者と、老いによって愛が失われるのではと戦々恐々としているアナタにオススメです。

 宮本笑里レベル

 次回は韓国のインディーズ映画です。タイトルがやたら気になる『昼間から呑む』の感想まっこり。


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  1. 2011/05/16(月) 09:24:46|
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『メアリー&マックス』は素晴らしき差別主義の世界だよ。

メアリー&マックス

 今回は評判のオーストラリア産クレイアニメーション『メアリー&マックス』の感想です。

 観に行った映画館は新宿武蔵野館。1000円の映画の日に行ったら30分前でしたが、案の定満席。また立見だよ…。最近武蔵野館は最前列か立見ばかり。もうちょいサービスデイ増やしてほしいです。客層は若者が多め。ゴールデンウィークということもあり、友達連れカップル連れが多かったです。


概要:2008年のオーストラリア映画。監督・脚本・プロダクションデザインは『ハーヴィー・クランペット』のアダム・エリオット。
 オーストラリアのメルボルンに住む8歳の少女メアリー(声:トニ・コレット)。友だちのいない彼女は、アメリカの見知らぬ誰かに手紙を書こうと思い立ち、分厚い電話帳から変わった名前のマックス・ホロウィッツさん(声:フィリップ・シーモア・ホフマン)を選び出す。当のマックスは大都会ニューヨークに暮らす肥満体の中年男。他人とのコミュニケーションが苦手で孤独な日々を送っていた。そんなある日、オーストラリアの少女メアリーが出した手紙が届く。これに対しマックスはタイプライターで丁寧な返信を綴る。こうして、2人の20年以上も続く文通による交流が幕を開けるのだが…。
("allcinema online"より抜粋)


 多分特別なことではないんだろうけれど、新しくピカピカ光った清潔感バッチリの喫茶店やラーメン屋より、置物にちょっと埃がかっていて、ギャバンの胡椒の缶は油でギトギトなお店の方が落ち着いたりするし、キレイでハイテクな六本木ヒルズの映画館より薄汚れて雑多でなんでもアリの新宿歌舞伎町の映画館の方が好きだったりする。
 性格も顔も良く仕事もできてもちろん人気もある人よりも、なんだか欠陥のある人の方が好感もてるし仲良くできる。
 もっと言えば普段仕事ができる人がミスをすればイラッとするが、普段からミスしている人がミスしても別段イラつきもしない。


(1)『メアリー&マックス』は、誤解を恐れずにいうとずいぶんと「差別的」なアニメである。『ダーティー・ハリー』でイーストウッドが「イギリス系もアイルランド系もアフリカ系もメキシコ系も男も女もみんな差別している」とプエルトリコ系の相棒につげ「特にプエルトリコ系は大嫌いだ」とウィンクを飛ばすシーンがある。本作に関しても、一人や二人を差別するなら誰しもあることだが、全人類いや全生物いやいや全宇宙を差別しているあまりに差別しすぎてまるで誰も差別していないように見えてしまってる。そして本作で描かれる全ての要素はことごとく汚いのだ。
 それは『シュレック』シリーズの不潔さがギャグで、『塔の上のラプンツェル』の汚さがオシャレであったと認識させられる。

 本編の半分はオーストラリアが舞台だが、常にハエはたかるしコアラは不細工、老人たちからは変な臭いがするし、セピア調と言えばオシャレだがこの映画調に言うと「うんち色」、何しろ主役の一人メアリーの目はどぶ水の色だし、額には「うんちの色」の痣がある。
 マックスの住むニューヨークも同様にひどい。モノクロ映像はカサついているし、出てくる登場人物は自由の女神像もふくめてえらく不細工で下品。マックスの飼うペットたちもことごとく汚いしハエは常にたかっている。そもそもマックスが過食症で肥満症の巨漢でオナラばかり。――そして彼はアスペスガー症候群癇癪持ちでもあった。

 キレイではないと言えば、二人の主人公が交わす文通もメアリーのそれは論理性が一切ないし、マックスのそれは病的な理屈っぽさで、そろって無茶苦茶な内容だし、一つ一つのギャグも荒唐無稽だ。
 そしてモデルアニメーションで作られた本作だが、その動きの中途半端なぎこちなさも彼らの何事もうまくいかないスマートではない世界観をうまく表している。
ついでにいうと彼らが終始むさぼり食っているチョコレートも「うんち色」だ。

 二人の歩む人生もまたそれはそれは悲惨である。コミカルなジョークとかわいらしいモデルアニメーションで彩らなければ目を覆いたくなるほど暗い物語となっていたであろう。
 メアリーは劣悪(と本人は思ってなさそうだが)な家庭環境で育ち、その容姿と暗い性格からいじめられ、友達ももちろんいなく、両親ははやくに死去、せっかく実った恋もズタズタに破られていく。
 マックスも同様。友達は空想の中。仕事はクビだらけ。人とコミュニケーションもとれず、四十過ぎて多分童貞、醜く太り、殺人罪に問われ病院おくり、そのあともタバコのポイ捨てにカッとなってホームレスのお婆さんを絞め殺そうとする。宝くじに当たったりたまにいいこともあるけど、フィギュアをコンプリートするくらいしか使い道がなく、結局悪用されて終わる。ろくな人生ではない。



(2)しかし先述の通り本作で描かれる世界はキャラクターも含めて平等に醜いため、主人公たちの不格好な容姿や性格や人生ーーそして病気が決して「特別なもの」とはされない。

 描かれる世界はメアリーとマックスを含め平等に醜く、人間は平等にバカで、完璧なものなど何ひとつないはずなのだと本作は語る。

 物語は終盤二人の主人公の文通に決裂を起こすが、その決裂は彼らが"完璧でない"ため生じたものであった。人は完璧でないから失敗をするし、完璧でないから失敗に怒りを覚える。完璧でなかったから孤独になったし、だから互いを傷つけてしまった。
 だが、それでも二人の関係が修復され、メアリーが絶望的な状況から立ち直り、マックスが最後にもっとも欲しかった"表情"を手に入れられたのは、人が不完全だからであった。人も世界もこの映画が終始描き続けたように皆が平等に"不完全"だから諦めもつくし、コミュニケーションをとることも出来る。マックスのように完全なものを求め続けたら笑いなんておきやしない。全てがうんちにまみれて煙草の吸い殻だらけで変な匂いを発していることを理解することが、幸福な笑いを生み出すのだ。そして不完全だから人は人を許せるし、不完全だから人は人を愛せる。


 以上、『メアリー&マックス』はその全ての要素をタバコの吸い殻や吐き捨てられた痰や犬のフンだらけの世界観にて描き、人も世界も不完全で臭くて頭が悪いからこそ愛おしいということを描いた、素晴らしき差別的な映画であると思う。
 人類はみな臭いのだ。だから人は人を許し愛せるのであろう。そしてそれ故にこの映画は下品で汚いけれども愛らしい映画なのだろう。



(3)不満点ってほどではないのですが、『イリュージョニスト』を見たあとだとちょっとセリフに頼りすぎな気がします。だけど淡々と真面目に語るくだらない話はある種のリズムを生み出し、それはまあアリなのですが。


 けっこうえげつない下ネタがあったり案外ファミリー向けでなかったりしますが、意地悪ながらも美しく愛おしい映画だと思います。オススメ。

 多部未華子レベル。

 次回はこれまた話題作。今年のアカデミー賞候補作でした『キッズ・オールライト』の感想です。よろしく。

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/05/09(月) 02:09:48|
  2. 映画マ行
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『まほろ駅前多田便利軒』は都会の中のぬるいオアシスだよ。

まほろ駅前
 今回は三浦しをん原作で『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』の大森立嗣監督作品『まほろ駅前多田便利軒』の感想だい。
 観に行った映画館は吉祥寺バウスシアター。月曜日のメンズデーで1000円で見て参りました。公開間もない割にはほとんどお客さんはいませんでした。男性客が数人と、女性の方が3人ほど。みな20代~30代といったかんじ。


概要:原作は第135回直木賞を受賞した三浦しをんのベストセラー連作短編集。監督・脚本は大森立嗣、音楽はくるりの岸田繁。
 東京のはずれ、まほろ駅前で便利屋を営むしっかり者の青年、多田啓介(瑛太)。ある日、中学時代の同級生、行天春彦(松田龍平)と出会う。見るからに風来坊然とした行天は、いきなり“今晩泊めてくれ”と言い出す。一晩だけと渋々了承した多田だったが、結局そのまま居座られ、奇妙な共同生活が始まってしまう。そんな2人は、まほろに暮らすひとクセもふたクセもある依頼者たちを相手に、飼い主の居なくなったチワワの引受先探しや、生意気な小学生・由良(横山幸汰)の塾の送迎といった仕事を淡々とこなしていくが…。
("allcinema online"より抜粋)


 この映画を見ていたら『傷だらけの天使』『真夜中のカウボーイ』『スケアクロウ』などを思い出した。それらの作品の共通点はどれも、大都会にゴミクズのように扱われている友情ともホモセクシャルともとれない男二人の物語という点である。

 大の男二人がなぜ共に生活するのかというと、彼らは大都会の中で孤独であったからだ。
 本作『まほろ駅前多田便利軒』でいえば、多田は幼い娘を受け入れつつもどこかで大切にできなかった故に亡くし、その罪悪感に苦しみ誰かを愛しそれに感謝されることを望み、また一方で行天は両親からの虐待を受けた過去を引きずり自分は誰からも愛されていないと思い込み孤独に苦しんでいた。人が多い大都会ゆえに人との摩擦が起こしてしまう「孤独」。要は両者ともに誰かに必要とされたいという願望を抱いている。
 冒頭、飼い主に置き去りにされ一生懸命生きようとプルプル震えているチワワに対し多田が過剰に感情移入したのも、親から愛されていない小学生由良公の犯罪をなんとか阻止しようとしたのもそれ故だろう。


 そしてその寂しい傷を舐め合うように多田と行天は同居し、他の孤独な犬、小学生、娼婦を助けていく。
 本作の冒頭でまほろ町からは誰も抜け出せやしないといった類のナレーションが入る。彼らは人口密度の高い都会ゆえに傷ついたのだが、しかしながらその傷は都会で人と触れ合っていなければ癒せない、だからこの町から抜け出せないのであろう。

 誰かに必要とされその人を助けたい多田たちと、自分を愛してくれる誰かに頼りたかった由良公の気持ちがようやく素直に表現された際のセリフ「餃子食べていいですか?」にはぼろぼろ泣いてしまった。


 さて、ここからが少し不満点なのですが、冒頭に例に出した『真夜中のカウボーイ』『傷だらけの天使』は、ゴミクズゆえに結末にて相棒は風邪をひいてボロ雑巾のように死んでしまう。いつまでもヌルい傷の舐め合いをやっているだけでは『ヒーローショー』『冷たい熱帯魚』のように崩壊が訪れてしまうのだ。
 ここにおいて本作の行天は、作中風邪もひくし、終盤死にかけるが、結局生きているし、両者の共同生活も限界が見えるが、結局なあなあでまた共同生活を再開してしまう。

 そもそも本作に登場する主人公たちを傷つけた「他者」はなんかみんなヌルいのだ。娼婦もヤクザも麻薬の売人もちょっとキレた若者も皆が皆結局いい人なのだ。
 本作に"厳しい現実や他者"など実はセリフ以外に描かれていなく、傷を舐め合ってくれる可哀想で優しい俺と他者しか描かれていないのだ。

 同じ大森立嗣監督作品『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』の結末で悲壮に自殺しちゃうのはただの現実からの逃げだと文句をつけた当ブログですが、この二人の共同生活再開というぬるま湯への回帰にもなんだか似たような不満を感じてしまった。
 まあ『けいおん!』的な、変わってしまう我々に対しての変わらないし終わりもしないヌルい日常への郷愁ととれば、「まほろ町」というどこか間の抜けたイントネーションを持つ箱庭的かつ幻想的な町が持つ現実とは隔離されたファンタジー空間が活きてくるし、それはそれでまぁ映画らしいかなとも思うのですが、そういうヌルい日常が揺らいでしまった震災以降となっちゃそういったテーマも説得力がないというか、なんかダサい。そこがちょっと不満。

 そんな日常性のヌルさを演出する日本映画お得意の緩いユーモアは食傷気味ではあるけれど嫌いではありません。松田龍平と瑛太の演技合戦も「ザ・最近の日本映画」てな感じで見飽きたりもしますが嫌いじゃありません。


 以上、『まほろ駅前多田便利軒』は、大都会の中でゴミクズのように他者から愛されず必要ともされない人間同士の傷の舐め合いという旧来的なテーマを描いているが、一方でまほろ町という閉ざされたファンタジー的舐め合い空間から抜け出せないという結末が一方で終わらないヌルい日常という現代的な現実逃避を表現していたと思う。

 あと「多田便利軒」の看板のボロさがとても良かったです。
 くるりファンなので音楽もとても心地良かったです。


 先述の結局ぬるま湯で満足しているという不満点はもしかしたら続編(もしあったら)なんかで解決されるのかもしれませんね。

 岩田さゆりレベル。

 次回は話題作です『ブルーバレンタイン』の感想じゃけんのう。

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  1. 2011/05/03(火) 02:09:26|
  2. 映画マ行
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『MAD探偵 ~7人の容疑者~』のジョニー・トー監督こそが多重人格だよ。

mad探偵

 またも更新サボっていましたね。ごめんなさい。
 せっかく来場者数300とかいっていたのに、また下がっちゃった。
 今週の『海賊戦隊ゴーカイジャー』はゴーカイグリーンハカセとマジレッド小津魁が出てくる話。
 『仮面ライダーディケイド』では権利の関係か過去のキャラクターが登場しても当時のBGMを使えなかったので寂しかったのですが、『ゴーカイジャー』はきちんと『魔法戦隊マジレンジャー』のBGMが流れていましたね。できたら歌も欲しかったけれどそれは難しいのかな。あとできたらあのへんちきりんなエンディングの踊りも欲しかった。
 悪役が弱いですね。デザインはとてもいいのですが、なんだかキャラクター性もやっていることも印象に残りにくい。
 毎週ゲストがでるわけではないっぽいのですが、全50回くらいで全戦隊を扱ってくれるのだろうか。

 今回はやっと日本で公開、ジョニー・トー&ワイ・カーファイの『MAD探偵 ~7人の容疑者~』の感想です。

 観に行った映画館はお初です新宿のK's cinema。平日の朝だったのですが、けっこう混み合っていました。こんな映画なのに何故だかご老体が多め。


概要:監督・製作は『ターンレフト ターンライト』『マッスルモンク』のジョニー・トー&ワイ・カーファイ監督コンビ。脚本はワイ・カーファイとオー・キンイーという人。
 西九龍署・刑事課へ配属された新人のホー刑事(アンディ・オン)は、奇抜な捜査で難事件を解決する先輩刑事のバン(ラウ・チンワン)と出会う。彼は、自らを殺人現場と同じ状況に置くことで真犯人を突き止める特殊な能力を持っていた。しかし、それは精神を病んでいるようにも思われ、その数々の常軌を逸した行動が原因でクビになってしまう。それから5年後。バンのもとをホー刑事が訪ね、1年半前に失踪したウォン刑事の拳銃が使われた連続殺人事件の捜査協力を依頼する。さっそくホーと共に捜査に乗り出したバンは、ウォン刑事の相棒だったコウ刑事(ラム・カートン)に疑いの目を向ける。ほどなく、バンにはコウの中に7人の異なる人格が宿っているさまが見え始めるが…。
("allcinema online"より抜粋)


 本作は07年作品ということで、日本公開は前後してしまったが、以前に扱ったジョニー・トー監督・ワイ・カーファイ脚本作品の『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』は、たとえ言葉や立場などまるで違ったところでそんなのは些細な問題であり、人と人は簡単に分かり合えるということを描いた男くさく血生臭いファンタジーだった。
 が、こちらは『エレクション』などに代表されるダークサイドなジョニー・トー作品、「人と人は分かり合えなんかしない」という事を容赦なく描いている。


 まず冒頭、主人公バン刑事は豚の死体をズラリと並んだ肉切り包丁で狂ったように切り刻み、バッグに全身を入れて階段から何度も転げ落ち、万引きしようとしている少女に突然怒鳴りだし…と、まるで観客の理解など不要とでも言っているように意味不明の行動を散々とる。

 バンは人の中にある様々な人格が具体化されて見えてしまうという特異体質でありそれに苦悩している。
 そのようなバンを何が何だか尊敬する刑事ホー視点で進む本作は、人格が具体化されて見えることに苦悩するバンの位置を高く置くため、人には様々な人格が内在しているなんてことを気にしないで日々すごしている我々の方がむしろ異常のように思わせてくる。
 しかし中盤以降死んだかと思われていたバンの妻(ケリー・リン)が実は普通に生きていて、現役刑事として活躍していることが判明し、ホーがバンに対し激しく幻滅をすることで、ホーの視点によるバンの地位はブレてきて、結果観客の視点も変化してくる。

 バンは人の中に様々な人格があるのを理解しようとしないために、その人格の数だけの人数がビジョン化されてしまうのではないかと思われる。人は一つの人格で纏められるほど単純なものではなく、皆がある程度の異なった人格を抱えているはずだ。しかしバンはそれを認めていない。かつての優しく少女のようだった妻の人格しか認めず、今の厳しく強くたくましい妻の人格を別人格として切り離してしまっている。なので生きていた妻に会ったとき、一体彼女が誰なのか理解できなかったのだ。
 人はその身体の中に様々な人格、気持ち、真実、嘘を内包していて、我々が他者に対して垣間見る「性格」なんてのはほんの一握りほどしかないはずなのだ、という視点の変更がホーのバンに対する意識の変化によってなされる。

 だがバンはそんなことはお構いなしだ。それは彼の事件解決方法にも現れる。動機とか経緯とか関係なく、被害者や加害者と同じ行動をとるだけで事件を解決してしまうので、そこにキャラクターの複雑性はない。

 しかしその反面、ジョニー・トーお得意のスタイリッシュな演出で見せてくる描写は複雑怪奇である。特に本作はバンの人格が見えるという視点の描写が、そのまま影も形もある俳優を、人格がビジョン化したものとしてなんの工夫もなくそのまま映すという大胆な演出のため、その奇っ怪さはトー作品の中でも出色。
 例えば久々にやってきた警察署にいた中年男性の刑事と重なりあうヒステリックなおばさんの映像とか、7つの人格を持つ悪役コウ刑事が口笛を吹き出すと彼の7人の人格が全員一斉に口笛を吹きBGMと重なるシーン、立ち小便するクールでしたたかな女性にオシッコを引っかけるバンというそれだけ見たら何をやっているのかまったく分からない絵、ホーと7人のコウがインド人男性を追い詰める鏡ばりの部屋のシーン。鏡と言えば割れたトイレの鏡の前にて澄まし顔で髪を整えるシーンとかもイカす。
 これらの素晴らしい描写によって、人間の複雑で不可解な精神が強烈なインパクトを持って表されている。


 そして物語の主題となる事件はバン、ホー、コウという3人の刑事を中心に複雑化していく。様々な嘘、真実、人格、感情を内包した事件の真相は、たった一つのわかりやすい表層によってラッピングされて幕を閉じる。
 バンに人の感情の複雑性など理解できなく、またバンの苦しみを誰も分かってくれないのと同様に、事件の真相も誰も知らないし、ウォン刑事やホー刑事のことを理解してくれるものだって現れないだろう。人と人は理解なんて出来ないのだ。そんなシニカルでニヒルな展開で本作は寂しく幕を閉じる。


 以上、『MAD探偵 ~7人の容疑者~』は、人の内面を単純化してしか見れない探偵バンのキャラクターを通して、逆に人の気持ちの複雑性を描いていると感じた。

 他の健全なトー作品なら素晴らしい仲間たちに囲まれてさぞかしかっこいいヒーローになれたはずのMAD探偵バン。出る作品を間違えてしまいましたね、いい意味で。
 『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』を撮る一方で本作を撮るジョニー・トーがいちばんこの映画が言わんとしている人の多重人格性を表している気がします。


 不満点というか疑問点なのですが、バンの加害者や被害者と同じ状況になることで真相が分かるという推理方法と、人格が具体化して見えるという能力の関連が見えません。あれ誰か説明していただけますか?

 あとこれも疑問点なのですが、最初の耳を上司に渡すシーンの意味がわからない。バンは「彼は人格が一つしかないから」とか言っていたけれど…誰か分かる方解説お願いします。

 あとラム・シューは今回もたくさん食べていました。
 しかしながら、さすがジョニー・トー&ワイ・カーファイ、抜かりない出来で大変楽しめました。
 蓮佛美沙子レベル。

 次回は見事アカデミー作品賞に輝きましたね、旬のものです『英国王のスピーチ』の感想。

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  1. 2011/03/01(火) 02:43:35|
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