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『9<ナイン> ~9番目の奇妙な人形~』はナイスな面構えだよ。

ナイン

 運動不足が激しくて、ジョギングを始めてから1ヶ月ほど経ちました。ある程度ゆっくり走れば、けっこう走り続けられるもので、1時間くらい走っています。運動すればストレスも発散されるのか、あまり間食もしなくなり、少しは身体が締まって来たのかな。
 で、そもそも運動大嫌いで運動音痴の僕ですが、ちょっと体力に自信がついて来たので、身体を鍛えるために、もっと色んなスポーツを楽しみたいなと。あぁでも集団競技はだめです。ワガママだから。
 てなわけで中学生の頃やっていた剣道か、水泳かなんて思っていたのですが、ふと近所にクライミングのジムがあることを発見。木登り好きだったし、お値段もお手頃だし、これ、割といいんじゃないかなって。
 で、そう思いながら別にやってないんですけれどね、ただここに書く事なくて、とりあえず書いてみただけなんですけれどね、無理に書く事もないんですけれどね。そんなわけで近々クライミングジムに行ってみたいと思います。


 てなわけで、今回は『9<ナイン> ~9番目の奇妙な人形~』の感想。
 このブログでも扱った『NINE』『第9地区』など「9」にまつわる映画がやたら多いので、それに考慮してかどうも副題がくどいですね。
 観に行った映画館は恵比寿ガーデンシネマ。水曜日で1000円で鑑賞出来る日でしたが、夕方の回で、客数はそこまで。客層も老若男女まばらでしたが、一人客が多めでした。


概要:シェーン・アッカーが監督した2005年のアカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされた同タイトルの11分のCGアニメーション作品を、ティム・バートン製作のもと80分の長編に。テーマ曲をダニー・エルフマンが手がけている。
 突如、ある研究所にて目覚めた、麻袋で作られた人形"9"(声:イライジャ・ウッド)は、自分が何者か、ここがどこかわからないまま、廃墟となった無人の世界を歩く。彼の前に現れた、似たような姿形をした”2”の人形(声:マーティン・ランドー)は、"9"に仲間がいることをほのめかすが、彼らに突如襲いかかってきた「ビースト」と呼ばれる機械獣によってさらわれてしまう。やがて"9"は厳格なリーダー格の"1"(声:クリストファー・プラマー)、お人好しの"5"(声:ジョン・C・ライリー)、なにやらミステリアスな"6"(声:クリスピン・クローヴァー)、怪力の"8"(声:フレッド・タタショア)と出会い、"1"の反対を聞き入れず、"5"とともに"2"を救出に向かう。そこで、ビーストに殺されたと思われていた強気な女性タイプの人形"6"(声:ジェニファー・コネリー)、言葉を一切発さない瓜二つの研究者"3"および"4"と合流し、かろうじて"2"の救出に成功するが…。



 もう、『コララインとボタンの魔女』同様に、このキャラクターや世界観のデザインの時点で、この映画は成功してるんだと思います。中野のオモチャ屋ではじめてこのキャラクターのフィギュア見た時に悔しくてため息出たもの。
 "1"から"9"まで似たようなデザインのキャラが登場するんだけど、これもそれぞれの性格が『サイボーグ009』ばりに個性的で、例えば"9"は麻袋で、紅一点の"6"は白いツェード生地で出来ていたりと、それらの個性を表す微妙なデザインの差異も絶妙で、ハサミや豆電球などそれぞれ日常品を武器に装備してたりと、とてもオタク心をくすぐってくれます。9種全部出てるならフィギュア買っちゃおうかなーなんて。余談ですが、恵比寿駅と言えば、都内最大級のアメトイショップの「Monster Japan」が恵比寿ガーデンシネマとタッグを組んで、この映画のキャンペーンやっているそうですよ。最近はアメトイの店もめっきり見かけなくなって寂しいですね。
 ただ、9人が超個性的なメンバー構成な故に、全員集合の絵が全編とおして一度も無かったのはすごく残念。映画のタイトルからしてそこは全員集合やるべきでしょ。

 ”ビースト”や”マシン”などクリーチャーのデザインや荒廃した世界のデザインも、シュヴァンクマイエルみたいなシックで不気味な要素というか、スチームパンク風というか、レゴブロックで組み立てた悪夢というべきか、なにやらすげーワクワクさせてくれます。未だに『スポーン』みたいなグランジロック風から脱し切れていない『タイタンの戦い』もちょっと見習って欲しい。

 またそのアクションシーンは、テンポも構図もスピードも具合良くて、そのロケーションとキャラクターたちの個性を上手く利用したちょっと頭を使うようなパズル的なバトルになっていたりと良く計算されていて見ていて飽きません。そこら辺、元となった11分の短編だとすごく上手に表されているので、そちらも是非、何かしらの方法でご覧いただく事をオススメいたします。

 とにかく超個性的でグッドデザインの彼らがスリルいっぱいの活躍をするだけで、とっても楽しい良い映画でございますよ。
 デザインやアクションなど表面上の事しか誉めてないですね。

 以下は不満点ってほどではないけど、本作のドラマ性とか心理描写とかけっこうおざなりなんです。でも『タイタンの戦い』みたいにそこまで不満に思えないのは、人形が主役のアニメーションって装置が、寓話的な雰囲気を醸し出していているからか、むしろ手塚治虫的に言うところの構造主義的な簡略化といった高等なテクニックにすら思えてしまう。映画ってのはあくまで内面ではなく外面で見せるものなのだから、外面をみがけばある程度は内面も比例して磨かれる。そもそもいい映画が必ずしも人間ドラマを描くのがうまくなくちゃならない理由なんてないんですよね。創作は自由なわけなんだから。

 さらに本作の内面性に突っ込むと、物語のテーマは「魂の不滅性からの解放」について描かれていると読める。
 "ビースト"や"マシン"が何故人形たちを襲い魂を奪うのかについて、本作では具体的に語られないが、人のエゴイズムによって作られ暴走した"マシン"たちと、より強度な人のエゴによって、人類が滅亡した後も魂だけ移植されて、廃墟と化したこの世界に生きる事を託された人形たちとが戦いあうというエゴイズムとエゴイズムの物語とも読める。
 とすると、ネタバレのため詳しくは語らないけれど、本作の結末における一連の展開は、人のエゴイズムをやさしく否定してくれる映画とも読める。本作でまず語られるのは「人類が滅んでも、その魂は不滅である」っていうある種の身体論の否定であって、それは希望である一方で我々は肉体が滅んでも永遠に現世に縛られつづけるのかもしれないっていう呪いでもある。エゴイズムの優しい否定は、魂の永遠性の持つ「呪い」の解放にも繋がる。
 そもそも子供も見るアニメーションにしては抽象性の高いこの作品の解説で、具体例を除いて解説すると、地に足がついていない論になっちゃって意味がよくわかりませんね。

 テーマ性とか、11分の短編を110分に引き延ばすためにとってつけたような、蛇足なんじゃないのかなって思ってオリジナルの短編を見てみたら、「魂の解放」っていうテーマは短編にも現れていました。短編の方がシンプルに見せていて、色んな解釈が出来たかな。


 以上、内面はかなり考えてるのか、あまり考えてないのかよくわからないのですが、外面の出来がとにかく面白いので、内面の解釈もポジティブに深遠に捉えることが出来るよっていう、映画の本質は「見た目」であることを再認識させてくれる良い映画でありました。
 森田涼花レベル


 次回はデヴィッド・ボウイの息子が監督した『月に囚われた男』の感想を書くよ。

「9 <ナイン> ~9番目の奇妙な人形~」の映画詳細、映画館情報はこちら >>

テーマ:映画館で観た映画 - ジャンル:映画

  1. 2010/05/15(土) 01:24:35|
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『NINE』の感想その(2)だよ。

 ナイン2

 前回の『NINE』の感想ですが、個人的に思うところがあって、もうちょっと深く考えた方がいいんじゃないかって。義務的に感想書いて、それで終わりで、そんなんじゃ趣味でこんなことやってる意味もないわけで、もうちょっと気合い入れて深く考えた方がいいんじゃないかなーってことで、前回のリベンジっていうか捕足です。

 今回はネタバレありかつ、両作品見ていないとなんだかよくわからないかもしれませんので、ご注意。
 まぁ二つともネタバレってほどたいそれたものがある作品でもないんだけれどね、実はグイドが幽霊だった!とか、実はフェリーニはオカマだった!とか。


 『NINE』と『フェリーニの81/2』の比較を主に、『NINE』が『8 1/2』をミュージカル化したわけ、タイトルを変えたワケを考えたい。そこにどんな意味があるのか。

 二つの映画の違いには原作と今作の「映画」に対する考え方の違いが感じられる。
 映画とはそもそも多かれ少なかれ「嘘」を語るものである。劇映画はもちろん、ドキュメンタリー映画にしたって、製作陣の様々な意思を通した上での作品である限り、それは真実ではない。いかに上手く面白く嘘をつくかが映画制作者には求められている。
 しかしながら、一方で映画には、いかに「真実」を語るかっていう命題も存在する。作品に真実性がなければ、説得力や娯楽性どころか、物語性も何も生まれない。
 「映画」とはこのように、「嘘」と「真実」という矛盾した二つの要素を同時に求めなければならないパラドックスを内包している。

 『8 1/2』と『NINE』とに共通する問題意識はそこである。
 主人公グイドは映画監督であり、嘘をつく商売である。彼は映画に素直な真実性を求めるが、映画を撮れば撮るほどにただ嘘を積み重ねるのみで、真実には到達出来ない。また彼の回りには嘘くさい希薄な人間関係があふれており、彼らとの交遊にもやはり現実味がわかない。以前は確かに存在していたはずの妻ルイザとの関係も、いつのまにか曖昧なものになってしまっている。そういった人間関係にも確固たるものを求めるグイドだが、関係を重ねれば重ねるほど、「嘘」は積み重ねられていく。つまり彼は映画作品と、人間関係という二つの点で「真実」を求めながら逆に「嘘」をつきつづけているのだ。
 
 ただしこの二作品に共通する「嘘と真実」という考え方に関して、結末で意見が分かれる。
 『8 1/2』の結末は希薄な人間関係、真実が無い薄っぺらい映画に嫌気がさし、映画を投げ出すグイドが、開き直るかのように、嘘と空想で構築された人間関係を、これもひとつの現実であるという解釈方法を得て、そういう虚構や欺瞞に満ちた解釈の中でポジティブに生きていこうとする。
 一方で『NINE』の結末は、複数の女性との希薄な人間関係という嘘でぬりかためられた人間関係でも、それでもその結果としていまの自分が存在する限り、一つの立派な真実はあるっていう解釈。最後に幻影として彼にまつわる女たちが出てくるが、『8 1/2』のように虚構の中で生きようとはせずに、現実にいる映画監督の立場で虚構を虚構ときちん認識して、それに向き合いながら真実を追い求めようとする姿勢をとる。
 ここに二作品の嘘と真実に対する微妙な考え方の違いがある。どちらも「嘘」を肯定している点は同じだが、『8 1/2』は真実の否定、『NINE』は真実の肯定をしている。

 で、ここで重要なのが、『8 1/2』の「嘘」を象徴するシーンはグイドの妄想の数々であるけれど、これは現実か妄想かよくわからないまま、結末では「妄想も真実も曖昧でいいじゃん」みたいな終り方をするわけだけど、『NINE』ではこの「嘘」や「妄想」のシーンがミュージカルになっている。これはもう完全に作中の現実の描写と切り離されている。つまりより虚構性が高くなっているのだ。
 嘘の仕事、嘘の人間関係、そして嘘だらけのこの二つの映画、虚構と現実との繋がりをある意味断ち切ることで、映画の持つ虚構性を「人生は祭だし、嘘でも楽しければいいじゃん」って肯定した『8 1/2』に対し、『NINE』はミュージカルという虚構性の高いパーツを繋ぎ合わせながらも一つの真実に到達できるっていう「映画」に対する考え方を提示している。
 『8 1/2』というタイトルはフェリーニの監督作品9作目だけれど、それは(作中では)未完の作品だよって意味で「8作と半分」なんだけれども、それを「9」に変えたその0.5の違いが、その「映画と真実」に対する考え方の違いにあると思われる。

 てなわけで、前回の感想ではコンセプトの解説しか出来なかったので、今回はもうちょっと内容面に踏み込んでみました。でも、いくらリメイク作品と言えど、今回みたいに他作品と比較することで評価するのはちょっとタブーにしたいんですけどね、ついしちゃう。

 そんなわけで次回こそ『シャーロック・ホームズ』の感想を書きますね。

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  1. 2010/04/01(木) 02:28:45|
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『NINE』は親離れして見るべしだよ。

NINE

 マクラはとくにございません!!
 今回はようやく『NINE』の感想を書くよ。
 なんかうだうだしていてごめんなさい。

 見に行った映画館はTOHOシネマズ六本木ヒルズ。金曜の昼間でそこそこいる感じ。客層は女性がほとんど。一番大きなスクリーンの劇場でちょっと前めで見たのが正解だったようで、迫力ある映像が楽しめました。


ストーリー:1964年、イタリアの著名な映画監督グイド(ダニエル・デイ=ルイス)は、スランプに落ち入り、新作脚本『ITALIA』のアイディアに煮詰まっていた。マスコミやプロデューサーから逃げ出したグイドは、妻ルイザ(マリオン・コティヤール)、母(ソフィア・ローレン)、不倫相手カルラ(ペネロペ・クルス)、年少期の性の目覚めの対象だった狂女サラギーナ(ファーギー)、愛人であり彼の映画に多数主演する女優クラウディア(ニコール・キッドマン)ら、彼にまつわる様々な女性との会合や妄想を経て、やがて嘘で固められた空っぽの自分自身、嘘で固められた映画制作や結婚生活に嫌気がさし、クランクイン前日、ある決断をするが…。


 ストーリー書きにくい映画だなこりゃ。
 この作品、あんまりそこ宣伝しないから知らない人もいるかも知れないけれど、『フェリーニの8 1/2』という1964年のフェデリコ・フェリーニの名作映画のミュージカル化作品なんです。リメイク映画って9割型オリジナル作品との比較によってあんまり幸せな評価をもらっていない作品が多い中、この映画はミュージカル化というジャンルを超越したリメイク方法でオリジナルとの比較をある程度軽減して、ある程度、比較ではない正当な評価を得ることに成功していると思うんですよ、ある程度。もちろん比較の上で文句言っている人も多いけれど、でもあれだけの名作映画のリメイクにしては少ない方。このリメイク方法を他の映画で例えるならば『男はつらいよ』をスプラッタホラーにリメイクみたいな。いや、それは言い過ぎだけれど。今回はそんなこの映画特有のリメイク方法に留意して感想を書きたいなって。
 
 『フェリーニの8 1/2』は背伸びするのが好きだった10代のころ割とマイベスト映画だったりしましたが、童貞真っ只中の10代の僕にあんな複雑な人情の機微なんてわかるはずなく、あの映画が放つイタリア特有のなんとも言えない知的で下品でオシャレでエロティックな雰囲気が好きだったんですね。フェリーニ論はおそれ多くて書けませんが。

 で、今回の『NINE』。140分もあるオリジナル映画をミュージカル描写込みで2時間弱にまとめられるのかって言うと土台無理な話で、10代のころの僕が愛していたような『8 1/2』のオシャレな表面をなぞるかのような作品でございました。でも、それは確信犯的なところがあって、自分の映画の中身の薄っぺらさに落胆するグイドのシーンや、それに続くステファニー(ケイト・ハドソン)の歌う、彼の映画のオシャレさをどこか自虐的に誉めたたえる歌などに現れている。グイドの「何事も包み紙より中身の方が重要である」っていうセリフも怪しい。

 で、そういった思い切った判断は英断だったと思います。難解な人間ドラマは深く触れないでおいて、とにかく絢爛豪華でセクシーなミュージカルを楽しもうぜっていう。『8 1/2』はその美しい表面だけで十分傑作レベルだし、その表面だけを借りて本当にゴージャスな俳優陣が色気たっぷりに歌うっていう、それだけでも、上手く作ればつまらない作品になるはずはないのだ。

 で、この作品は絢爛豪華なキャストと衣装と美術を駆使し、頭から離れないすばらしい曲を用意することで、上手につくることに成功している。例えばペネロペ・クルスのエロさは相変わらずだし、老いてなお美しいソフィア・ローレンの神々しさとか、ジュディ・デンチのかっこよさとか、ケイト・ハドソンのダイナミックさとか、ファーギーの狂気的な野獣っぽさとか、ダニエル・デイ=ルイスの知的で怪しくて人間くさい色気も。それが全員集合するオープニングシーンの楽しさったら! また映像表現もフェリーニを意識したかのような、コントラストの強いモノクロ映像や、『8 1/2』から継承した、夢か現実か曖昧な物語構成も、素直にかっこよい。


 じゃあこの作品が外見だけの薄っぺらい作品かと言われれば、それだけとは限らない。オリジナルでも主張されていた、映画という作品が得てして持っていて増長させてきた虚構性に対する問題意識を、原作とはまた違う方法できちんと描いていると思う。例えばミュージカル描写なんて虚構の極地だし、例えばエンディングの描写は、オリジナルのラストを拝借した方がミュージカル的に楽しい感じになって良かったのにとか思ったんだけれど、ミュージカル調を受け入れるようで逆に拒絶するかのような今作のああいった形での終らせ方により、現実とミュージカルの橋渡しをしているのかなって考えれば、これはこれでありだと思います。


 ただまあリメイク作品ゆえの宿命というべきか、「比較」はもちろん少なからず感じる。一つのシークエンスに一つのミュージカルシーンがあるって感じでテンポ良く映画は進んでいくけれども、物語性を希薄にしてしまったために、それぞれのシークエンス同士に有機的な絡み合いが感じにくくて、なんだかミュージッククリップを連続で見ているような錯覚を覚える。「ここ、オリジナルならもうちょっと何かを感じさせてくれるのに」なんてたまに顔を出してくる「比較」の誘い。
 こちらとしても意識的にオリジナルの記憶は閉め出すのが、楽しむためには一番なんだろうけれど(これは『かいじゅうたちのいるところ』の原作問題で学びました)まぁ難しいよね。『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメと原作漫画みたいにまったく別物として楽しめればいいんだろうけれども…。


 てなわけで、『NINE』は、『8 1/2』のオシャレでかっこいい表面と最小限のテーマ性だけを抽出し、オリジナルとは全く別のミュージカルと言う演出方法でリメイクしたことで、オリジナルとの比較を避けることにある程度成功し、ある程度比較の無い正当な評価を得た作品なのである。


 あぁこれは余談なんですけれど、そもそも『8 1/2』を見ないか知らないでこの映画を観に行く人が圧倒的だと思われるわけで、原作を知らないとキャラクターの数少ない心理描写を、無意識的に『8 1/2』のパーツを借用することで補完することができず、より中身が薄い映画に見えちゃうかもしんないなんて思うところもあって。別物として見るのもまあ一長一短ではあるんですが、ダニエル・デイ=ルイスの演技が含蓄があって素晴らしいので、むしろ『8 1/2』に縛られないぶん、観客の自由な妄想を誘発させてくれて、心理描写が少ないとは感じないかしら。

 あ、あとサラギーナが気の狂った太ったオバサンじゃなくて、ファーギーだったことは、ちょっと残念だったかな、ファーギーも相当良かったけれど。

 なんにせよ、色気たっぷりで歌唱力も演技力も底抜けの連中が歌い踊るシーンが連続するってだけでもう見ものなので、フェリーニだのなんだのと御託を並べずに、ペネロペ・クルスがエロいってその理由だけで大画面で見に行くのをオススメします。
 クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!レベル


 次回はなんとも感想の書きにくい話題作『シャーロック・ホームズ』の感想を書きます。おたのしみにしなさい。

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  1. 2010/03/31(水) 02:04:56|
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Author:かろうじてアメリゴ・ベスプッチ
 映画のこととか長々と書くブログです。
 たまに映画以外のことも書くよ。
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 chikiuso2800って名前。
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