かろうじてインターネット

「少年ジャンプ」と水木しげると映画とおもちゃと特撮を愛します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

『キッズ・オールライト』を見るべきは母の日だよ。

キッズ・オールライト

 こんにちは。今回はアカデミー賞のノミネートされていたコメディ作品『キッズ・オールライト』の感想です。母の日くらいにアップしようとしていたのでこのタイトルです。

 観に行った映画館は信頼のブランドTOHOシネマズシャンテ
 ゴールデンウィークで公開間もないこともあり、念のため2日前にネット購入したのですが、そこまで混んでませんでした。さすがに休日だけあっていつもよりは混んでいたけれど。客層は中年夫婦が多め。若者や家族連れもちらほら。


概要:2010年のアメリカ作品。監督・脚本は『しあわせの法則』やTVドラマ『Lの世界』などを手がけたリサ・チョロデンコ(変な名前!)、音楽は『かいじゅうたちのいるところ』『シリアスマン』『トゥルー・グリット』のカーター・バーウェル。
 ニック(アネット・ベニング)とジュールス(ジュリアン・ムーア)はレズビアンのカップル。結婚している2人には18歳になる娘ジョニ(ミア・ワシコウスカ)と15歳の息子レイザー(ジョシュ・ハッチャーソン)がおり、郊外の一軒家で仲良く暮らしていた。そんな中、年頃のレイザーは、母親たちに精子を提供した“父親”の存在が気になり始める。そして、母親たちが喜ばないと尻込みするジョニをたきつけて、2人で父親捜しを始めることに。するとやがて、人気レストランのオーナーを務めるポール(マーク・ラファロ)という男性が生物学上の父親であることが判明する。気ままな独身生活を送る気さくなポールにすんなりと打ち解けてゆくジョニとレイザー。一方、子どもたちがポールと会っていることを知ったニックとジュールスは、事態を穏便に終息させようと、ポールを食事会に招くことにするのだが…。
("allcinema online"より抜粋)


 僕はいい歳こいて結婚もしないで実家暮らしを続けるダメ人間なのですが、結婚した友人曰わく「一人立ちしてはじめて親がどういう人間だったか解った」と。すなわち実家でご飯作ってもらっていたころは親は親の役を演じていたと。その手を離れてみてはじめて「親」ではない彼らを見ることができたということだ。それは開放感と寂しさが入り混じった感情なのだろうか。

 本作『キッズ・オールライト』の結末に感じた清涼感と寂しさに似た感覚なのかもしれない。
 本作は複雑で人間臭いドラマを紡ぎながら、"親"というものの大変さ、"家族を作る"ということの偉大さを描いた作品である。そこらへんを解説。


(1)本作に登場するキャラクターたちは映画の教科書のごとく魅力的に描かれ、魅力的に演じられているのだが、彼らの存在を浮き彫りにしていくキャラクター同士の複雑な関係性に注目してみたい。

 例えば主人公一家の関係が複雑である。ニックの娘のジョニと、ジュールスの息子のレイザー、ニックとジュールスはレズビアンカップルで、二人の子供の精子提供者は同一人物である。すなわちジョニとレイザーは異母姉弟ということにもなる。

 また主人公一家は皆それぞれの関係性において"我慢"をしている。
 例えばニックは自分たちがレズビアンの両親だという特異性を引け目に感じていて、子供たちが順当に育ってくれるよう必要以上に厳格に家を守ろうと好きなことを我慢して完璧な家長を目指している。
 また例えばジュールスはそんなニックの厳格な縛りゆえに良き母・良き専業主婦であることを強いられニックが自分の能力を大して認めてくれない不満を我慢している。
 優等生のジョニはニックの厳格な戒めを守り、いつの間にか自分の素直な気持ちを閉じ込めてしまっている。セックスに対して興味ないフリをしているし、酒も飲まない。子供扱いするニックに不平をこぼしつつ自分から子供の皮をかぶっている。

 唯一の男性のレイザーは身の回りに男性を欲しがっている。友人はやたら粗暴なバカだし、あまりに男性に憧れるあまり母親たちがゲイなのかと心配するほど。彼は他の3人と違い一人子供っぽいので、そこまで我慢しない。
 なので精子提供者の生物学上の父親に会いにいってしまう。

 このように主人公の一家はそれぞれの関係性において何かしら「我慢」している。


 彼らと対局に位置するのは精子提供者のポールだ。
 ポールは我慢しない男だ。自由気ままに生活し、それなりに成功している。生活感のない魅力的な男性だ。

 彼は主人公一家との関係において彼らを刺激し彼らを我慢から解放させる。例えばジュールスは、ニックが認めてくれなかった"社会人としての彼女"を認めてくれるポールと肉体関係を持つにいたる。
 またジョニはニックからのがんじがらめから解放されるためには自分から行動すべきとポールから学び、自己の中の性欲を認めるようになる。

 そしてポールの介入はかろうじて立派な家族として成り立っていた主人公一家を崩壊させてしまう危険性があるために、ニックと対立することになる。

 一方で今まで自由気ままに生きていたポールも家族を欲している。しかし彼は家族を持つ勇気がない男だった。
 恋人のタニヤ(ヤヤ・ダコスタ)とは「君との関係は気楽で楽しかったが、僕も家族を持ちたいんだ」と言って別れる。彼女とだって新しい家族を築くことが決して無理なことではなかったはずなのに。

 ポールが主人公一家に入り込むための武器は"セックス"だ。主人公一家は――普通の家族の始まりは両親のセックスなのだが――セックスを始まりとしていない家族である。だからジュールスとのセックスを利用して、例えそれが意図的なものでないにせよ、主人公一家の「父親」に成り代わろうとする。
 彼にとってニックがいかに苦心して父親役を演じてきたかは理解出来ない。なぜなら彼女は父親ではなく"女性"であるから。

 そこで、レズビアンだが一生懸命家族を守ってきた"父親"ニックと、生物学上の親できちんとした男性の"父親"ポールの関係は対立構造となる。

 このように、『キッズ・オールライト』で描かれる様々な人間関係は、これをもしTV雑誌でよくあるキャラクター相関図なんかにしたならば、やたらと複雑である(*)。
(*)しかし理解が困難というわけではない。素晴らしいユーモアとドラマ構成の巧みさやキャラクターの魅力で、ストーリーを追っていればすんなりと理解できる。


(2)ところで――人と人との関係性は"紐"によく例えられる。二人の人間の単純な結びつきは一本のピンと張った"紐"で表現できるが、人数が増えればそれだけ"紐"が増え、『ブルーバレンタイン』のごとくその関係を重ねていけばこんがらがってきて非常に面倒な図になる。
 で、本作で丁寧に描かれてきたキャラクター同士の関係性を"紐"で例えると、それはそれはやたら面倒なものになるだろう。

 だが、群像劇の基本・醍醐味は人と人との絡み合いであり、本作も以上のように複雑に絡み合って物語は推進していく。コメディとしての面白さも複雑性が増すほど螺旋のごとく増していく。


 後半になるにつれ物語の中心はニックとポールの対立に収束していくが、それに終止符を打ち、ニックにジュールスと子供たちを勝ち取らせ、バラバラでドロドロでゴチャゴチャの家族をもう一度再生させたのは「家族って難しい。一緒に暮らしていると傷つけ合ってしまう」「子育てって大変」という、ニックの気持ちを代弁したジュールスのメッセージであった。
 確かに長い共同生活で家族たちを結ぶ"紐"は嫌になるくらいゴチャゴチャに複雑化した。しかしその絡み合う"紐"は絡み合った末に"一本の太いロープ"となっていたのだ。言い換えればニックとジュールスは、彼らがどんなに変則的な親であろうと、計り知れないたいへんな苦労のすえ子供たちを何不自由なく立派に育てあげ、どこに出しても恥ずかしくない誇らしい"家族"を作り上げたのだ。

 一方でポールは家族を作るということに対して何の努力もしてこなかった。彼は細っチョロい"一本の紐"でしかなく、彼がいくら男性で生物学的には正式な「親」であったとしても、18年間紡がれ続けたロープの力強さには勝てるはずがないのだ。

 物語はジョニが一人立ちして終了する。彼女が抜けたことで絡み合ったロープは少しスッキリして細くなった。
 そして今は"一本の紐"になったジョニもまたこれから様々な複雑な関係性を築いていくのだろう。

 二人の親はドロドロに絡み合い、汚れ、嫌われ、苦しんだ。多分『ブルーバレンタイン』のような倦怠も多くあっただろうし、様々な深刻な事態も(コミカルにであるが)描かれている。それでも立派に二人の子供を育ててきた。
 一つの偉業を成し遂げはじめて「子供たちはもう大丈夫(キッズ・オールライト)」と言えたとき、寂しさと共に清々しさがある"親ではない人間の顔"がニックとジュリアから垣間見えた。


 以上、『キッズ・オールライト』は様々な人間同士の複雑な絡み合いを家族の姿として描き、子育てをするということの大変さや困難さ、"親"という人間の偉大さを表現しているのではないかと感じた。



(3)他に良かった点として、『シングルマン』の時も素晴らしかったですが、中年女性の悲哀と持て余す性欲を見事に演じているジュリアン・ムーアが良かったです。太い腕とかソバカスだらけの肌とか。

 不満点としてはポールにもなんらかの救いを与えてあげたかった。彼は彼で、無邪気ないいヤツで、とても愛すべき共感しやすいキャラクターでした。


 『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』のような爆笑コメディを期待すると肩透かし食らうかもしれません、そういうコメディではありません。ユーモアたっぷりの人間ドラマ程度に考えていただければ、とてもいい小品だと思います(人間ドラマって変な言葉…)。オススメです。

 中村ゆりレベル。

 次回は『身元不明』からこの時節柄タイトルが変更になりました『アンノウン』の感想です。

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/05/12(木) 12:44:26|
  2. 映画カ行
  3. | トラックバック:9
  4. | コメント:1

『婚前特急』は俺の妄想力が火を噴くよ。

konzen

 なんか怒られてしまったので読みづらかった文章をいくつか修正しました。
 たしかに読みづらいの多いですよね。書いた後きちんと読み直さないから、読み直すのめんどくさいくて。

 そんなわけで今回は『婚前特急』というか吉高由里子の感想です。多分、キモいです。よろしく!

 観に行った映画館はテアトル新宿。公開がはじまって少し時間が経っているのもあり、お客さんの数はゴールデンウィークなのに少なめ。
 客層は友達同士できた女性か、男性の一人客が多かった様子。


概要:2011年の日本映画。監督・脚本はインディーズ界で活躍してきた前田弘二。
 人生を楽しむためには時間を有効に使い、いろんな人といろんな体験をすべき、がモットーの24歳OL、池下チエ(吉高由里子)。なんと5人の彼氏と付き合い、状況に応じて上手に使い分けながら充実した毎日を送っていた。当然、結婚なんて全く考えていなかったチエだったが、親友のトシコ(杏)が結婚したことで気持ちが揺らぎ出す。そこでトシコのアドバイスに従って5人の男を査定し、最後に残った人と結婚することに。そして、まずは一番低かった田無(浜野謙太)に別れを切り出すチエだったが…。
"allcinema online"より抜粋)


 前回の『GANTZ:PERFECT ANSWER』の感想文でも書きましたが、吉高由里子のファンである。この映画も吉高由里子が出てなければ見なかったと思う。

 『UWAKI』という吉高由里子の写真集が出ている。彼女と不倫を楽しもうというコンセプトの写真集で、それはもう色気たっぷりだが、ワクワクする反面とても背徳的な気分になる。彼女と「不倫」という言葉の関係がとてもリアルで、流石にあれを読むと彼女に申し訳ない気持ちになるのだ。『ブルーバレンタイン』を待たずしてヤバいことになる気がする。

 で、その写真集の存在自体が吉高由里子の世間的なイメージ(いわゆる小悪魔的だったり、エロティックだったり)を象徴している気がするが、本作はそんな我々が吉高由里子に抱く妄想を、実際に吉高由里子が演じてくれるという素晴らしいアイドル映画だと思う。そこのところを解説。


(1)本作はコメディ映画としてけっこう優秀で、近頃の日本映画にありがちなオフビートで拍子の抜けた堤幸彦的な一発ギャグを羅列することで笑いをとりにくるということはなく、男にだらしない高飛車な美人OLチエがいちばんバカにしていたどうしようもない男――田無に恋をするまでのストーリー展開や、そこにいたる登場人物たちの心境の変化で観客を笑わせてくる。
 また、「2」だけが抜けた1~6までの番号がふられた男たちの部屋への合い鍵や、杏からブーケを受け取りヘラヘラしているチエを背景にドン!と出てくる小細工一切なしといった感じのストイックで思い切りのいいタイトルのセンスなど気の効いた演出も好感が持てる。

 が、まあ見終わったあと特にこれといって考えさせられる映画というわけではない。テーマもストーリーも特別目新しいものではない。まあ別にそれが不満というわけではなく、二時間の間、吉高由里子と同様にヘラヘラ笑っていられるという幸せな体験を送ることができた。



(2)本作の肝は吉高由里子が出演していることであり、彼女が我々が自慢されたい吉高由里子像を演じている点にあると思われる。

 本作の魅力を最も象徴するのがオープニングの大学生の恋人(吉村卓也)と電車を待つ長回しのシーンと、ラストの田無の部屋のシーンのエロさだと思われる。

 まず前者、大学生の恋人野村健二とのデートが終わり「バイト頑張ってね」なんて言ってる間に、電車がやって来て別れようとするチエだが、健二に猛烈なキスを突然される。電車の乗客も見ているし、はやくしないて電車が行ってしまう。「ちょ。ちょっと」なんて抵抗をするチエだが、右足をそっと彼氏の脚にからませて腰をくいっと入れている。エロい。

 で、後者の方。田無との殴り合いの大喧嘩のあと妙に興奮した田無がチエに軽くキスをする。「ちょっと調子にのらないでよ」と怒るチエ。しかしもう一度キスをする。キスをするときちょっと目をつむるのもエロティックだが、そのあと興奮した田無は彼女を汚い部屋で押し倒し、二人はフレームアウトする。抵抗するチエの声が聞こえるが、少しの沈黙のあと「ああん、もう」と諦めの声を発する。エロすぎる。

 上記の他、本作は様々なフェティズムと健康的で不純なエロスを匂わせるのだが、それもこれもすべて吉高由里子のエロスが成せる技ではないかと。

 例えばこんな逸話がある。彼女が注目されるきっかけになった『蛇にピアス』でベッドシーンがあると言われ、いざ撮影に臨んでみると「実際にセックスしなかったので驚いた」と言ったり、『蛇にピアス』に採用が決まったあと蜷川幸雄監督の前で急に裸になったりと(それが本当か嘘かはわからないけれど、嘘にしてもそういう噂がたつということが重要)、僕の眠っていた童貞力を『名前のない少年、脚のない少女』並に震え立たせるエピソードを持つ彼女だが、彼女の魅力を簡単に言うと「土下座くらいすればなんとかなりそうな妄想を抱かせる」という点であると思う。それが僕の考える「我々の自慢されたい吉高由里子像」
 『GANTZ』の多恵ちゃんみたいに無性にイイコちゃんで、常に受け身の守られるキャラクターで、斬っても斬っても死なない吉高由里子も可愛かったけれど、それは我々の自慢されたい彼女ではない。

 そして本作の主人公チエは常に被害者意識で文句ばかりで高飛車、暴力的だが、先述した二つのシーンの例が表すように押しに弱いのだ。喧嘩中の年上の恋人三宅(榎木孝明)にも強引に謝られ拒否するフリをしながらすんなり部屋に入れてしまうし。なんか一生懸命頼み込めば田無みたいな俺たちでもなんとかなりそうな気がする。
 そして、これも重要なポイントなのだけれど、吉高由里子でなければ、あんな悪く言えばヤリマンでバカな彼女の役を嫌味なくキュートに演じられない。

 以上のように本作は我々が期待する彼女のキャラクターを惜しげもなく演じているのだ。


 『ローラーガールズ・ダイアリー』がエレン・ペイジのおかげで名作で、2010年版『時をかける少女』『ゼブラーマン -ゼブラシティの逆襲-』が仲里依紗のおかげで優良アイドル映画になったのと同様に、本作は吉高由里子が出て彼女が吉高由里子を演じているがゆえに名作になりえるかもしれない。


(3)不満点もいくつかございまして、例えば5人の男たちが田無と西尾(加瀬亮)をのぞいて大して活躍しない点。オープニングでそれぞれの個性を強調した演出で登場したわりには5人がその個性を活かした活躍をしてくれるわけではない。
 あと最大の不満点はなにぶん当方アイドル映画として鑑賞していたのでもうちょっと露骨なお色気シーンが欲しかったです。

 他に良かった点としては浜野健太さんがとても良い役者だったこととか。


 以上、少しでも吉高由里子が好きなら見ないと七代先まで後悔することになると思います。まぁ今回は吉高由里子のことしか書きませんでしたが、普通にお気楽に楽しめるラブコメディなので普通にオススメです。

 高田里穂レベル。

 次回はオーストラリア産の評判のクレイアニメーション『メアリー&マックス』の感想でございます。

吉高由里子 UWAKI吉高由里子 UWAKI
(2011/02/22)
吉高 由里子

商品詳細を見る

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/05/09(月) 00:39:47|
  2. 映画カ行
  3. | トラックバック:2
  4. | コメント:2

『GANTZ:PERFECT ANSWER』は「0てん ぱーふぇくとじゃなちすぎ」かもよ。

gantz perfekt
 今回は2月に公開された『GANTZ』のはやくも続編の『GANTZ:PERFECT ANSWER』の感想です。

 観に行った映画館はTOHOシネマズ六本木ヒルズ
 いちばん大きな7番スクリーンでの公開でしたが、客数はまばら。男女ともに中高生が多いイメージ。原作ファン及び出演者ファンといった感じかしら。


概要:「週刊ヤングジャンプ」で連載されている奥浩哉原作の人気漫画を実写化した2月上映の『GANTZ』の続編。監督は前作に引き続き佐藤信介。脚本は渡辺雄介。音楽は川井憲次と前作と大体同じ布陣。
 電車に轢かれ、ガンツの世界に召喚されてしまった幼なじみの玄野(二宮和也)と加藤(松山ケンイチ)。ガンツに命じられるまま星人との戦いに身を投じ、倒した星人に応じて加算される得点が100点になり、無事ガンツの世界から解放されることを目指していた。しかし、その戦いの中で加藤を失ってしまった玄野。やがて、100点到達の特典で人間を再生させることも可能と知り、加藤を生き返らせるために懸命に戦い続ける玄野だったが…
("allcinema online"より抜粋)


 結論から言うと、本作は不満が残る作品でした。

 『パート1』は不満もありましたが、予想していたほど駄目ではなく、きちんと原作を踏まえて実写化に向きそうな箇所を取捨選択し、この手の一連の漫画原作映画の中ではけっして下位の評価にはいかない作品に仕立て上げていたと思います。
 しかしながら、そのストーリーに関しては原作の骨子を組み替えたものに過ぎず、この映画シリーズの本領発揮はほぼオリジナルストーリーだというこの『パート2』にかかっていたと思うのです。

 総じて原作の荒唐無稽な世界観を映像化することに腐心していた前作(の特に前半部分)は無茶苦茶な世界設定を描写することだけに頑張っていたのが逆に良かったんだなと思います。
 『GANTZ』の原作ってそこに描かれる様々なテーマ性を深遠に掘り下げようと思えばいくらでも掘り下げられるものを、一周回って暴力とエロだけのおバカ漫画(褒め言葉)になっているところに魅力があって、まあ"知性ゆえのバカ"とでも言おうか。エロと暴力にまみれた荒唐無稽な世界観を描くのに徹した『パート1』は意図的かどうかはわからないけれども、それに近いバカバカしさを描けていたかと。

 で、今回の『パート2』はそういった世界設定を纏めにかかっている。荒唐無稽な世界を整理し、ひとつの"パーフェクト・アンサー"を導き出そうとしている。

 が、その中途半端な理屈っぽさがえらく『GANTZ』という作品の世界観に不似合いで、加えて演出の下手さもあってどうも台無しになってしまっていると思われる。
 今回はそんな論旨。


(1)本作に限らず、"荒唐無稽"を理屈だてようとすると必然的に説明は非常に長くなるものである。そこにおいて本作の序盤は説明くさい描写やだらだらとした会話劇だけで進行し、やたら退屈なのだ。
 『パート1』は、アクション映画に限らず映画のストーリー運びの基本を守って度、重なるアクションの連続で物語を進行させていたのが良かったのに、そんなことなど忘れてしまったかのようにアクションがない。例えば玄野の点数が上がっていくシーンなどは、ほんの何ショットかでいいから星人を倒していく絵を見せてくれるだけで満足なのに、ガンツ玉に点数が表示されるショットで説明してくる。こちらはアクション映画を見に来たアクションがみたい観客なのに、その結果を見せて「はいおしまい」じゃまるで悪徳業者の裏ビデオ!
 あと加えて冒頭に流れる「前回のおさらい」が本当におさらい以外の何ものでもなく、こだわりや工夫などがまるでないところとかも説明くさいだけで全然面白くない。


(2)で、そんなこんなで説明くさいストーリーを一時間弱見させられて、遂に念願のアクションシーン。
 ここはさすが『修羅雪姫』の佐藤信介監督、フラストレーション貯められたのも手伝ってかとても楽しいアクションシーンになっておりました。
 玄野たちが転送されたのは運行中の地下鉄。そこで驚異的な身体能力を持つ「黒服星人」たちと戦闘開始。まず黒服星人たちのかっこいいアクションと、走る狭い電車内で戦闘というシチュエーションに熱くなる。電車というのは強制的にどこかへ乗客を運ぶ装置、そこにおいて「どこに連れていかれるか分からない」という物語の展開と相まって非常にスリリングでイカしたアクションシーンとなっていたと思います。


(3)で、ストーリーはクライマックス。原作にもあった多恵ちゃん(吉高由里子)がガンツチームに狙われ玄野が孤軍奮闘で彼女を仲間たちから守るエピソードへ。
 ここでまた地味で退屈になってしまう。
 山田孝之演じる公安・重田正光が「地下鉄以上にひどいことになるぞ」みたいなセリフを吐くんですが、まるで"ひどいこと"にはならない。最後の敵であるところの"あるキャラクター"が擬態した「加藤星人」が、『ゴースト もういちど抱きしめたい』でお馴染み阿佐ヶ谷の商店街で暴れるんですが、地下鉄に比べてスケールがしょぼい。ちまちまとコンビニの窓ガラス破壊したりとか、そんなんばっかやっている。(グロかったりヘンテコだったりする怪人やら怪獣やらを一度でも出せば地味な印象も一気に拭い去れたのに)
 しかも同時進行的に多恵ちゃんを狩ろうとするガンツチームも描き、そちらの描写がなまじ面白い(*)ものだから「加藤星人」が目立たないこと目立たないこと。
 で、「加藤星人」の動機が復讐にあるのだが、これは本作のテーマである「復讐の虚しさ、悲しさ」が直接関わってくるんだけれど、「自分のやるべきこと、いるべき場所」をテーマとして描いた『パート1』に比べ、そのテーマ性はスケールダウンを起こしてしまっていて、かつ身近なテーマとも言えずパワー不足。そこら辺が地味で退屈な理由かと。
(*)例えば田口トモロヲ演じる鈴木の垣間見える狂気(原作では最初から最後までいい人なだけだった)や、明らかに善人キャラの連中まで自分の命や愛する者の命のため多恵ちゃんの命を踏みにじろうとする展開は原作よりも深く描けていたと思います。
 
 結局この(1)と(3)にある地味さの原因とは、先述の通り荒唐無稽な世界設定や物語を、原作のエピソードを踏まえつつ、なんとか理屈づけたり意味付けたりして独自の解釈でまとめようと(原作もまだまだまるで解決していない状況なのに)説明くさくなってしまっているからなのだと思われる。


(4)更に補足すると、独自の解釈を示そうとしつつも、原作に無意味に引っ張られている箇所もちらほら。
 例えば、玄野も加藤もただ戦闘に参加しているだけで、自分のアクションや意志でストーリーを引っ張ることがほとんどなくただガンツの指示に流されていくだけだから、主人公なのに存在意義が希薄。原作で主人公だから仕方なく主人公させられている感じ。
 また原作通り西くん(本郷奏多)や加藤を生き返らせたけど、その意味もストーリーの上であまり活かされてない。


(5)あと最後の玄野の"あの決断"、ああいう選択をするならば、そういう選択肢があることを予め暗示してくれないと「その手があったか!」の予想外の結末にはならなく、単なる後出しじゃんけんに見えてしまうと思います。
 それでもって、星人はこれで全滅したわけじゃないわけで、玄野があの方法で戦闘に終止符を打ったにしても、また星人が攻めてきたらどうすんのっていう、それでも戦争放棄し続けるのっていう問題に対しての答えは放棄してしまっているし、結局ガンツ部屋やガンツ玉って何だったのとか観客が一番知りたいそういう謎もほったらかし。
 だいたいなんで"あいつ"や"あいつ"まで生き返すことができるのだろうか?

 以上、総括するに、作者奥浩哉先生本人ですらまとめきれるのか不安なこの物語を無理矢理まとめようとした結果、いまいち刺激のない作品になってしまったという感想です。


(6)他に良かった点としてはかわいい優等生の女の子が武器を持って大胆に戦闘するという山本というオリジナルキャラクター(緑友利恵)がいちばん奥浩哉スピリットを表していた気がします。
 あと吉高由里子がかわいい。「あのう…名前で読んでくれませんか?」とかめちゃんこ可愛い。ガンツスーツ着ている西くんが一回斬られただけでお亡くなりになったのに、何度斬られても生きているのは吹き出しちゃいましたが。
 他の不満点としては山田孝之の存在意義希薄すぎね? とか、最後に西くんにあいつが擬態する意味って何?とか。
 あとあとレイカと和泉を足して割ったようなキャラの伊藤歩さんはカリスマ的女優をやらすには華やドスがなさすぎると思います、美人だけど。



(7)で、ここからは蛇足。原作付きの映画が如何にあるべきか、個人的に思う所なのですが、まず原作つきの作品を造るとき、原作に引っ張られるっていうのは言語道断で(例えば役者を原作の絵のそっくりさんでまとめましたとか)なんだけど、原作に対してはテーマや設定だけ拝借するくらい、もしくは原作を否定するくらいの気持ちでまったく別の作品を作るくらいの意気込みでやる必要があったと思うんです。例えば黒澤明の『羅生門』や市川崑の『処刑の部屋』『クローズZERO』『ファンタスティックMr.FOX』くらいのノリで。それじゃなくちゃ映画化の利点など活かせないし、原作に勝てることは決してない。
 『GANTZ』なんてそういうの特にやりやすそうな題材なのに。例えばどこでもいいけど名古屋とか札幌とかそういうところのガンツチームを主役に怪人や怪獣とドンパチやりながら人間のエグい本性や愛おしさを描くだけみたいな「詰め将棋映画」でも『GANTZ』の魅力は存分に引き出せたと思うのだけれども。


 そんな感じで、チャンバラアクションはとても楽しかったですが、第一部だけみてそれで完結と思った方が幸せかもしれません。結局、エログロを抑えなければならない今の日本映画のスタイルでは結局こういう地味な形に落ち着いちゃうんだろうなーって。韓国かどこかでエグく映画化してくれないかな。

 森泉レベル。

 『GANTZ:PEFECT ANSWER』は前夜祭にすぎなかった!次回はそんな吉高由里子祭開催だ!!『婚前特急』の感想でしゅっぽっぽ。 続きを読む

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/05/04(水) 17:45:10|
  2. 映画カ行
  3. | トラックバック:5
  4. | コメント:4

『ガリバー旅行記』を見て自信回復だよ。

ガリバー

 今回はゴールデンウィークではいちばんの大作扱いになるのかな。話題作『ガリバー旅行記』の感想。

 観に行った映画館はTOHOシネマズ六本木ヒルズ。この手の子供向け映画はあまり入りが良くなく、がらんとしていました。一人客か女性客が多め。


概要:ジョナサン・スウィフトの古典風刺小説を現代風にアレンジして映画化。監督は『モンスターVSエイリアン』や『シャークテイル』のロブ・レターマン。実写ではこれがデビュー作となる。脚本は『シュレック』シリーズのジョー・スティルマンとニコラス・ストーラーという人。音楽は『キック・アス』のヘンリー・ジャックマン。
 ニューヨークの新聞社に勤める郵便係のガリバー(ジャック・ブラック)。失敗を恐れるあまりチャレンジ精神に欠け、記者になる夢も片想いの成就も実現できずにいた。そんなある日、謎の三角海域バミューダ・トライアングルの取材という大きな仕事を手に入れる。ところが、意気揚々と向かった先で突然の大嵐に巻き込まれ、遭難してしまう。浜辺に打ち上げられたガリバーが気づくと、なんと、たくさんの小人たちによって拘束されていた。彼が漂着したのは、中世の小人たちが住む“リリパット王国”だった。やがてガリバーは、その巨体を活かして王国の危機を救ったことから一躍ヒーローに。居心地の良さにすっかり調子に乗るガリバーだったが…。
("allcinema online"より抜粋)


 ジャック・ブラックが出ている映画はついつい見てしまうのだが、彼の魅力とはなんだろうか。
 例えばそのユニークな体型をパワフルにエネルギッシュに体力の限界まで振り回すアクションは、チャップリンが道を歩くだけで笑えたのと同様に、その存在だけで笑いを誘う(本作でゴールデン・ラズベリー主演男優賞にノミネートされたそうだけど)。
 またその体躯をフルに活かして『スター・ウォーズ』だのロックバンドだの様々な引用を駆使する彼は、ポップカルチャー漬けのサンプリング世代---すなわち我々のような存在(オタクといってもいい)の、アイコンである。


 本作は「大きさとは」について描かれる。
 『ソーシャル・ネットワーク』でも使用されていた、ティルトシフトレンズという特殊なレンズを使う「逆ティルト撮影」によって、被写体をまるで模型のように見せる撮影方法で描かれた冒頭のマンハッタンの街並みはとても小さく見える。

 ガリバーは自分に自信がなく、会社ではつまらないジョークと好きな映画やロックのパロディを披露し威勢をはり、好きな女の子ダーシー(アマンダ・ピート)に声もかけられない小物であるが、リリパット王国ではその身体のサイズの大きさから自信にみなぎり"大物"となった。このように「大きさ」とは相対的なものである。

 冒頭ガリバーは陽気に見せながら自分の趣味に閉じこもるしかできない男性だった。自分の自信の無さを、『スター・ウォーズ』のパロディでルークやダースベイダーに成りきることや、ロックスターに成りきることでカバーしていた。
 そして彼は頼まれた旅行記事を自信の無さから書けず、旅行ガイドブックの記事を"丸写し"してしまう。

 しかし、ガリバーのその心情は我々サンプリング世代の後ろめたさを表している。
 新しいものをイチから作り出すことをあきらめ、過去の名作を切っては繋げ切っては繋げて新しいものを作り出してきた90年代以降の若者世代は、そこにいくらかの後ろめたさがある。それは創作ではなくただ他人のふんどしで相撲をとっているだけなのではないかと。先述したようにジャック・ブラックはサンプリング世代のアイコン的な存在とも言える。そこにおいて、彼のコンプレックスからくる「サンプリング芸」は我々の自信のなさを表している。


 リリパット王国に漂流したあとも彼のサンプリング芸ははじける。自分を王子といつわり、自分の自伝として『スター・ウォーズ』『タイタニック』『アバター』の物語を語って聞かせ、何も知らない国民をワクワクさせる。

 大きさとは「自信」と比例する。リリパット王国でその巨大な身体から絶対的な自信を抱いていたガリバーはビッグに見られていたが、自分より強い存在の登場からへっぴり腰の弱虫であることが露呈され、ダーシーの登場で今まで偽ってきた嘘が全て明らかにされてしまい自信を一気に喪失、罰として送られた「呪いの島」はガリバー以外が全員巨人という彼の自信も尊厳も全て奪いとってしまうような世界であった。

 『英国王のスピーチ』で主人公が吃音を治せたのも「自信」であったが、その自信は療法士と友達になるという方法で築き上げたものだ。
 全ての自信を喪失し巨人の国で赤ちゃんの格好をさせられていたガリバーを救ったのも友達ホレイショ(ジェイソン・シーゲル)であった。ガリバーの嘘やサンプリング芸で我々観客がケタケタ笑えたように、彼のそういった性格に勇気づけられ彼を信じてくれた友人たちがホレイショをはじめリリパット王国にはたくさんいた。
 友人のそんな信頼を背に受けて自信に満ち溢れたガリバーは、はじめて自分以上の"ビッグな"力を発揮する。そこにバカバカしいながらもウルッときてしまった。


 本作の最後にジャック・ブラックはもう一度『スクール・オブ・ロック』ばりのサンプリング芸(エドウィン・スター『黒い戦争』)を披露して大団円を表現するが、観客はそれを見てサンプリングに自信を持てるかもしれない。それは人のふんどしではない、もしそれに自信があるのならばそれは立派な創作であると。この映画が古典小説のアイデアをただ"丸写し"したものではなくきちんとした創作に仕立てあげているように。

 以上『ガリバー旅行記』はいつまでも自分たちの世代の創作物に不信感を抱いてしまうサンプリング世代に自信を抱かせてくれる作品だったと感じる。


 このブログのクセで小難しく理屈っぽく考えた感想を書きましたが、おそらくへらへら笑って、見たあとスッキリするのがこの映画の正当な見方だと思われます。大変愉快な映画です。おススメ。

 まゆゆレベル。

 次回はザック・スナイダーのガールズアクション映画『エンジェル・ウォーズ』の感想です。

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/04/22(金) 17:26:41|
  2. 映画カ行
  3. | トラックバック:5
  4. | コメント:0

『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』は「クソ」な応援ソングだよ。

かまってちゃん

 更新しなかったのは単純にネタがなかったからです。
 今回は『劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ』の感想でございます。

 観に行った映画館はポレポレ東中野。リピーターキャンペーンを上手く利用して1000円で見れました。客層はほぼ若者だらけ。20人もいませんでした。男女ともにいたけれど、皆さんかまってちゃんファンなのかな、部活帰りの高校生とかギャルっぽい女の子とかこの映画館っぽくないお客さんも。


概要:監督・脚本は『SR サイタマノラッパー』の入江悠。
 “神聖かまってちゃん”の大規模なライブまであと1週間。プロ棋士を目指す女子高生の美知子(二階堂ふみ)。彼氏に神聖かまってちゃんのライブに誘われるが、その日は大事なアマ王座決定戦の決勝が控えていた。昼は清掃業、夜はショーパブダンサーとして働き詰めのシングルマザー、かおり(森下くるみ)。ある日、神聖かまってちゃんに夢中の息子が保育園で問題を起こし、呼び出しをくらう。神聖かまってちゃんのマネージャー、ツルギ(劔樹人)。メジャーデビューに浮かれる間もなく、新しい上司から不条理な難題を押しつけられてしまい…。
"allcinema online"より抜粋)


 最近はカラオケに行くと忘れなければ神聖かまってちゃんの「ロックンロールは鳴り止まないっ」を歌うことにしているのだけれど、たいてい引かれてしまうか、知らないか。もしくはまれに大盛り上がり。
 ビートルズやピストルズの時代にカラオケがあったとしても恐らくはこんな反応だったのではないだろうか。ロックスターというのは常に嫌われて引かれて一部にしかウケてないような存在であることが望ましいと僕は思う。

 ただ、ロックのスタイルは変化を続ける。当時は不良の代名詞だったビートルズやプレスリーが中学校の音楽の教科書に載ってしまうように、神聖かまってちゃんもこの2010年代だからこそ存在し得るロックスターである。
 2010年代のニコニコ動画のロックスター神聖かまってちゃんはその名の通り"かまってほしいバンド"である。

 本作でボーカルの"の子"が理由もなく引きこもり散々騒がせた上で最後の最後に何の理由もなくひょっこりライブにやってきたように、また実際にネット世界を騒がせているように、様々な奇行の挙げ句、意外に素直ないい子の面を見せる、ただかまって欲しい素直じゃないバンドなんだと思う。
 そしてそんな性格だから世間に引かれて嫌われて疎まれて…一部の日影の物好きには共感され熱狂的に好かれる


 本作でも「応援ソングなんてクソでしょ」なんて言いながら、プロの棋士を目指したいが親の許しを得られない女子高生美知子や、ストリッパーと清掃のアルバイトをやりながら幼稚園に通う息子を女手一つで育てる30歳女性かおり(演じるは元AV女優の森下くるみだ!)、神聖かまってちゃんに彼ららしい独自の路線を歩んでほしいと思い社の方針に歯向かうマネージャーツルギなどなど、"ロックな日陰ものたち"を遠まわしに応援する。もちろん「応援した?」と聴かれたら「してるはずない」と答えるだろうし、応援される日陰のロックンローラーたちはマネージャーをのぞきクライマックスであるライブには参加しない。そもそも美知子もかおりも彼らのファンでもない。
 しかし遠くで聴こえる彼らの歌が、ひっそりと日陰ものたちの心に世間に立ち向かう勇気を与える。

 神聖かまってちゃんは、もはやカミサマのような存在になっているビートルズやピストルズに対して「何がいいんだかぜんぜんわかりません」なんて言っちゃう「かまってほしいロックンロール」を歌い、嫌われ疎まれ奇行を繰り返す。そもそも彼らの主な活躍の場はニコニコ動画、いまだに世間に疎まれている2ちゃんねるの親戚のような動画サイトだ。しかしそこにしか居場所がない者だっている。彼らはニコニコ生放送で歌い続けながら、遠まわしに、日陰に立ってもどんなに嫌われても歌う姿を見せつけることで、彼ら日陰者を「応援」する。
 それが神聖かまってちゃんのロックンロールなのだ。本作はそれを描いていたと思う。



 ただ大きな不満点が一つあります。
 前述の通り、このバンドにはどんなにビッグになっても日陰でギャーギャー無駄に騒いで21世紀のニコニコ動画のロックスターとして君臨してほしいところであり、嫌われ者であるところにその存在意義を感じるのだが、本作で彼らが嫌われるシーンがあまりない。例えば美知子の友達が「あたしあんまりこの人たち好きじゃない」とは言うけれど、彼女もライブ会場で熱狂しているし、本筋にはあまり関係ない幼稚園の保育士たちもニコニコ生放送の彼らのライブ中継に夢中になっている。幼稚園児たちまでがパソコンを持ち合って大騒ぎするのもどうかと。かまってちゃんがそこまで好かれては彼らの存在意義どころか、映画の主題にすら揺らぎをかけてしまう。
 例えばここまで「好かれる」神聖かまってちゃんを描くのであれば最後の最後に、登場人物や観客ドン引きさせるようなムチャクチャをやらかして終わって欲しかったけれど、最後までかっこいい人気ロックバンドであり、あれだったら別に神聖かまってちゃんではなくてB'zでもなんでも最低限物語は成立してしまうのが残念。
 そして入江監督は『SR サイタマノラッパー』で、認められないどころか、何者になれないし才能もなければ好かれもしない日陰ものたちの苦悩をきちんと描けていたはず。


 まあ不満は連ねましたが、今最も話題のバンド神聖かまってちゃんを映像に残すというだけでその意義はあるとは思うのでそこは評価しておきたいところ。


 あと引きこもりのお兄ちゃんはまだしも、娘が棋士になるのを反対していたお父さんは、美知子からも神聖かまってちゃんからもほとんどアクションをかけられていないはずなのに、何故最後に彼女を許す素振りを見せてるの?とか、そういう不満。
 あと二階堂ふみさんは大変カワイコちゃんでした。


 以上。ファンなら見に行くべきだし、いまこの瞬間に神聖かまってちゃんとそれを取り巻くファンをカメラに抑える重要性を考えるとそこはしっかりとしていたと思います。

 川島海荷レベル。

 次回はジャック・ブラックの期待のビッグバジェットコメディ『ガリバー旅行記』の感想です。

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2011/04/19(火) 00:38:37|
  2. 映画カ行
  3. | トラックバック:3
  4. | コメント:2
前のページ 次のページ

FC2カウンター

プロフィール

かろうじてアメリゴ・ベスプッチ

Author:かろうじてアメリゴ・ベスプッチ
 映画のこととか長々と書くブログです。
 たまに映画以外のことも書くよ。
 コメントくれたら嬉しいです。
 更新あんまりできないけれど。
 あと現代人なのでtwitterを始めました。
 chikiuso2800って名前。
 ご意見、ご感想、取り上げてほしい映画のリクエストなどございましたら、コメント欄か上記twitterIDにてお知らせください。

 なお映画の感想コーナーの最後で、実に分かりやすく画期的な映画の評価方法として、その映画のレベルに見合ったアイドルの名前を書いております。

Twitter on FC2

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

映画ア行 (36)
映画カ行 (51)
映画サ行 (35)
映画タ行 (28)
映画ナ行 (8)
映画ハ行 (40)
映画マ行 (17)
映画ヤ行 (4)
映画ラ行 (14)
映画ワ行 (1)
2010年度映画ランキング (3)
少年ジャンプ (47)
特集 (3)
謝罪 (2)
未分類 (0)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。